一光模型

クリヤータンクシリーズ Mー48


 先のM−4でもお話しましたように,我国で殆ど唯一のビジブル戦車キットであるこのイッコーモケイの「クリヤータンクシリーズ」ですが、時節至らずこの2つのキットの後には自社、他社を含めてそれに続く透明戦車プラモデルがリリースされる事はありませんでした。それは戦車に限らず、1960年代には一つのジャンルとして確立したかに見えた我国の「透明キット」そのものが、その後次々に姿を消していったのです。1970年代以降に発売されたビジブルキットは、胴体の片側だけが透明の別パーツで予備部品として付いていた田宮の「彩雲」や、旧コグレが初版をリリースし、その後バンダイから発売された「彗星」、同じく初版マルサンでブルマァクがあとを継いだ人体模型「MAN」等の、所謂再版ものを除けば、ハセガワの「F−86Fセイバー」、ニットーの「トヨタS800」、ホビースポットU(ユウ)の「BELL X−1」、変わった所では童友社の「東京ドームビッグエッグ」等僅かに散発的に出るに過ぎず、最近ではバンダイが「ガンダム」の新ラインナップにクリアーボディバージョンを加えたのが目新しいところでしょうか。しかし一世風靡の様 相であった1960年代に比べて、30年ほどの間に数えるほどしかリリースされる事の無くなったシースループラモは、決して安定した血脈を保ってきたとは言えないでしょう。

 それは一体何故だったのでしょうか。それは実は透明プラモというものは他ならぬ「精密ディスプレイキット」としてしか成立しないという、M−4の所で述べた将にその一点にあるのだといわざるをえません。

 実物の縮小レプリカであるプラモデルですが、その厳密な意味での再現性というものは容易な事ではありません。特に流麗なフォルムを持つ航空機に於いては、胴体のラインが1ミリ細いとかキャノピーラインの処理がうまくないといった僅かな違いが、見る人にとっては致命的なスタイル上の欠陥となるとまで言われています。更に難しいのは単にストイックに図面と縮尺計算によってミニチュア化したのでは、スケールバリューとしての型崩れが発生し、模型として間近に見た時に微妙に違和感が出てしまうといった矛盾をも孕んでいるのです。更に直接的には微細な表現をする為の金型技術の向上やモデル化の対象となった現実世界の「対象」のリサーチ等、作り手の目が肥えれば肥える程そのユーザーのレベルにディペンドした形でスケールモデルの供給者であるメーカーのレベルアップもされなければなりません。それは透明プラモデルのような、言うなれば奇を衒ったアプローチの寄り道に労力を費やす事を許さなかったように思えます。精密スケールモデルの進化とは、まずは何よりも正当なリアルモデルの追求という方向性をメーカー、ユーザー双方に求めるものだったのです。

 1960年代といえば、我国国産のプラモデルが産声を上げてまだ10年にも届かない時期で、当時のスケールモデルの標準は現在のそれに及ぶべくもありませんでした。そんな時代であったればこそ、「らしさ」だけで精密を売りに出来たわけですが、一旦正統派スケールモデルの何たるかにユーザーが気付いてしまってからは、中途半端なレプリカは存在する事が出来なくなってしまったのです。その命題はリアルさの一言に尽きるでしょう。つまり「模型の精密さ」とは精緻な内部再現というような方向性である以前に、まずは何よりも「存在としての本物らしさ」と同義語になっていきました。そこには既に精密ディスプレイキットというカテゴリーを標榜しても実在感が致命的に欠如する「透明なスケールモデル」などというものが幅を利かす余地はなかったのです。それはとりもなおさずプラモデルの受け手の一人でもあった皆さんが、今迄どんなスケールモデルを望んできたのかを自問してみれば明らかかと思います。

