農場パーティ
私たちが広場から出ようとすると、ちょっと前から腕組みをしながら怪訝そうな顔でこちらを睨みつけていたおじさんグループの一人、とりわけ人相の悪い人が声をかけてきた。
「さっきからそこで何やっていたんだい?」
と言うので、
「お金がなくてレストランに行けないから持ち物を売っていたの」
と、ありのまま話すと、
「それなら今夜の僕たちのディナーパーティーに来ない?」
と、申し出てくれた。 突然のご招待に躊躇していると、人相の悪いおじさんは顔で鳥の表情を真似て手で羽の格好をしてバタバタさせたり、『ドンキー、ドンキー』と言い始めた。
その仲間で、流暢な英語を話す仙人風のおじさんが
「今日は私の農場で食事を作りますからいらっしゃいませんか?」 と、横からはいってくれた。
仙人は名をクリストフと言い、父親がポーランド人、母親がドイツ人。今はこの近くで農場を営んでいるという。物静かで思慮深そうな態度にすっかり安心して、私たちは誘いに応じることにした。
ホテルに戻って荷物を置き、待ち合わせの広場に出ると、さっきの場所には仙人と犬だけが居て、ほかの人は食料を持って後からやって来ると言う。
仙人の農場までは5キロ。
もうこれ以上辺鄙な所はないというぐらいの片田舎である。
途中までおんぼろ車で行き、途中で更におんぼろ車に乗り換える。窓硝子一つ残っておらず、座席もない。(前部はかろうじて残っている)
そこは すでに仙人の土地だ。
景色は荒々しく、遠くにごつい岩山が見える。車は60度くらいの傾斜を転がっていく。
着いた所で3匹の犬のお迎えがあった。羊は3頭、ドンキーもいた。 さっそく仙人は家の中を案内してくれた。
昔から農場だった所を買い、そのままの家に普段はお母さんと暮らしているが、今はお母さんはドイツに里帰りして留守だという。
ここに電気は届いていないので、太陽エネルギーを利用。冷蔵庫はガスボンベから。水は近くの川から長い長いホースで引いている。夏の渇水時には大変なのだそうだ。
そして山羊のミルクを冷蔵庫から出してご馳走してくれた。冷たく冷えていて、くせがあるが、新鮮でおいしい。
仙人は私たちを外に連れ出し、庭に落ちていたいちじくをお皿に並べて出してくれた。ちょっと羊の毛もからんでいたが、洗うわけにもいかず、思い切って食べた。スペインでは樹になっているものより、実が熟れて、その強烈な太陽によって半分乾燥したものが好まれたりする。確かに栄養価も高く、甘味も強いが、私たちとしてはジューシーな実を食べたいところであるが、仙人の大切な食料なので、ぐっとこらえる。
仙人は奥へ奥へと案内してくれるが、そこで私たちは鈴なりのラズベリーを発見した。
これが美味しくて夢中で食べた。仙人が『こっちの実の方が大きいよ』と言うので場所を移動した。その場所から動かずに両手を使って夢中で食べた。仙人は私たちの食べっぷりに心配して、
「あまり一度にたくさん食べると、酸が強いので胃をこわすよ。」 と、アドバイスをしてくれた。仙人も前はよく食べたが、今は少しづつにしていると言う。ラズベリーの方は100人の友達が来てもたべきれないほどあった。
小さな畑もあって、もぎたてのトマトもその場で食べた。格別の美味しさ!
