ナカムラ

アメリカ海軍高速魚雷艇 PT−78   



 精密艦船模型と水遊びプラモの狭間に(魚雷艇に寄せる或少年の私的雑感)

 中村産業、通称「ナカムラ」は、我国のプラモデルの極初期の段階からプラモデルのサプライヤーとしてその名を連ねた古いメーカーです。王国広報担当が参加しているマルサン研究会(空想雑貨社長神谷僚一氏主宰)の第1回会合にお招きした元マルサンの社員であられた鈴木甲子夫氏(現童友社取締役)の話しでは、ナカムラは元々ボール紙に沢山小袋を張りつけた「甘納豆」等の駄菓子屋向け商品を作っていた会社であるという、変わった経歴を持つメーカーです。その後模型雑誌でも絶賛された精密大型自動車キットである「マーキュリークーガー」、あるいは「ホバークラフト」「ヤマハスノーモービル」のようなユニークなキット、はたまた頭から突き出したプロペラで空中を飛行する(という謳い文句だった)タツノコアニメの嚆矢「宇宙エース」といったキャラクターモデルを出しながら、プラモデルメーカーとしての評価はずっと他社の後塵を拝していた、やや影の薄いメーカーであった事は否めません。そんなナカムラがリリースした他社に例を見ない興味深いキットがこの自動方向転換機構を有する米海軍魚雷艇「PT−78」です。マルサン、タミヤ、クラウン、LS、ナカムラ、オ ダカ、ニットー、ミツワそれにミドリ、オータキと、数多くの国産メーカーが魚雷艇というアイテムをキット化していますね。中でもダラスで暗殺されたケネディ大統領の乗っていたPT−109はダントツの人気で、前述のメーカーではミドリとオータキを除く8社から9キット、更に国内で入手できた外国製キットとしてレベルとリンドバーグを加えれば11種類(情報では国内メーカーからもう1種?)という大盛況振りで、その他の魚雷艇と合わせてここに「魚雷艇」という一つのジャンルが形成されました。

 注:リンドバーグのキットは元々PT−107としてリリースされたものが箱替えとなったもの。

 さて世界に例を見ないこの我国の魚雷艇のラインナップですが、なぜ我国に於いてこれほど魚雷艇プラモが花開いたのかを考察する上で、当時のプラモ少年を呼んでの質疑応答というシミュレーションをしてみましょう。以下は広報担当と当時の少年鈴木太郎君10歳(仮名)の質疑応答です。

 (広)「夏は水プラで遊ぶ?」
 (鈴)「うん。」(今の子のように『あったり前ジャン』などとは言わない。)
 (広)「潜水艦以外の『船』だったらどんなプラモ?戦艦とか?」
 (鈴)「戦艦とかは走らせて遊ぶよりノブちゃんみたいにお金持ちの子がケースに入れて飾っておくのがいいよ。それにあれって結構沈んじゃうんだよね。だから結局その前に2B弾とか、火を付けたりしてやっつけちゃうんだ。」
 (広)「スピードレース用のモーターボートなんかは?」
 (鈴)「あれは競争させなくちゃ面白くないのに走らせる広い所がないもの。プールは先生に叱られるしね。ケイちゃんは湖に遊びに行くときに持っていったけど一発で沖に走り去っちゃったって。で、2台目はテグスを結びつけて遊んだけど、なんか間が抜けてて全然つまんなかったって。」
 (広)「(^_^;) じゃあ消防艇とかは?」
 (鈴)「売ってるの見た事ない。」
 (広)「海で遊ぶクルーザーとかモーターボートは?」
 (鈴)「プラモデルでは結構出てるんだけど、何かカッコ悪いんだよね。ただのオモチャみたいで。やっぱり大砲とか機関銃とか付いていないとサマにならないし、同じ値段のプラモなのに強そうな武器が付いていないと損した気分になっちゃうよ。」
 (広)「じゃあどんなので遊ぶの?」
 (鈴)「走らせて遊ぶなら魚雷艇とかSFボートかな。」

