もう一つの農場

翌朝はバルでたっぷり食事をし、村の散策をすることにした。
村役場の広場はまた別の場所にあり、外から覗いていたら、中に入って下さいと言われ階段を昇った。がらんとしていたが、天井が高くて立派だった。
外に出てあてもなく村を歩いていると教会に出た。とても古そうで今は使われていないのだろうか、中には入れなかった。

ぐるっと一周してまたあの広場に出ると、そこで白衣を着て小型トラックから荷物を下ろしているのは、肉屋のルカではないか。
私たちの姿を見つけると、すぐ近くの自分が経営する店に来ないかと言うので、ついていった。清潔に片付いた店内を案内してくれ、お客に対しても丁寧で親切、 一生懸命誇りを持って働いている。店内に売られているチョリソーはみなルカが作り、遠くはバルセロナまで送っているという。もちろん昨夜のチョリソーも新鮮な手作りだ。
写真を撮りたいと言うと、写りを良くするために下段にあったチョリソーを急いで上段に並び替えてくれた。
店員の女性にシャッターを押すのを頼んで、三人並んでまさにシャッターを押したその時、ルカが急に外にでて、何やら叫んでいる。何事かと思ったら、おじさんチームの三人がボロボロのトラックに乗って通 りがかったのだ。
あいさつもそこそこにみんなに車に乗るよう促され、ルカはあとで会おうと言って店に戻って行った。

車はこれから農場に行くと言う。
また5キロほどの距離をおんぼろトラックで行き着いた先は田舎の村だった。
仙人の農場よりは人の手が入ったいわゆる農家というイメージだ。車のそばにいたら、なんと郵便配達のパターが仕事(配達)をしているではないか。ついきのう別 れたばかりだが、懐かしげに立ち話をした後、また仕事をしにどこかへ消えて行った。
若者グループはあれからどのくらいバルにいたのだろうか。おじさんチームだって、あれからルカが起きるまで待っていたと言うし、あんなに夜更かしをしていたので、今日は仕事がないのかと思っていたら、みんなそれぞれしっかり働いていた。
この農家は六十才くらいのおじさんとおばさんで経営している。まず馬小屋に行くと、このあたりで一番キレイだと言うご自慢の馬がいて、しばらくそこで話し込む。そのうち農耕具が登場して三人は玄関先の敷石を撤去する作業を始めた。

