国境の二つの村  part2

エドちゃんたちと別れ、アトーチャ駅から夜行に乗る。
明日の朝は振りだし点のリスボンに到着予定だ。もう寝台券も手に入れた。あとは眠っているうちにポルトガルだ。
スペインとの惜別を目前にして急に名残惜しくなってきた。スペインにもう少し、せめて半日、バルで食事する時間だけでもいい、伸ばしたいのだ。
問題はRCA(学校)からの交換留学先(4週間の短期滞在)のリスボンに入る日が明日になるよう手続きをしてあったのだから、諦めるしかないのだが、念のため路線図をながめ、どのルートを通 っていくか調べてみた。いくつかの耳にに憶えのある都市の名前。深夜にそれらを通 りすぎるだけなのか。たとえ下車するとしても夜中の2時屋3時ではどうすることもできない。
では、ポルトガルとの国境に着くのは何時なのか?
朝の5時15分である。
そこで下車して、小さくてもバルのある近くの町まで引き返せばいい。国境の駅に着いたときもし疲れていたり起きられなかったら、そのまま眠ってリスボンまで行くとしよう。リスボンの学校には電話すればよい。
いつしかそんなふうに決めて眠りに着いた。 朝5時、目覚しが私たちを起こした。
私たちの緊急会議が始まった。
二人の意見は下車することで一致、さっそく支度を整え預けていた切符を取りに車掌さんの部屋にいく。車掌さんもすぐにわかってくれ、準備が整った。
まだ暗いホームに着いた時、列車に乗ったのも降りた者も私たちの他にはいなかった。車掌さんも不思議そうに見ていたし、ホームで出迎えた駅員さんもいったいどうしたの?という表情で、
「ここには何も見るものがないよ。」
と何度も心配そうに繰り返すので
「メグスタエスパニア!」(スペインが好きだから!)
と一言返すと、すべてわかったという顔でうれしそうに頷きながら納得して去っていった。
行動を起こすにしてもまだ暗いし眠たいので、待合室のベンチでもう一眠りすることにした。部屋は暖かいし誰も入ってこない、安全な場所だ。後でわかったことだが、この駅の回りには農家が二軒ほどしかなく、怪しい人がうろつくようなところではない。 昨日までの疲れも溜まっていて、8時まで眠ってしまった。

私たちとしてはこの駅に重い荷物を預けて列車が来たら乗り込んで駅前にバルぐらいある小さくても食事のできる場所まで行って、そこで最後のスペインを味わって半日遅れの夕方の列車でリスボンに入ればいいだろうと考えていた。
しかし、少々誤算があった。マドリッドヒリスボン間は24時間のうち、昼と夜行の2本しかないことは以前から周知であったが、まさかローカル線もないとは思っていなかった。つまり、この駅を通 る列車は朝私たちが乗ってきたものと、夕方のもの。そして逆方向の計4本だけなよう。
とりあえず荷物を預ける場所を探したが見つからないので駅長室に行くと、この部屋で良かったら置いてもいいと言ってくれた。
駅長さんは真面目そうな人だった。そして、ここから3Km行けば村があり、そこにはレストランもホテルも銀行もあると教えてくれた。
私たちは顔を見合わせて考ええた。
3k歩くのは少々きついがおもしろそうだ。 それならいっそ荷物も持って一泊してみようと相成ったのである。

村までの道順を何度も確かめ、掃除のおばさんまで出てきて、駅員総出で見送ってくれた。
しかし、いくら片田舎の駅でも、ここは元国境駅(今でも国境に違いないが)である。つい1〜2年前までは重要な場所で、入国審査官や警官が待機し、麻薬犬も2〜3匹いたはずである。それなのに駅前には店らしい店もなければ人もいない。バルの看板らしきものは残っていたが、店はとっくに閉鎖されているようであった。
駅を出ればあとは典型的なスペインの乾いた牧草地帯である。
道を突き当たりまで出れば、左に行けばカセレス、右に行けばバレンシア・デ・アルカンタラとポルトガル方向という標識がある。
そこを右に曲がったらあとはひたすら道なりに行けば良いと聞いている。
この道はおそらく国と国を結ぶ重要な路線で道幅も広いしきれいに鋪装されているのだが、まわりの風景はのどかな牧場とオリーブ畑だ。
しばらく行くと、コルクの木の皮がたくさん積まれている、コルク工場があった。村で退屈したらここに見学に来ようねと話した。 そのうち教会の塔が見えてきて村の全貌が徐々に姿を現してきた。期待できそうだ。
ようやく村に入ると、道は村の中心の広場につながっていた。
そこにはタクシーも何台か止まっており、賑やかな社交場になっていた。 タクシーの運転手さんにホテルの場所を教えてもらい、広場から3分ほどの、階下がバルになっている、小さなホテルに落ち着く。
前払いでホテル代を払ったら、残りが二人合わせても1000ペセタしかない。
予定外のスペイン滞在が延期になったので、充分なお金を残していなかった。 スペインの田舎なら1000ペセタあれば一食くらいはなんとかしのげても、3食食べることになったのでこれでは少し足りない。
次の日からはポルトガルなのでお金を残したくはないので、わずか1000円だけ両替することに決め、銀行に向った。
どうも長期の旅行にでるとやたらとケチになる。お金の単位が小さくなるのはその国の物価に合わせて生活するからだ。円高日本の感覚で豪勢に楽しむのも一つのやり方だが、その国の物価に合わせて生活するのが一番いい気がする。 ムラやんも日本では高給取りだったので、最初は何を見ても『安い!安い!』の連発だったが、この頃になってくると、すっかり順応して、かなりお安いものに対しても、『高い!』 なんて言うようになっていた。
私たちは1000円札を握りしめ、銀行の重いドアを押した。
銀行員のファッションはこの辺境の村にしては垢抜けている。
しかし、日本円をまのあたりにするのは初めてのような顔で、奥から分厚い百科事典のような、各国のお札が縮尺されて印刷してある本を持ってきて、照合している。 照合により、この1000円札が、1200ペセタになることが判明したのだが、その手数料に500ペセタ取られるので、700ペセタにしかならない。
それでは心細いし両替する半分が手数料でなくなるなんてばかばかしい。(10000円換えても手数料は変わらないと思うが)

作戦の立て直し(?)に歩いて2分のホテルまで戻ることにした。 私の方はそれまで英ポンドを使って両替してきたが、ちょうど1000円札もあったので、二人で2000円分換えて手数料も半分にすれば悪くない。すぐにもう一度銀行に行ってみると、今度は閉店時間を過ぎていた。

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