 と、こんな感じでしょうか。我田引水というか予定調和的な展開と結論はお許し頂くとしまして、しかしこのQ&Aはまんざらウソでもない・・・、つまり鈴木君は当時の全ての少年の代弁者ではないにしろ、少なくとも日本の魚雷艇プラモの市場を支えたユーザーグループの一つの典型であるとは言えそうです。

 戦艦のプラモデルは当時としてもやや大人びた精密模型という趣があり、遊び倒す親近感というものを子供が抱くには少々敷居が高く、さりとて船の形をして走らせるだけのオモチャ然としたプラモでは物足りない。「やっぱり強そうな武器が付いて無いと・・。」という辺りに象徴される、当時の少年雑誌で喧伝された戦闘機や戦艦や戦車といった戦記もの・兵器への素朴な憧れが、手ごろな魚雷艇というアイテムで充足されたと言うのが一つの結論です。そんな中でもユニークな存在だったのが、実寸測定で約1/106のこのPT−78です。

 

 PT−78のボックスアートです。波を蹴立てて疾駆する魚雷艇!赤い弾頭も勇ましく、発射筒に収められた魚雷。空を睨む機銃。棚引く星条旗!知らない人にはこれはこれで十分にカッコ良い構図の魚雷艇ですが、知っている人にとっては・・・う〜む何か変です。

 PT−78といえばヒギンズ社の78フィート艇シリーズの一隻の筈。キャビンの後ろに左右対称にある銃座は良し。特徴的なレーダーマストもこんなものでしょうか。艦首の機銃もあるいは装備していた事実があるのかもしれません。しかしそうして検証して行くと・・・。

 右の写真は将にこのPT−78のものです。これで御分かりのようにボックスアートの最大の違和感の原因は魚雷艇の顔であるキャビンの窓のデザインの違いです。この片側3つ、合わせて左右6個の窓はヒギンズ78フィートタイプの特徴ですから、これを外すとちょっと辛いかもしれません。インプレッションとしてはPT−109で有名なエルコ社の80フィート艇のキャビンに近いですね。実はこの魚雷艇シリーズの片割れは将にその「PT−109」なのです。

 他の資料も交えて詳しく見て行くと、78フィート艇初期のPT−70番台の船体にレーダーマストは見当たらなかったり、魚雷発射管はもっと長かったり、艦首の機銃も「???」だしと、結構ナカムラ風アレンジ満載の絵柄で、多分米海軍元魚雷艇隊員に艦番号を隠して「これな〜んだ?」と質問したら100人が100人間違う事請け合いですが、当時の戦艦以外の広義の意味での軍艦プラモデル、なかんずく魚雷艇プラモのレベルは総じてこのようなものでした。


 このキット最大のセールスポイント「自動方向転換装置」部分の組み立て説明書です。

 <3>に書いてあるギアボックスはウォームギアとクラウンギアを組み合わせた単純なもので、それにクランク軸の付いた円盤と僅かにギザギザの付いた「プラギア」をセットします。

 ギアボックスへの入力はスクリュー軸へ直結するモーターのゴムジョイントへプラギアを接触させる事で行いますが、この調整は中々微妙そうですね。一方その出力はクランクで同期を取った2枚の舵に繋がります。舵が2枚という所が非常に魅力的ですよね。
 

 キット梱包の俯瞰です。モーターと金属部品は仕切られて別個に箱詰めされていますが、これだけで箱を開けた時のユーザーに対する印象付けは格段に違ってきます。

 成形色はグレーとタンの2色。タンの成形色部品は上甲板、電池ボックスのフタの中央甲板、それに露天艦橋の3つですが、元々単純なカラーリングの魚雷艇ですから、当時としてはこれだけで十分にリアルな出来あがりを約束してくれます。

 上甲板の電池交換用の穴から覗く紙切れは、ゴムで筒状に丸められた組み立て説明書ですが、そういえばこのように筒状にして箱詰めされていた組み立て説明書は当時結構お目に掛かったのですが、どのキットを最後に姿を消したのでしょうか。今は昔、の懐かしいスタイルですね。
 