私たちは邪魔なので、まわりの家を散策し始めた。100メートルも足を進めると、いちじくの木を発見。手が届く位 置で採れるのは2〜3コ。
もう少し先には別の木があり木の下からのぞいていたら、そこの家のおばさんが出てきて、
「庭の中に入って採りなさい。」
というありがたいお言葉。さっそく中に入るとおばさんは洗濯物を干していた。 いちじくの実はこちらからの方が採り易いし、実の数も多い。
私たちは採っては食べ、を繰り返した。
そのみずみずしくて甘いこと。一気にいちじくファンになってしまった私たちは、また新たないちじくの木を探してさすらいの旅に出た。
この村の風景もなかなか素晴らしい。岩山が迫っていて壁のように村を囲んでいる。村で一軒のカフェ兼よろずやでコーヒーを飲み、またさらに奥地へ歩いて行くと、またいちじくの木を発見。
10メートルほど先で3人のおじさんが立ち話しているので、躊躇していたら、その中のおじさんが、こちらを見て、
「採っていいよ〜。」
と叫んでくれた。(と、私たちは解釈した)ボディランゲージで、敷地内に入っていいと言う。
この村の人達は親切だ。 しかし、こんな田舎町で〈絶対〉という言葉を使ってもいいほど、日本人を見るのは初めての人ばかりだと思うが、誰も恐がらないし、恥ずかしがらないし、ジロジロ好奇の眼差しで見られることない。
その上勘がいいから、こちらのしたいことを察してくれる。そして気前よく分け与えてくれる。だから居心地が良いのだろう。
私たちはお言葉に甘えて一生分のいちじくを口にした。 すっかりお腹いっぱいになってナチョー達の仕事場に戻るが、車はそのままあるが、誰もいない。
私たちは村に帰って旅支度をし、その日の夕方の列車の乗らなければならない。そろそろここを出なくてはいけない時間である。 農家の家に近づくと、さっき会ったこの家のおばさんが出てきて家の中に入れと言う。
そこには昼食を食べているナチョーたち、おじさん三人組がいた。私たちも豚肉やチーズをつまんだ。
丸いテーブルの上にパンの切れ端がころがり、手作りのチーズが無造作に置かれ、使い込まれた分厚い硝子のコップに水が注がれている。何百年も前と変らぬ 、いかにも農家の粗野な食事風景は中世の静物画を見ているようだった。
デザートのスイカも出てきて、私は恐る恐るナチョーに村へ帰らねばならぬ事を告げると、
「それはだいじょうぶ、僕たちは仕事があって送ってあげられないけど、この家の息子が村に用事があって、一緒に乗せていってあげるから。」
これを聞いて安心してスイカにかじりついた。 スペイン人というのは不思議だ。もしかしたらすごく賢いのかもしれない。 例えば、昨日の料理を作る時も役割分担が自然に出来ていた。
誰かが何かを始めると自分の仕事を探して足りない部分を補いあっている。誰か一人が働きすぎるということはなさそうだし、たとえ一人が何もやらずに座っていたとしても、文句も言わないのではないだろうか。自分たちはそれぞれ好きなことや、自分の性格に合った仕事を探しているから。そんな一見無秩序で無計画でいい加減なやり方なのに、最後はつじつまが合ってうまくまとまる。
《成り行きまかせ》
というのも大切なキーワードだろう。例えばルカは朝私たちと別れる時にはお昼を一緒に食べようって言っていたけど、一向にそういう事態にはならなかった。それをルカは残念に思うことがあっても気にしないだろう。きちんと約束したわけではないし、私たちの気が変わって(又は事情があって)どこかで食べているのだろうと思う程度なのであろう。
我々日本人はあらかじめいろいろな事を決めすぎる。窮屈でいけない。そしてコトが思うように運ばないと、必要以上に失望したりする。どうもあれこれ先の事を算段しすぎると、幸運を掴みにくいのかもしれない。
それから彼らの勘の良さは脱帽ものだ。このバレンシア・デ・アルカンタラの駅を降りてから英語で話をしたのは仙人とナチョーだけである。ナチョーは片言の英語に身振り手振りがはいる。あとの皆はスペイン語しか話さないから、私の片言のスペイン語とそして得意の日本語でこの村で二日間通 してきたのだ。
あとで考えるとけっこう込み入った話まで伝わっている。勘の良さもあるが、お互い何かを伝えあいたいという熱意も大切かもしれない。

