むらやんの細腕繁盛記
ここで私たちはかなりのショックを受けた。
うっかりのんびりこんな対策を練っていたせいで困ったことになってしまった。そもそもスペインを延期した大きな理由の一つがバルでの食事である。決して豪華な食事は望んでいたわけではないが、これでは最低限の飢えををしのぐことは出来てもわびしいではないか。
私たちは肩を落としながらもホテルに戻る道すがら、対策を話し合ったとき、私の頭の中に自然と浮かんできたのは、海外旅行中航空券やパスポートと共にスーツケースごと盗まれた人が残っていたカメラやウオークマンを売ってどうにか旅行を続けたという記事だった。そんな話をすると、むらやんは、
「それはいい!私たちも要らない洋服を売って商売しよう!!」 こんな時むらやんはいつでもすごい行動力が出てくるのだ。
こんな例えばの話が私たち二人となると、それが現実になってしまう。
ホテルに戻り値札を付けようということで話がまとまり、むらやんは商売人の顔つきになってきた。
まずは手際良く商品をたたんで値札をつける。それを袋に押し込んでいよいよ外に繰り出す。
露天商とは言え、生まれて初めての店を構えるのである。
村の中心の広場に行ってみると、人影が全くない。
太陽は真上に上がり、みんなお昼寝の時間なのだ。
どこの商店も夕方まで店を閉め、さっきまでの賑わいはウソのよう。
しかし商売初心者の我々にとっては好都合であった。白昼に恥ずかしい思いもなく店を開店出来るのだ。そして一番厄介な警察さえもこの時間なら彼らもどこかで涼をとっているので安心だ。
ということはお客もいないのだがまたそれもいい。
商品はあくまでもたまたま隣に置いただけという風に遠慮がちにベンチに並べた。
こうして私たちの店は万事控えめにスタートした。
スペインと言えどもこの時間帯は静かだ。
人はと言えば、数メートル先の小さな小屋でアイスクリームを売るおじさんしかいない。
ハレーションを起こしそうなまっ白いほどの風景。音はと言えば、太陽が照りつけるときに出すうなりのみ。
車も通らず虫さえも身を潜めているうような午後だった。
むらやんはにわかにバンダナを頭に巻いて本格的に身繕いをはじめた。
そのうち一人おじさんがフラフラと現れた。そして商品を買いたそうにじっと見ている。おじさんはむらやんが持っていたボールペンとノートを取り上げると商品の値段をゆっくりと一つ一つそこに書き始めた。
なぜそうするのか、今もってわからないが、推測すれば、私たちの書いた数字がスペインの書き方と若干違っていたためか、私たちに何かを教育しようと試みたのか、もしかして頭がちょっとおかしかったのかわからなかったが、私たちにとって初めてのお客さんだし、純情そうに見えたので、私たちも一緒になって愛好を崩して一つ一つの文字に頷いた。
それが一段落すると、私がギリシャのミコノス島でだいぶ前に購入したT-シャツを気に入り、試着することになった。
おじさんは着ていた物のいいT-シャツを脱ぎ、少々きつめなのもおかまいなしに袖を通
した。
むらやんと私でホメちぎって、150ペセタで買ってくれた。
幸先の良いスタートである。
一枚T-シャツが売れたことは想像以上の喜びがあったがあのT-シャツは、ロンドンのジムで汗を流す時にいつも着用していたもので、確か最後に使用してから洗う暇がなく、旅先で洗濯しようと持ち歩いていたのであった。
おじさんごめんなさい。
今回この旅行中1から10000までの数字をスペイン語で言えるようにした。これがことのほか役立って便利だった。数字というのは日常、あるいは旅行中案外煩雑に使われるもので、物の値段、時刻、列車のホームの番号、距離、など書けば済むことだが、とっさに言えたり理解できたりすると面