 キットの部品構成の全てです。実は姉妹品「PT−109」とはタンで成形されている部品とマークだけが違っており、グレーの部品は全く同一のパーツ構成です。そのためこのPT−78ではマストや機銃等の一部は未使用部品となります。

 マークは耐水性スライドマークではなく粘着シールです。

 それにしても不思議なのは奥(画面上)のランナー右側にシンメトリカルに配置された鍵のように見えるスイッチ部品ですが、この左側のものはPT−78、PT−109共に未使用となっています。なぜ?何故?どうして?可動式舵の機構から想像するに、メーカーは始めはこのキットをワイヤードリモコンにする構想があり、その為にスイッチはリモコンボックス上で前進後進用と左右旋廻用の二つあったのでは?と睨んでいるのですが、はたしてその真相や如何に。しかし今となっては永久に謎かもしれません。
 

 キットのギミックの心臓部、同梱のモーターとギアボックスです。

 モーターは皆さん御馴染みの「マブチ」ではなく、当時の「モーター付きキット」に散見された名も無いメーカー・・・いや失礼!、実はウェブサイト「動く模型工作ファン」の提供者である森本氏によればこれは今は無き”サハラモーター”というメーカーのものだそうです。モーター本体にはメーカー名は無く、ただ「○の中に3A」と「MADE IN JAPAN」の刻印があります。

 ギアボックスは当時としてもややチープな感じがする薄い作りで、ウォームギアの精度もイマイチですが、この部分の調整がこのキットの出来を左右する最重要課題となります。
 

 キットの機銃のモールドは全般的に甘いものの、その中で想像を絶する精度で彫刻された対空照準付きボフォース40ミリ機関砲。

 言って見れば子供の夏のおもちゃであった水遊び用プラモ(通称「水プラ」)の、僅か全長21ミリの機銃にしては抜群の出来である事はみての通りです。温故知新のオールドプラモの研究では、時としてこのような思いもかけない発見があります。この驚きの「目」でフィードバックしてもう一度キット全体を見直すと、確かに不正確な個所は多々あるものの、全体的なモールドは総じて当時のプラモデルとしては意外なほどシャープな仕上りである事に気が付きます。
 

 キットの中で王国の研究員が注目したパーツの一つであるスクリューのアップです。特に羽根部分にテーパーがついているわけでもないこのスクリューですが、羽根の形状、軸先端部分の絶妙な長さなど、魚雷艇のスクリューの感じを的確に捉えています。機関砲といいスクリューといい、何故このように一見瑣末な部分にこんなにキラリとする部分があるのか謎多きキットです。

 但し、実艇は3軸スクリューですがこのキットは他の国産キット同様1軸に改変されています。実艇通りの3軸3スクリューによるモーターライズのプラモデルといえばリンドバーグのPT−109が有名ですね。
 

 仮組したPT−78を前方から見たものです。箱絵の所で実艇の説明をしてしまいましたので、皆さんはすぐキャビンの窓の間違いに気が付かれたかと思います。窓の数は2つから3つに増えましたが、まだ6つには程遠いですね。またゴツく張り出した露天艦橋もなんだかなあです。

 いずれにしろキャビン正面の3面カットは何処から来たのでしょう?ナカムラがキット化する以前に「PT−78」というプラモデルがあって、そもそもそのキットの間違いを踏襲してしまったのでしょうか?それはそれで一つの結論でしょうが、それならその元となったキットが犯した間違いの原因は?というような堂々巡りは続きます。「よく分からなかったからテキトーに設計したんだろう!」という結論で納得できないのが王国の長所でもあり短所でもあるのですが、もしこの間違いのモデルとなった実艇があったとしたら、まずは同じヒギンズ社の70フィート艇のキャビンとの混同が考えられます。しかし巨大な露天艦橋というもう一つの大きな間違いとペアで考えると、何とキャビンだけはイギリス軍のボスパー2型(?)というとんでもない結論になってしまいました。

