日本初の商業プラモデルは何か?公式にはそれが1958年12月発売のマルサン商会の原潜SSN-571「ノーチラス号」(製品番号7001)である事を知っている人は多いと思います。では次のキットは?これも同社の「ダットサン1000」(製品番号7002)だと知る人もいらっしゃるでしょう。更にそこまでご存知の方ならそれが元々はワコーという会社のノベルティ製品だったらしい事までご存知かもしれません。そしてニチモのゴム動力「伊号潜水艦」、マルサンの小品「ボーイングB47」を挟んで1959年5月に発売されたマルサン初期の連番製品番号の最後7003…マルサン三羽烏のトリを飾るプラモデルは?
意外と知られていないその正体は、アメリカはヒギンズ社の魚雷艇「PT−212」でした。これは多分レベルの製品を参考にしたものと思われますが、わが国に於ける魚雷艇プラモデルは、ゼロ戦や戦艦大和やタイガー戦車がまだ登場する以前に、日本の市場にデビューしていたのです。
しかしその後の日本の艦船模型は、当時の戦記ブームと相俟って戦艦、巡洋艦などの大型艦船が主流になり、魚雷艇は1960年の三共の「魚雷艇」、1962年に相原の魚雷艇「シャーク」、1963年にマルサン「PT−109」(マルサンの魚雷艇3種の「ブレーブボーダラー級」「PT−8」もこの頃か?)、大滝の大型魚雷艇「PT−7」が散発的に発売されるに留まりました。
この頃までに既に日本でプラモデルが発売されてからメジャーな記録にあるものだけでも2,100を越えるキットが発売される中で、魚雷艇が6種類というのは、その後の展開を考える時、決して多い数とはいえないでしょう。 「その後の展開…」そう、1964年5月に田宮模型から魚雷艇シリーズとして「ケネディ」「ボスパー」「ボストーク」「高速9号」が発売されると、瞬く間にそれがチビッコの心を捉えたのです。
それまで軍艦模型といえば、お兄ちゃんやお父さんが作ってお茶の間に君臨して飾られていた大和、長門、鳥海などの大型艦艇ばかりで、ここにきてやっとチビッコたちは身の丈にあったカッコイイ戦闘艦艇シリーズを手にする事ができたのです。
記念すべき田宮の魚雷艇シリーズNo.2は世界で一番有名な魚雷艇PT-109。艇長は後のアメリカ大統領J.F.ケネディ。 |
タミヤの魚雷艇シリーズは当時120円。100円でも150円でもなく120円?というと今では中途半端な価格設定にも思えますが、今なら1,000円と1,200円の感覚、と言えば分かりやすいでしょうか。 それでもこの価格には値段を極力抑える意外な企業努力が隠されています。原材料費を抑えて販売価格をできるだけ廉価に設定する為に、当時の設計企画担当であった今の会長、田宮俊作氏はとある決断をします。 「船体を短く切っちゃえ。」 こうしてあの独特のズングリとしたセミスケール魚雷艇シリースが生まれたのです。
廉価キットと言っても壊れやすいスクリューと舵を軟質樹脂にして取り回しを良くし、発売されたばかりのフェライトマグネット小型モーター、マブチNo.15という強力で安い動力(No.13は100円、ベビーモーターは110円だった当時、それより大型でもNo.15の価格は90円だった)を得て、壊れにくく、水没に強い堅実な設計、そして当時としては群を抜く精密感溢れるディティールでシリーズ化された田宮の魚雷艇は、その後の日本の魚雷艇プラモデルの大発展の先鞭をつけたのです。 かくいうUMA広報担当の筆者も、当時買った魚雷艇「ケネディ」にぞっこん惚れまくり、電池が切れるまでサンウェーブステンレース流し台のシンクやヒノキのお風呂で遊んでいたのでした。
その後日本ではマイナーチェンジを含めて実に80種を越える魚雷艇プラモデルが発売されましたが、これがその後世界で一番魚雷艇のプラモデルを作った日本の先鞭をつけた、小さな体の大きな功労者でした。
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前置きがやや長くなりましたが、その田宮の魚雷艇が発売された翌年、遂に緑商会もその流れに乗った製品をリリースします。それがこの150円モーターライズ魚雷艇「PT−104」「PT−707」と、50円ゴム動力魚雷艇「PT−3」「PT−9」でした。
1965年版緑商会カタログに載った各種魚雷艇。 |
まず小さな方のキットから紹介すると…と言いたいのですが、手元にキットが無く当時のカタログ写真を元に判断することになりますがこれが良く分かりません。(笑) PT−3は垂直に立ったキャビンの窓が古風で、旧日本海軍のT−1型魚雷艇のように見えますが、戦時中の日本軍の魚雷艇は魚雷が落射型…つまり魚雷発射管による射出タイプではないのでこれには当りません。