私たちを送ってくれた農家のおじさんは村に入ると私たちのホテルに行く途中、少々回り道して、村の名所、旧跡を案内してくれた。今朝行った古い教会の前では車を止めて写 真まで撮らせてくれた。 村に戻ると大都会に来たみたいだった。
ルカの店に行ってはみたが、昼休みでドアが開くことはなかった。 私たちは広場でアイスクリームを買った。
一休みして、むらやんがルカにお礼の手紙を書いて再び店に持っていった。手紙はむらやんのイラストで綴った楽しいものだった。
結局ご馳走になったり、いちじくをお腹いっぱい食べたりして、お金を使うヒマがなく、余ってしまった! 今はお腹もすいていないし時間もないのでスーパーで食料を買ってペセタを使い切ろうということになり、ショッピングを始めた。スーパーに行く途中、昨日のイチジクおじさんに再会した。おじさんはまた相変わらずおしゃべりだった。
スーパーに入り、暗算しながら水やヨーグルト、お菓子、パン、生ハム、チーズなどを買い込んで清算すると、惜しい事に5ペセタ(4円)足りない。商品を戻そうかと思っていたら、これでいいと言う。
本当におおざっぱはいい!(逆に5ペセタくらいだと、おつりがでないかもしれないが、その時はこちらも太っ腹になろう)
スーパーから出ると、今度は絵描きのピントーみ会った。ピントーと別れの挨拶をした後、イチジクおじさんが再び登場して、
「あんな奴とかかわっちゃダメだよ。」
と、いかにも胡散臭そうに言っていた。 あとはホテルに戻り荷物を持って、3キロの、昨日歩いてきた道を駅まで帰るのだ。
私たちの最後のはかない望みは、誰かが車で通りがかり、荷物もろとも駅まで私たちを運んではくれないだろうかということ。
イチジクおじさんやピントーは車を持っていないだろう。
実はむらやんは肉屋のルカにわずかな望みをかけて手紙を持っていったと告白した。
残念ながらナチョー達もまだ仕事が終る様子でもなかったから、歩くしかないだろう。
ホテルに戻ると小学生の男の子が掃除の手伝いをしていた。
ホテルの皆さんに別れを告げ、広場を越え、まだ〈車で駅まで〉という希望は捨てなかったが、村の出口までとうとう来てしまった。この村は確かに小さいが、思いつきの物売りを通 して、なんだか村じゅうの人と知りあいになった気がした。
列車の発車時刻まであと45分、荷物を持った足だとのんびりもしていられない。
坂を下りはじめてこれで村が見えなくなった所まで来た時、なんと見覚えのあるバンが止まり、肉屋のルカが出てきた。
ルカはちょっと血生臭い車内に荷物と私たちを詰め込んだ。

駅長さん達に村から無事戻ったことを報告してやれやれ列車に乗り込んだ。
ここでこの話は終る予定だった。
しかし世の中はそうはうまくいかないもの。
列車に乗って検札にきた車掌とトラブル。
途中下車した切符がそのまま使えるはずなのに、数千円要求されることになった。ペセタはもちろん使い切ってないので、ポルトガルのエスクードでもいいと言うが、さらに不利な取り引きで、向こうはかなり威張っている。『お金がないなら次の駅で降りろ』とも。一日にたった2本しかない便である。
それでも、もはや時間にも予定にもこだわらなくなった私たちは、次の駅で降りることにした。
車掌はその時青い顔になったが、お互い言い出したのだから後には引けない。
次の駅はポルトガル側の国境の駅だった。
車掌はそこにいた駅員に私たちの事を説明と弁解をしていた。
列車が発車するまでなんかとげとげしい気持ちがあったが、のんきな駅員さんたちとホームに取り残されて、穏やかな気持ちになっていった。
距離にして7キロ。隣の駅とはまた違う。
こちらはさらに気楽な雰囲気だ。
さっそくここの駅長さんは、私たちについておいでと促した。
そこはホームのはずれの花壇であった。私たちも何か手伝いをするのかなと思ったがそうでもない。二人の駅員さんが花に水をやるのを見ていればよい。
花の方が終ると桃の木のそばに行き、落ちている実を拾う。それは私たちも協力した。そして甘そうなところを2〜3個づつ分けてくれた。堅かったけど、しっかりした味だった。
仕事が一段落すると、私たちを歩いて3分の場所から始まるメインストリートに案内してくれた。 レストランの前でお別れして、私たちは教えてもらったホテルに泊まった。
何もない静かな土地に降りて、その生活をほんの少しだけ共有できたことは良い思いでとなった。

翌々日、二日前に乗ってきたものと同じ列車に乗り込む。
まわってきた車掌さんは私たちの切符を見ても何も言わずに一銭も取らずに行ってしまった。
ホテル代を払ってもあの駅に降りて良かった。

今度こそリスボンに向う。
もう途中下車はしない。

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肉やのルカと:チョリソーのぶら下がる店内で

農場のそばの岩山が迫る村

古い教会の前で

ポルトガル側の国境の町