僕が目の前にいるのだということを、彼は最初、信じていないようだった。
「……恭弥」
名前を呼ばれ、掴まれた肩。
そこから伝わる刹那の躊躇い。……そして掻き抱かれた身体で感じた、腕の力。
「ディーノ」
今まで、声にすることの少なかった名前を、僕は唇に乗せた。
両腕の中に捕らえられ、相手の体温を熱く感じる位に強く抱き締められて、それがひどく心地良くて、なのに同時に、ひどく苦しかった。
「……もう一度だけ」
指で触れたディーノの服を、僕は握り締めた。
そうしなければ、何かが崩れてしまいそうだった。(認めたくはないけれど、僕の中には、迂闊に触れたら壊れてしまいそうな、そんな感情が確かに存在している)
だけど、僕はもう決めていた。
「逢わせてあげるよ、あなたに」
あなたにもう一度、逢わせてあげる。
この時代のあなたが想っていた『僕』と“同じ”、二十五歳の僕を。
「だから……、」
僕は、そこで、口を噤んだ。
胸の奥の、心臓のあたり――否、そのもっとずっと奥が、ずきりと痛んだ。目の奥が熱い。何だろう、よくわからない。……何か熱い、息を苦しくさせるものがせり上がってきて、僕は、それを堪えるために、ディーノの背に爪を立てた。
(――ディーノ)
声には出さずに呼んだ途端、思い出したのは、今ここにはいない――僕の出逢った、彼の顔だった。
僕は、この世界に残る。
この時代の『僕』と“同じ”になるのに必要な、『十年』だけ。
この時代のあなたに、もう一度、『僕』を逢わせてあげるのに必要な、『十年』だけ。
……だから、あなたには。
あなたにはその『十年』だけ、待ってもらう。
「……恭弥……」
だって、この時代のあなたは、こんな声で、『僕』を呼ぶんだ。
こんな声、あなたには似合わない。あなたにはこんな声で、僕の名前を呼んで欲しくない。
だから、僕は残る。
この、『十年後の未来』の世界に。
もう戻らないかもしれない『僕』を待っているあなたのいる世界に、
僕は残る。
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