PT−9も遮風板が屹立したイメージから一見大戦中艦艇のように見えますが、キャビン後方に銅像のようにノッソリと立つレーダーサイトから、その名もズバリPT−9、昭和29年度予算で建造された、海上自衛隊の魚雷艇「9号」型と思われます。 とすると…という事でもう一度PT−3を見ると、漁船の四角窓と見えるところを丸窓に解釈すると、これはもしかして、昭和28年度建造計画で作られた魚雷艇「3型」ではないか!結局「PT−3」も「PT−9」もそのものずばり、魚雷艇3号と魚雷艇9号とみて間違いないようです。 つまり当時、そしてその後多くのメーカーが大戦中のPTボートや戦後のイギリス魚雷艇ブレーブボーダラー級をキット化したのに比べ、緑商会はまず、自国の魚雷艇からキット化をした事になります。 ただこれは緑商会に限った事ではなく、田宮の「PT−1」、「PT−9」日東の「PT−5」、大滝製作所の「PT−7」など、海上自衛隊の魚雷艇は少なからず発売されており、これは当時の現役バリバリだった海上自衛隊の魚雷艇を各社が次々にキット化していった証とも言えるでしょう。 今度はいよいよカタログ上段に控えるモーターライズの大きいほうの魚雷艇ですが、これも謎。(笑) 実は広報担当は今から20年程前にこのキットの出自についてかなり調べた事がありました。アメリカをはじめ、入手できたPTボートの艦艇番号全てと照会し、戦後の各国の魚雷艇資料を渉猟しましたが、どうもこの型番の実艇は無さそうだとの結論に達しています。
軍用高速艇といえば魚雷艇が主流だったのは戦後暫くまでの事。兵器の世界では1950年代からミサイルシステムの進歩を受けて、小型軍用艦艇にもミサイルを武装とするミサイル艇の流れが芽生えます。
そして1967年、シナイ半島沖の公海上で、世界を震撼させる事件が起こります。エジプトのソ連製コマール級ミサイル艇が発射したP−15ミサイルによって、イスラエルの駆逐艦エイラートが撃沈されたのです。 僅か70トンに満たない小艦艇が、1,700トンを越す駆逐艦を屠ったこのエイラート事件は大きく報道され、一般の人達にも、早くもミサイル高速艇の時代がやってきた事を印象付けました。
そういう時代背景を考えた時、緑商会が単なる魚雷艇のセミスケールモデルを作ったのではなく、海上自衛隊の魚雷艇をモデライズした50円シリーズを軸足にして、同社得意のオリジナリティを発揮して世に問うたのが、このミドリ版ミサイル高速艇だったのではないでしょうか。 そう考えると荒唐無稽に採番したと思えた104と707という番号に、F−104とボーイング707という、当時航空会の花だった印象的なナンバーが見え隠れしてきます。
実艇ありと見まごうリアルなデザインは当時の子供達にとっては、現実に存在する戦闘艦艇と写った事でしょう。そしてサブリミナル効果のように刷り込まれた実在世界の特別な番号を配して、実在の魚雷艇からリアルな近未来の魚雷艇、ミサイル艇へと、ミドリは模型シーンをいざなっていくのです。
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1969年版緑商会カタログに載った高速魚雷艇シリーズ。 |
そして日本のオリジナルSFプラモデルが爆発的に花開いたが故に「奇跡の3年」と呼ばれた最後の年の1967年、ミドリのオリジナル高速艇は、ありそうでなさそうな微妙な一線を越えて、遂にミドリ独壇場のSF高速ミサイル艇へと羊の皮を脱ぎ去ったのです。それが上のカタログの3と4に当る「銀河」と「ブルーホーネット」でした。
ミドリのSFメカを語る時の大きなポイントは透明キャノピーを採用した独特のデザインで、ビートル2世、エコーセブン、キングモグラスの初期から受け継がれたデザインの血脈は、「銀河」と「ブルーホーネット」にも採用され、他に例を見ないスパルタンでスマートなSF高速ミサイル艇が誕生したのです。
参考までに、5番と6番の50円売り魚雷艇は「PT−73」と「PT−8」ですが、前者は対戦中の英国の魚雷艇ボスパー2型、後者は海上自衛隊の魚雷艇8号と思われます。
当時の現役自衛隊艦艇である魚雷艇8号はいいとして、何でボスパー2型?と唐突な感じがしますが、実はこれは当時レベルから「マクヘイルズ・ネービー PT−73」というキットが発売されていて、それをそのまま参考にした為と思われます。ところがこのキット、元ネタはアメリカのABCテレビが1962年から66年に亘って4シーズン放送した「マクヘイルズ・ネービー」という海軍コメディドラマで、これに登場した魚雷艇がPT−73だったのです。但しドラマの主な舞台は南太平洋のソロモン諸島で、だとするとPT−73とは米ヒギンズ社の78フィート艇じゃないの?と思われるかもしれません。
