日本模型

1/30完全スケール Type 61 TANK (六一式中戦車)


 国産キット黎明期の素晴らしきギミックとスケールの融合! 
 
 我プラモデルの王国は、「コンストラクションキット」でも「アッセンブリーキット」でも「プラスティックトイモデル」でもなく、あくまでも「プラモデル」あるいは「プラスチックモデル」と呼ばれる文化を一つの王国と位置付け、その際限ない楽しさを伝えようとしているのは皆さんご存知かと思います。その出生において、あるいはその成長と発展の過程において、外国製キットとの関わりは無視する訳にはいきませんが、そういったファクターも踏まえながらも、世界でも独特のプラモデル文化を築き上げた日本のプラモデルシーンをこそ語らんとしているわけです。そんな王国にとって、その名が否応も無く象徴的であるメーカーこそ他ならぬこの日本模型、通称ニチモであります。

 さてこの日本模型は単にその社名がシンボリックなだけではなく、日本の模型を語る上で欠く得べからざる実績を誇るメーカーである事も又、諸氏の良く知られる所でもありましょう。

 我国で最初の国産プラモデルが発売されて僅か翌年には、我国でもう一つの記念すべきプラモデルが発売されました。そのキットとは、ニチモがリリースした日本初の動くプラモデル「伊号潜水艦」です。広報担当も子供の時分にこのキットを作っていますが動力は勿論ゴム。スクリューはキット専用に作られたものではなく、水ものプラモデル誕生以前の子供達の夏の定番模型であったゴム動力模型用スクリューをそのまま装着した設計で、いきおい艦体のスケールに比べて異様に巨大なプロペラとなっていました。ゴム紐もその後の洗練されたゴム動力潜水艦のように船体内部格納式ではなく艦底に剥き出しのまま。巨大なスクリューのトルクで艦体が傾ぐのを防ぐために、アメンボが腹に逆さにしがみ付いたように流線型の鉛の重りがダラリとぶら下がり、艦尾甲板には工場出荷時に既に尾部にピン打ち込み状態で可動式に組み付けられた自動浮沈用の巨大な起倒式スタビライザーが張りつき。潜航舵はL字型に曲げた薄い金属板を艦首を挟んでアルミピンで貫通させ、あろうことか金槌で叩いて足側を広げ潰して止める方法!と、文章で書けばとんでもないキットだったように思われるかもしれません が、その潜水艦本体は今見ても素晴らしく流麗で、我国が世界に誇った一等潜水艦の姿を見事に捉えた素晴らしいプロフィールを持っていました。マルサンのノーチラスから僅か半年。先のノーチラスがレベルのキットのコピーであったのに比べて、全くのオリジナルとして生を受けた(しかも同じ潜水艦と言う)アイテムが、これほどまでにしっかりとしたフォルムを持ち得たと言うのは、当時の事情を鑑みるに感嘆せざるを得ません。即ちこのキットは、まず艦体ありきで、それに衣を重ねるようにして先に述べたスクリューを、バランサーを、潜舵を、そして自動浮沈用の抵抗板を設計装着して行った過程がありありと目に浮かぶようです。人形浄瑠璃の「黒子」をリアルタイムでトリミングして視覚的に”無き者”としてしまう心眼を有する日本人にとって、このキットの付属品は何程のものでもなかったと言えるかもしれません。核となる潜水艦本体の設計は、その後の星の数ほど出たゴム動力潜水艦の追従を許すものではなかったのです。

 少々わき道にそれましたが、このキットはスケール感とギミックの両立という思想において、その後の同社の方向性は勿論、我国のプラモデルというものの将来を暗示するキットでもあったわけです。

 そんなニチモが1960年代前半にリリースしたキットが、今回ご紹介するこのリモートコントロールで弾丸発射ギミックを有した「1/30完全スケール Type 61 TANK」です。
 


 冬枯れの林を突き抜け、凍てつく川を渡りながら90ミリ主砲を発射する61式中戦車の勇姿を描いたボックスアート。

 現在の商業美術作品の制作シーンではアクリル絵の具の進出に目覚しいものがあります。アクリル絵の具は発色性、耐退色性、乾燥後の耐水性に優れ、薄く塗れば透明水彩として、また厚く塗れば不透明水彩として使え、更に厚塗りをすれば油絵の具のように盛り上げたタッチを再現することが出来る優れもので、現在のプラモデルのボックスアートの世界でも広く使われているものです。しかしこのキットが誕生した、1960年代初期といえばまだアクリル絵の具が普及する前で、ボックスアートや挿絵のみならず絵画一般も含めて水彩作品は通常の不透明水彩と透明水彩で描かれていた時代です。このキットは再版時のもので、初版のボックスはおそらく別ものであった(「動く模型工作ファンのページ」の主催者である森本康生氏の証言)らしいのですが、いずれにしろこの作品はどうやらアクリル系絵の具普及以前の自然顔料系絵の具で描かれた作品であるらしく、透明水彩独特の文字通り透明感溢れる素晴らしい作品になっています。透明水彩によるボックスアートの白眉の一つと言えるでしょう。