そして、仙人のお気に入りの場所に連れて行ってくれた。そこにはポルトガルとを境にする小さな川が流れていて、木が多く、薄暗いのだが、木漏れ日がキラキラして、水は透明度が高く、神秘的な雰囲気があった。
私たちはしばらく高い木を眺めていたり、変った形の木の実を拾ったり、水の流れを見てそこに座っていたが、そろそろ戻ろうという事になり、家までの道すがら、これからバーベキューで使う大きな薪になる木を拾って途中まで足を進めると、ちょうど4人組の若者グループが到着したところで、その人達も初めてだったのか、再び仙人のお気に入りの地、川のところまで戻った。
そこで、一人づつ紹介してくれた。
それぞれあだ名で呼ばれている。郵便局員のパター(ゴルフのパター)、画家のピントー(代々画家の家系=ペインター)、陶芸家のミニート(minute=分)、そしてマドリッドから遊びにきていたマヌエルだ。
皆、物静かな感じの人達で、切り株に座って話し込んだ。
揃って家に戻ると、おじさん4人チームもやってきた。 手にはじゃがいも、卵、チョリソーや肉をぶら下げて。
時間は7時を回ってうす暗くなった頃、料理作りがスタートした。 まずはトルティーヤ(じゃがいもが入ったスペインオムレツ)作りから。
じゃがいもを手分けして皮をむき、薄切りにする。大量なので大変なのだがみんな慣れた手付きで器用にこなしてゆく。
燃料を外に持ち出してきて、たっぷりのオリーブオイルでじゃがいもを炒める。
向こうの大きい炉の方では、バーベキューの準備も始まった。
片手間にサラダも作りはじめる。九割がた準備がととのった頃、真っ暗だった庭に一つの電球が灯されて拍手が巻き起こった。
そこへ仙人が山羊を連れてきてミルクを搾りはじめた。山羊が大好きなむらやんは乳搾りの手伝いをした。
いよいよトルティーヤも出来て、バーベキューの回りに全員集まった。 魚焼きのような網に挟んで豚の皮付き肉を焼く。
焼く前にそれを見たときにはこんなコワイ物は食べられない・・・と思っていたが、焼ける頃には油も落ちて試してみたくなり、小さい切れ端を食べてみたら、これがとても美味しくて、もう一つと思って手を出したときには、皿にはもう何も残っていなかった。
次は血がたっぷり入ったチョリソーだ。これも滴りそうな血が恐かったが、焼けるとまた試してみようという気になり、口に入れるとこれまた美味しくて倒れそうだった。
みんな焼き上がるそばからハイエナのごとく食べてしまうので、うかうかしてられない。そしてトルティーヤもサラダもとびきり美味しかった!
おじさんチームは4人。肉や卵、チョリソー(スペイン風のスパイシーなソーセージ)を持ってきてくれたのが、肉屋を営むかたわら農場も経営しているルカ。
じゃがいもやトマトを持ってきてくれたのが野菜畑を営むジョー。そして私たちをここに誘ってくれたナチョー。
ナチョーはとても人相が悪いのだが、気のいい人でバル(居酒屋)を経営していると言う。先程広場で私たちを誘ってくれた時、バルを開けなければならないので、夜の九時には戻らなくてはならないと言う。その頃すでに九時に近かったので、私の方が心配して、時間はだいじょうぶなのか尋ねると、
「食べるのが先。」
そして・・・・・・
「人生は短いから、長くするよう楽しまなくちゃ!」
と言って帰るのをとりやめにしたらしかった。
なるほど。
もうひとりは三人の友達でマドリッドから来たおじさん。
食べ物がなくなると家の中にみんな集まってきた。仙人がコーヒーを作りはじめ、そこにスプーン三杯の砂糖を入れ、そこにたっぷりと透明のリキュールを入れて飲む。
ここから飲めや歌えやの大宴会になっていった。
照明はロウソク。
仙人はギターも持ち出した。おじさんチームは古い応援歌みたいな歌を歌い、若者チームは乗りの良いロックを歌う。実はこのメンバーはバンドを作って演奏する仲間だった。仙人はギターでしっとりとしたカントリーを歌う。みんなそれぞれ味があって上手い。
私たちにもマイクが回ってきて(実際マイクはなかったが)二人で『北の宿から』を歌った。仙人からスキヤキソング(上を向いて歩こう)の原曲の意味を聞かれたので、説明すると感激して、ギターをつま弾きながら英語で歌いだした。
肉屋のルカは部屋の隅の床に座り、ゴーゴーといびきをかいて寝てしまったが、誰もおかまいなしにみんなで大きな声で歌って踊りだした。むらやんも誘われてナチョーと踊りだし、こうして深夜2時半まで楽しんだ頃、若者グループが帰ることになり、それを潮に私たちも村まで送ってもらうことになった。
車が止めてある場所まで歩いていくと、遠くに山があって、そこの頂上にあるお城を照らす光が輝いていて美しかった。
村に戻るとバルに行こうと誘われ、では一杯だけ(その晩は私たちは一切アルコールを口にしていなかった)お付き合いしようということにし、
《バレンサの月》という名のバルに入った。お付き合いもキリがないので私たちは先に帰ることにした。
そこからホテルまではゆっくり歩いても5分だ。