倒がなく、悪い人にボラれないで済む。しかも数字を声に出しただけでグーンと語学が上手くなったという錯覚に酔うことができる。
例えば、ミル・クアトロ・ノベンタ・イ・ドス(1492)などと言っているとなかなか盛り上がる。(と思っているのは私だけかもしれないが)
ここで私たちの売り物を紹介しよう。一番の売れ筋のT-シャツは二人合わせて5〜6枚ある。
ジーンズの足の部分を切断したもの。ベストやもんぺ(むらやんが小平で仕入れた)ひざ掛けなどの主力商品の他、航空会社のプラスチックのカップ、スリッパ、文庫本や壊れた真珠のネックレス(偽物)など、雑貨もある。
このおじさんが去ったあとは再び閑古鳥が鳴きはじめた。
なにしろ誰も通らないし、照りつける太陽の中、旅をしてきた疲れが出て、私は店から少し離れたベンチで商売に早くも見切りをつけ、あきらめてうたた寝をはじめた。
むらやんはあと一時間だけやってみると、粘ってくれた。
ほんの短いひととき、気持ちの良い惰眠をむさぼって目が覚めたとき、遠目で例の店に目をやれば、むらやんが熱心に商売している。
ちょうどその時はポルトガルから車で通りがかった旅行者に、日本から持ってきた文庫本を売りつている最中であった。
私がさぼっている間に商売は軌道に乗りはじめていた。
早速私もあわてて駆け寄り助手に加わった。
それを手にしているのは、インテリそうな青年で、
「日本に興味があって読めないけど文字を見たいので。」
と言ってペセタのかわりにポルトガル通貨のエスクードで気前よくお金を払ってくれた。その本とは、椎名誠の『ロシアにおけるニタリノフの便座について』
という代物であった。
その後、ワカモノ集団(15才前後)もやってきて、むらやんはお兄さん達の体に無理やり(?!)
T-シャツをあてがって、
「似合うよ、150ペセタよ!」
水を得た魚のように楽しそう。
どこからか、イチジク顔(いちじくに似た顔)のおじさんもやって来て、いろいろ話しかけてくるが全くわからない。
私たちが調子良く頷くせいか、おしゃべりにますます拍車がかかる。
そのうち、さっきのおじさんがミコノスのT-シャツを着たまま再び登場!また何か買いたそうにして商品をニコニコしながら見ている。そして今度手を伸ばしたものは私のベルトだった。
ジーンズをはいたおじさんがミコノスのT-シャツ着てベルトまでしたら、まるで私の兄妹のようになってしまうではないか。さすがにそれは止めてもらいたかった。だがあいにくベルトはのサイズが小さくて諦めてくれた。
ここでおじさんは次の行動に出た。それはまたむらやんからペンを取り、片っ端から値段を口で言いながら紙にも書く作業だ。
私たちは再びそれに付き合った。
今度はイチジクおじさんがアイマスクを買うと言う。これはスリッパとセットで100ペセタなのだが、スリッパはいらないけど100ペセタくれるというので、50ペセタで売っていたノートをおまけにあげた。
プラスチック製のカップも2つで50ペセタで売れた。
さらにいちじくおじさんは孫のために真珠のネックレスが欲しいと言う。これは壊れているから止めたほうがいいとしきりに言っても、どうしてもと言うことで100ペセタで売った。(ヘンな店だ!)
私たちは露天商の楽しさを味わってヤミツキになりそうであったが、回りを見回せば、少しづつではあるが、人々が戻って来た!普通
はこれからが商売どきなのだが、日向者(スペインの場合は逆に、日中暑くてみんながいない時間を見計らってこっそり商売する我々のような者を日向者と呼ぶ)の我々はそろそろ店を畳んだ方が良いだろうという判断で売り物をしまい込んだ。
こんなことで、地元の人と話すきっかけも出来たし、楽しい数時間(約2時間) を過ごせて大満足だった。





ミコノス島でTシャツを買った現場:むらやんも買っていた。