 敗戦で全ての軍事産業を解体された我国が、その後初めて国産した主力戦車「61式中戦車」は、当時の日本がようやく独り立ちした事の一つの証しのような象徴的な一面を持っており、少年誌のグラビアでの紹介はもとより、プラモデルの世界でも日本ホビー、イッコーモケイ、イマイ、ニットー、フジミその他各社から大小のキットが発売される程の大人気でした。1966年の「プラスチック模型総合カタログ」(日本プラスチックモデル工業協同組合刊)のニチモのページには「世界に誇る傑作戦車」として広告掲載されています。
 


 キットの梱包全景。走行用ギア、弾丸発射用ギア、電池金具等の金属部品はブリスターパックに入っており、箱の中央をスラントに横切るタグと合わせて高級感を出しています。砲塔に砲身基部が付いていますが、これは王国入手時に広報担当が仮組をした為で、本来は別部品です。
 


 金属部品を除いたプラスチックパーツの全景。1/30という比較的大きなキットながらスコップやワイヤーなどのOVM(車外搭載物)や排気管カバーが車体と一体にモールドされているため部品点数は意外に少なく纏まっていますね。但し砲塔のリフティングフレーム(昇降用手すり)や予備キャタピラ等はきっちりと別部品になっており、押さえるべき所は決して外していないのは、ニチモの「几帳面さ」と「再現と省略の妙」を端的に現しているといえます。この写真でも砲身基部は砲塔にくっついたままですが(ごめんなさーい!)もともとは画面ほぼ中央のスカッと部品が抜けている所に配置されていました。因みにその下のグランドピアノの蓋のような部品は砲塔のキューポラ裏側に付く弾倉の底板です。
 

 当該キットのリモコンボックスです。左はその全体でレバー式のコントロール装置である事が一目瞭然ですね。
 右はリモコンボックスのボトムを裏から見たところ。PUSHと書いてある部分は弾丸発射ギミックのスイッチです。このキットは再版バージョンですが、初版では弾丸発射スイッチは赤いボタンであったとの事(森本さん談)。

 再版当時このキットより一回り小さい1/35のリモートコントロールタンクシリーズでも同じリモコンボックスを使用していましたが、スケールを問わず同社の弾丸発射ギミックを有するキットはこれだけであり、このタイプのリモコンボックスは部品の共有率を上げるために新たに設計されたものである事がわかります。
  


 ブリスターパックの金属部品と、もう一つ別に袋詰めされたコード、ポリキャップ、デカール、弾丸等の小物部品。ブリスターの中央下の箱型のものは弾丸発射用のギアボックスです。使用モーターは走行用にRE140×2、弾丸発射用にFA-130×1となっていますが、初版時は其々走行用はNo.25×2、弾丸発射用はNo.13×1のスペックでした。

 また、写真では左右一体型の走行用ギアは初版時には左右対称の2つの独立したギアボックスで構成されていました(森本さん談)。

 弾丸(インストでは「銀弾」と呼ばれている)は当時子供達に流行っていたギンダマ鉄砲用のそれと同じようなもの。直径は6ミリなので今のBB弾と同じ大きさで、硬質ビニールのような灰色の素材で出来ているものを銀色に塗ってあります。ギンダマ鉄砲のタマは1970年頃から樹脂製のものが一般的になってきましたが、同じ銀色でも初期のものはクレイ(粘土)を固めた黄白色の弾体を銀色に着色したもので、初版の時期には子供達は補充用としてそのタマも使ったことでしょう。

 余談ですが、ギンダマとは文字通り銀色のタマであるが故の商品名で、それがそのまま一般名称になったもの。但し、昭和30年代後半には同じクレイ製のギンダマでありながら金色に着色されたものが流通をはじめました。価格は旧来のものと同じで、商品名も多分「ギンダマ」であったと思いますが、子供心に銀より金のほうが高級な感じを受けたのを思い出します。子供達は駄菓子屋のおばちゃんに向かって大声で「キン○マ下さい!」と確信犯的に叫んでいました。

 ところで最初のクレイ製の弾丸は耐水性ではなかったため、野外で発射されて子供達に回収されなかったもの(当時の子供達は1箱50個入りで5円のタマもふんだんに買えたわけではなく、タマが尽きると「タイム!」となり、踏み潰されて使えなくなったもの以外は全部回収してまた使ったんですね)も、雨に打たれて崩れていき、やがてひとりでに土に返っていくという、今思えばとても地球に優しいエコロジーな製品でした。最近のBB弾にも分解性樹脂を使ったものがありますが、当時のギンダマ製作者にはそんな意図はなかったものの結果的に時代がそこに帰着して行くというのは感無量な思いです。
 

 
 リモコンボックスの配線組みたて部分の説明。リモコンボックス関係は組み立て説明図の第3章@〜Gの8節からなり、うち配線関係は@〜Eまでの6節を使っています。ピックアップはそのうちのB節部分ですがこれが結構難解で、こんなふうな説明が1ページまるまる続きます。1節でせいぜい2,3工程ですからちょっと馴れた人なら別段この程度の作業はチョチョイノチョイともいえますが、同じ設計のキットを説明するにしても、今ならもう少し直感的な図説が工夫されているように思います。広報担当ですら、ここはこういうふうに表現するなぁ、と思うぐらいですから。