で、これにもまた裏話があって、終戦から17も経つとベニア板でできた消耗品である魚雷艇と言う実艇は戦闘や処分で殆ど残っておらず、僅かに残っていたボスパー2型を改造して撮影に当りました。
レベルのキットはその辺は分った上でテレビ版のPT−73(実はボスパー2型)をモデライズしたわけですが、実艇資料が殆ど出回っていなかった日本では、PT−109、ブレーブボーダラー級、PT−232等、当時の海上自衛隊魚雷艇以外の魚雷艇プラモデルは殆ど外国製プラモデルを参考にしていたため、こうした勘違いがそれと知られず横行していたのです。
PT−73に関しては、ミドリのこのキットだけでなく、ナカムラやミツワもPT−73あるいはPT−78と称するボスパー2型をキット化していたのです。
そう考えるとタミヤの魚雷艇シリーズは日本の魚雷艇2隻、ソ連の魚雷艇1隻、スウェーデンの魚雷艇1隻と、どこもキット化していなかったものを4隻もリリースしており、当時から真剣にリサーチを行っていた会社である事がわかります。
おっと、ちょっと話がそれてしまいました。
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1977年版緑商会カタログに載った高速魚雷艇シリーズのパッケージイラスト。 |
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各社から発売された魚雷艇プラモデルは、その手軽さからロングセラー商品が少なくなく、この緑商会の魚雷艇シリーズも長く命脈を保つ事になりました。上は1977年の同社カタログに載った魚雷艇シリーズのラインナップ。
1977年と言えば「銀河」「ホーネット」が発売されてから丁度10年、「PT−104」「PT−707」に至っては既に12年のお勤めという事になります。
因みに下の段の50円魚雷艇ですが、これらは既発売商品の箱換えで、「PT−830」には1969年のカタログの「PT−73」が、「PT−804」には同じく「PT−8」が入っています。箱絵似てねー。(笑)
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ミドリ版 高速艇「ブルーホーネット」の初版パッケージ。 |
参考までに緑商会の「ブルーホーネット」の初版パッケージを紹介します。
「1号艇」から、右後方を追走する僚艇「2号艇」を望む独特の構図が迫力あるパースで迫ります。
先に紹介した緑商会最後期のカタログではイラスト替えになっていますが、このポップな感じのするタッチのイラストは、初版の「銀河」版でもあったのかもしれません。
透明キャノピーのキャビンと、その上に搭載したターレットが独特の雰囲気を出しています。
時にこのキットの名前「ブルーホーネット」は、発売と同じ年に日本放映されたブルース・リーの出世作「グリーン・ホーネット」と関係があるのでしょうか。興味深いところです。
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「銀河」のキット全貌。 |
いよいよ「銀河」のキット内容の紹介です。
田宮の魚雷艇シリーズの船体より若干長目のスマートなデザインでいやが上にもカッコ良さが引き立ちます。
手際よくまとめられたパーツは2色成型となっていますが、このキット自体はユニオン版ですので、ミドリ時代のメタリックグリーンではなく、船体上部は鮮やかな赤で成型されています。
船体部品の中に入っているのは田宮の魚雷艇と同じ、電池を前後から挟むタイプの電池ボックス(電池受けパーツ)で、この辺りにも田宮の魚雷艇キットの影響がいかに大きかったかが伺われます。
画像では小さくて分りにくいですが、白いランナーの中央部には緑商会独特の強いテーパーが付いた大き目のスクリューが見えます。
田宮の魚雷艇シリーズのスクリューが直径14ミリ程度の3枚ペラなのに比べ、こちらは直径19ミリの大型2枚ペラで、プロペラの有効面積は倍近くもあります。
プロペラの取り付け角はかなり大きく、実際にリアルなサイズ(設定では13メートル)の艇では効率的とは思えない角度ですが、実は15モーターよりも更にトルクのあるRE-14モーターを使う小型模型船ではオーバーパワーで「無駄にスクリューを回している」のが実態です。これを解消してモーターのパワーを無駄なく推進力にするには、トルクを犠牲にしてでも増速ギアでモーターの回転を上げるか、プロペラの取り付け角度を大きくしつつプロペラを幅広にして、大量の水を無理矢理後ろに押し出すしかありません。その結果ミドリの水ものキットのプロペラは押しなべてこのようなデザインになっていると思われます。