 しかし、時は満ちぬ。早くから鑑賞の対象としてあった飛行機模型とは別に、動かして遊ぶはずのものであった戦車プラモデルもまたリアルなスケールモデルという座に就いてから幾久しく。その双方共に「リアルに見る対象」としての模型の歴史は十分な程過ぎたとは言えないでしょうか。その間に例えばバンダイのヨンパチ機甲師団シリーズのように十分なクオリティを持った内部再現プラモデルもありました。それは例えば車の外観だけではなくエンジンやキャビン内部を再現する事で、存在の内部からリアルさを染み出させるアプローチであったのでしょう。それが証拠にあのシリーズは、カッティングモデルとしてのアプローチを提言したものの、遂にビジブルキットとしての展開に至る事はなかったからです。それは市場経済の原理から言えば、メーカーの主体的な意図ではなく、ユーザーの望むものがそうであったからに他なりません。しかし今我々は、更に一歩進んだスケールモデルの楽しみへ踏み出す余裕を持ち始めてはいないでしょうか。十分に精緻な内部再現を可能にするメーカーを身近に有し、戦車にしろ飛行機にしろ自ら一通りのリアルさの追求を経験し…。その先の展開の一つの 可能性は、将にこのクリヤータンクシリーズが垣間見せてくれたプラモデルならではの表現の自由な楽しみだとは言えないでしょうか?
 クリヤータンクシリーズ第2弾はこのM−48パットンです。今でこそ影の薄いM−48ですが、今から30年程前は空の零戦、海の大和と共に、リクのプラモデルの王者として君臨していたのがこのパットン戦車でした。
 パッケージで気がつくのは1/85という中途半端なスケールですが、確かに車体の全長から割り出したキットのスケールはほぼ近い値となります。

 エンジン部分、砲塔内部共に基本的な設計は先に紹介したM−4のそれと同じで、エンジンのモールドに至っては全く同じと言うおおらかさ。また、車体上部のモールドの凝り様に比べて足回りが極端にイーカゲンなのもM−4譲りです。本来片側6つあるはずの転輪がパッケージの青写真風イラストでは5つしかなく、キット本体に至っては片側4つにまで減っています。M−4ですら転輪の数は6つきちんとあったのですから、それを流用した方が良かったのでは?この経緯も気になりますね!
 パーツ分割も当然M−4ほぼと同じです。エンジンのパーツもモールドがM−4と全く同じデザインですが、そのランナーにはM−4とM−48各々独自のパーツも付いている為、金型は全く別の物である事が判ります。ビニール袋に付いているタグもM−4と同じ「M−24チャーフィー」のイラストですが、これは商品ラインナップの企画に上がっていたのでしょうか。うーむ、気になる事ばかりですねぇ。

 これもまた先のM−4に勝るとも劣らない美しさで迫る、M−48の透明パーツ群!しかもエンジンルーム部分のモールドは当時各社から山程リリースされていたパットン戦車の中でもトップクラスの出来です。ただでっかいだけで「何だかなー」なパットンが幾つもあったのを思うとき、このキットのクリアー部品のクオリティの高さは傑出していたと言えるでしょう。但し車体上部の横幅は1/85にしては広がり過ぎで、横幅だけで計算するとこのキットのスケールは1/65ぐらいになってしまいます。つまり無理矢理車体を前後に押しつぶしたような「寸詰まり」になっている訳です。多分キャタピラのデザインと大きさをM−4と同じにする為、M−4よりも前後に長いM−48を無理矢理車体の前後方向に縮めてバランスをとった…というのはありえそうです。
 もう一つ注意したいポイントはシャーシの最前部で、本来車体下部が舟艇型であるが故の車体全面の丸いカーブなのですが、このキットではシャーシを単純な箱型にした為に車体上部と擦り合わなくなり、結果狗肉の策で見るからに取って付けたようにシャーシ最前部にバルジが出ています。
 因みにシャーシ向かって右側の誘導輪シャフトが折れているのが、あはれを誘います。
 M−48のポリ製キャタピラのアップ。「M−48」の刻印部分を挟んで写真の上の側にももう一本のキャタピラが付いています。キャタピラは一番幅のある所で8ミリ程です。デザインはこれもM−4と全く同じですが、見ての通りM−48の刻印がある為、実際には2つの金型があった筈だと思われます。
 添付のフィギュア。幸か不幸かこちらはM−4と違って袋の中で全てランナーから外れていた為、一同揃っての写真撮影となったもの。立ちポーズの戦車長さんで約3センチなので、これで85倍したら2メートル50センチを超える巨人戦車クルーとなる。やっぱり人の身長換算でいけば1/60の180センチというのが妥当な所でしょうか?結構ノッペリとしてるように見えますが、これでも当時としては良く出来たほうでした。

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