 とはいえこの角度から見るキットは中々の迫力で、アメリカの魚雷艇の特徴であるハードVと呼ばれる、鋭く波に食いこむV型艦底形状がよく分かります。今迄何個所か実艇との違いを述べましたが、僅か22センチの小艇とは思えないカッコ良さですね。これはおおらかなキットながらも基本コンセプトはデフォルメしたセミスケールではなくスケールモデルというコンセプトを踏襲した艇の縦横比(デフォルメしていないので縦に長い)から来るもので、例えば魚雷艇プラモの最大のヒット作であるタミヤの初期魚雷艇シリーズでは味わえないパースの効きですね。

 

 同キットのパーツ用ビニール袋についているヘッドタグです。印刷とカッティングがずれていますが、そのためヘッドタグのような小さな印刷物は、実は同一の図柄を一度に数多くプリントした後で小さくカットしているものだと言うことが分かります。

 イラストの魚雷艇は艇首に二つついた機銃と左側の連装機銃座が艇中央部についている事から、今回紹介したヒギンズ社の78フィート艇ではなくPT−109に代表されるエルコ社の80フィート艇であると判別できますね。これによりこのナカムラの魚雷艇シリーズの第1作はPT−109のほうではないかとあたりがつきました。普段は見落としがちなチープなヘッドタグでも、こうして観察すると意外に饒舌な情報提供者になってくれますよね。

 

 最後にこのキットの「自動方向転換装置」のギミックについて考察してみましょう。

 左の模式図は、上が舵の動きを示したもので、丸がクランク軸の出ているスパー(円盤)、青い部分がリンク用のロッド、黒い部分が舵で、上から赤、黄、青緑、黄の順で並んでいる「点」は其々クランク軸、ロッドの支点、舵の作用点、舵の支点(舵の軸)です。また、下の図は各舵の状態での走行の様子です。
 実際には舵は左右の2枚舵ですが、ここでは分かり易く1枚舵として描いてあります。

 (1):まずクランク軸が12時の方向の中立点を起点として回り出すと舵は徐々に右に切られ、走行する船は少しずつ曲率をきつくする所謂スーパー楕円の軌跡をとって右カーブを描きます。

 (2):クランクが3時の方向に達した時舵の「切れ」は最もきつくなりますが、リンク用のロッドの切れこみがその時のクランクの動きと同じ接線方向に近い為、暫く舵はこの状態を維持します。その時船体は円運動を続けます。

 (3):クランク軸が更に回転すると舵の切れは次第に浅くなり、6時の方向を動くときもう一度舵は中立位置に戻ります。しかしこの時は、(1)の場合よりも力点となるクランクの位置はロッドの支点に近い為、右カーブから左カーブへの舵角の推移は速い速度で行われるハズです。これを船の動きでみると円運動のサークルからの離脱と左カーブの円運動に入るタイミングがかなり早くなると予想されます。

 (4):クランクが9時の位置で取り舵(左舵)の角度は最大になります。この前後で暫くこの舵角の状態が続くので船は左カーブの円運動を行います。その後再び(1)の状態に遷移するわけですが、今度はさっきとは逆にクランク軸がロッドの支点から離れる為に取り舵から面舵(右舵)への推移はゆっくりとなり、円運動のサークルからの離脱がやや遅れ面舵への切れも緩やかに切り替わって行きます。

 (この分析ではスクリューの回転による直進方向の速度成分をしっかりと分析していないため、速度パラメーターの変化によってはもっと違ったパターンになります。)

 キットの説明では「じぐざぐに走ります」となっているものの、ジグザグ運動とは直進→方向転換時のみ一瞬舵を切る→直進→方向転換時のみ一瞬舵を切る、というシークェンスの連続でああるのですが、このキットの機構では逆に直進舵は舵を切るサイクルの中でほんの一瞬現れる位相でしかないために、分析すると上のような結果になってしまいます。しかし結果としては、ただ単純なジグザグ運動よりもこのほうが何倍も面白かった事は賛同頂ける事と思います。しかしあらゆるギミックが花開いた我国のプラモデルながら、一世を風靡した魚雷艇プラモデルの中では殆どこのシリーズだけが自動方向転換機構を有していたのは意外ですね。日本が生んだ貴重なプラモデルの一つ、それがこのPT−78です。

 

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