 そういった意味で昨今のインスト、特にタミヤのそれは素晴らしく進化しているといえますが、逆にこの程度の組み立て説明なら小学生でもほいほいとこなしていた当時を思うと、今の小学生が僅か2本のリード線を配線するモーターライズ自動車プラモの組み立てが出来ないのは悲しい限りです。多分今の子供達が大人になった時、社会一般にソフトウェア関連の能力は驚異的なレベルに達するのでしょうが、機械工学的なハードウェアテクノロジーは、子供の頃からこういったフィールドで知見を培われるという下地が急速になくなっている日本では、どうも尻すぼみになっていくのではないかと危惧されます。逆にいえば今の機械工学の設計、製造の分野で中堅として支えている世代の人達は、殆どの人が多かれ少なかれこういったレベルの高いギミックプラモデルによって理論より先に感覚で工学システムというものを学んだことは想像に堅くありません。
 


 パッケージ側面の弾丸発射ギミックの解説です。弾丸発射用のギアボックスにはユーザーがスパーギアを打ち込むようになっていますが、このギアには実は円周の1/3程しか歯が刻まれていません。このギアでバネに直結したラックギア(直線歯車)を後退させるのですが、スパーギアの歯の欠如部分でラックギアとの結合がリリースされる為、その瞬間バネの力でラックギアがパチン!と前進し、ラックギアの先端についているバー(一番左下の銀弾の直下に見える白い棒)が弾倉から落ちてきた弾丸を撃ち出すという仕掛です。

 因みに、ユーザーが打ち込む例のスパーギアも、当該キットでは強度の高いポリプロピレンになっていますが、初版では普通のプラスチック(スチロール樹脂)でした(森本さん談)。

 今回の研究では当初ギミック用ギアボックスの動きを分解写真的に示して弾丸発射機構を説明しようとしましたがそれではギアの動きしか説明できません。それに比べて流石にこの説明図は全ての構造を一目で理解させてくれる優れものです。但し、砲身までカッタウェイされているため一見弾丸は主砲砲身から発射されるように錯覚しますが、実はギンダンは防楯下部に開いているから撃ち出されます。そう言った意味でもなかなか「心憎い」ギミック解説ですね。
 


 仮組状態のキット。足回り未組みたての上に写真のパースが効いている為ただでさえ大きめの砲塔が強調されていますが、フォルムの捉え方の素晴らしさが実感できる事と思います。これが我国プラモデル史の極初期、今から30数年前のキット(このキットが確認されている最古のカタログは1965年)である事に感嘆を禁じ得ません。今更ながらにニチモの傑出した技術を見せつけられる思いです。
 


 同キットのプロフィール。上下転輪シャフトとサスペンション機構の一体モールドから、既にこの当時からスライド金型による直交方向の射出成形の技術が導入されて入ることがわかる貴重なキット。ライティングの関係でサスのモールドがやや甘く写っていますが、実際にはもっと立体感のあるカッチリとした出来となっています。

 もう一つ注目して欲しいのは第1第2転輪と第5第6転輪に油圧ショックアブソーバーがついているのが再現されていることです。同じニチモの1/20「ビッグパットン」では初版時にはサスペンション機構がスプリングを使って再現されていますが、最前部と最後部の転輪のサスペンションだけがバネを2個使うよう(他の転輪は其々バネ1個ずつ)になっていました。これはキャタピラのテンションを無理矢理力でねじ伏せて戦車独自の逆台形の形に保持してキャタピラの接地圧を一定に保つ為、前後進時に最も障害物からの衝撃を受けやすい転輪の反発力をサポートする為ですが、実車でもそれは同じ(61式戦車が試作の7転輪時代からそうであった)で、それがきちんと再現されているのは嬉しい限りです。組み立ててしまうと殆ど見えないこういった部分までモールドされているという事が当時どれ程驚異的であったか、今のスケールモデルしか知らない世代の人にとって理解していただけるでしょうか?
 

 
 キット購入時にお店で包んでくれたニチモの広告用包装紙の一部。ラインナップには「AMX−30フランス」「ジャンパール」等の懐かしい1/35しリーズの他に、1/30「キングパットン」や1/20「ビッグパットン」などがまだ現役で載っています。戦車の他に大和・武蔵のラインナップ、世界傑作戦闘機シリーズ、ミュージックシリーズ、海上自衛隊護衛艦シリーズ、モデルカーレーシングホームセット、1/20・1/16のモデルカーシリーズなどが紹介されています。今となっては確かに貴重な包装紙ですが、こんなものまで丁寧に畳んでキットの箱にしまい込んでいた広報担当って、当時一体何を考えていたんでしょう…。
 因みに「ポッポ」とは小売店の広告ですが、それがどこだったかすっかり忘れていた広報担当が、タミヤファンを中心に広く模型ファンが集るメーリングリストサービスのウェブサイト「ツインスター・メーリング・リスト」のメンバーページにあるショップリストで検索すると、足立区は竹ノ塚に今でも健在のホビーショップである事が判明致しました。
 

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