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右はその「緑のスクリュー」のアップです。
実際のフネでスクリューをこのように設計すると、水を余りにも無理なパワーで押し出す事になります。その場合スクリューの後方は「押し出し力」になるのでキック力が高まりますが、水が無理矢理引っ張られるスクリューの前側では水圧が負圧となって真空中の水のように一瞬で蒸発して低温蒸気の泡になる、所謂キャビテーションが起こります。スクリューの前側の水がスクリューのマイナスの圧力についていけず、後ろに押し出される水と切り離されてしまうのです。 これは激しいパワーロスであるとともにスクリュー自体に大きなダメージを与える危険な現象ですが、逆に「銀河」のような小さくそこそこの力しかない模型ではまずキャビテーションが起こる事は無く、その分思い切った設計ができるわけです。
これは実物のフネではありえない、模型だけが許される設計だともいえますが、このあたりは元々模型飛行機のプロペラ製造から始まった緑商会の出自を思い出させます。
他に例を見ない、緑独自の設計思想に基づくスクリューの形です。
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高速艇「銀河」のアップ。 |
今度は「銀河」が「銀河」である所以のキャノピー部分のアップです。
やや前方に寄せられた戦闘室。浅い角度で立ち上がるフロントガラスと、戦闘室後部に続く流麗なラインがお分かりでしょうか。
更にそれを両側から包み込むように配置されたエアーインテークと、尾翼を取り付ける3本のミゾから、大体のデザインバランスが読み取れる事と思います。
これこそが「銀河」のラインの真骨頂ですが、方やこれをオリジナル造詣で再現するのはかなり難易度が高そうです。
最も簡単な手法は、似たようなカーモデル…ランチャストラトスやポルシェ917などから流用する事でしょうか。この辺の処理と造形が今回の「俺銀河」の最大の難所であり見せ場と言えるかもしれません。 |
「銀河」の組み立て説明図。 |
今度はインストの抜粋です。抜粋と言っても組み立て説明図の最後のコマは全部品の総覧形式組み付け図解となっているため、ここ一つで「銀河」の組み立てイメージがほぼ分かるものとなっています。
例えば田宮の魚雷艇シリーズが電池を横置きにしているのに比べ、船体幅が狭く縦長の「銀河」では電池2本を縦置きにしており、船底に近い位置まで重心を下げられるので、スリムな船体の割には安定性は悪くないと思われます。
スクリュー直径が大きい分船底とのクリアランスを確保する為にスクリュー軸は長めに取る必要がありますが、軸のバタつきを防ぐ為にスクリュー直前にシャフトホールダー(部品番号25)が付く芸の細かさです。
艦首左側に「GINGA」のマークを張るように指示がありますが、緑商会は一貫して水ものキットには耐水デカールではなく粘着シールを貼る選択をしています。
年長者にはちょっとダサく思われるシールですが、緑商会はあくまでも年少者向けの姿勢を崩さなかったメーカーだとも言えるでしょう。
この部分以前のインストでは、ミサイルの組み立て、スイッチ部分の組み立て、座席部分の取り付け、スクリューへのシャフトの打ち込みなどが説明されています。
まだCAD、CAM、パソコンによる描画などが無かった当時、このインストは全て手書きで描かれたものですが、ロットリングのような製図ペンと製図用各種定規などを駆使して丁寧に描かれた図版が美しいです。 |
2014年の水ものオフ会に展示された助手さんの「銀河」。 |
最後は昨年2014年の水ものオフ会で展示された「銀河」の完成品ショットです。
広報担当はカメラが安っぽい上に写真撮影がヘタっぴいで、申し訳ないです。
ディティールが飛んでしまってもっそりしていますが、「銀河」の完成品のプロフィールは十分にお分かり頂けるかと思います。
スマートで否応もなくカッコいい、スーパー高速艇の、これが全貌です! 嗚呼、日本人に生まれて、よかったなぁ。
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さて、ここまでミドリの魚雷艇シリーズと銀河について紹介をさせて頂きましたが、皆さんはSF高速艇銀河にどんなインスパイアをもらいましたか?これを機会にあなたも是非オリジナル銀河を作って「俺俺銀河コンテスト」に参加してみませんか。
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