俺SFメカコンテスト


動く戦車オフ会毎年恒例の俺SFメカコンテスト、2010年のテーマは…
「俺ビートル二世 or
 俺スーパービートル」だ!

★宇宙戦車「俺ビートル二世 or 俺スーパービートル」コンテスト 参加要領

 ・ミドリの往年のSFプラモデルの名作、SF宇宙戦車「ビートル二世」または「スーパービートル」をオマージュして
  参加者自身が製作したオリジナルSFメカである事。
 ・4輪(または複数個の小タイヤを放射状に備えた4組の特殊車輪)で走行する装輪式宇宙戦車である事。
 ・自走可能である事。4輪駆動が望ましいが、2輪駆動でも構わない。
 ・オリジナルデザインコンセプトに通ずる「心」がある事。
 ・市販キットからの部品流用は自由。
 ・屋内でのデモンストレーションが可能であれば、サイズや動力等に関する制約なし。
  

 さて、それではここで「ビートル二世」と「スーパービートル」に関して、作品制作の参考のために若干説明を致しましょう。

 
但し毎度の事ながら、作品制作に不必要なほどお題キットを語ってしまうので、興味の無い方は読み飛ばして下さい。(笑)



新情報入手によるリニューアル版です!
 

 ミドリの宇宙軍構想、ここに始る

 緑商会、通称ミドリは、1913年(大正2年)に開業した模型飛行機の小売商がそのルーツとされます。その後模型飛行機の木製プロペラなどの部品製造を経て本格的な木製模型メーカーとなり、1961年(昭和36年)にはプラスチックモデル業界に参入しました。
 当初は戦闘機や自動車、あるいはマンガのキャラクターキットなどを中心に発売していましたが、その中には「マンモスキング」や「ブラックエース」などのロボットものが少なくなく、同社は1965年までに9体のロボットプラモデルを発売しています。
 そのいずれもモーターで歩く(走行する)もので、このあたりにも同社がSFプラモデルに対して並々ならぬこだわりを持っていた事が伺われます。しかもその多くは原作のあるマンガのキャラクターではなく、同社オリジナルデザインのロボット…即ちメーカーオリジナルのSFプラモデルだったのです。これが日本のメーカーによるオリジナルSF(JOSF)キットの先駆けといえます。
 そして1966年7月、ミドリはマンガ雑誌「少年キング」にとある広告を発表します。

 
 「ミドリのSF宇宙戦車にすばらしい名前をつけてください」と書かれた広告には、今までどこでも見た事が無い強烈な戦闘車両のイラストが描かれ、「ブラックスター」「ビートル2世」「ムーンライト」の3つの中から、読者投票でメカの名前を決めると書かれていました。
 実はミドリは前年にも同じ手法で雑誌広告を打ち、同社オリジナルロボットである「ブラックサタン」の名前を決めています。読者投票で商品の名前を決めるという内容で少年達の興味を集め、わくわく感の中で発売を迎えるという戦術は、マンガキャラクターのような知名度を持たないメーカーオリジナルの商品をリリースする為にそれなりの成果があったと思われます。
 そして8月6日発売の少年キングには、名前が「宇宙戦車ビートル二世」に決定した事とともに、名前に因んだカブトムシのマークを付けた初版パッケージと同じイラストが掲載されたのです。
 ただし、7月20日が締め切りで翌日に抽選。続く結果発表が8月6日発売の雑誌で、その時にはパッケージイラストが出来ており、8月中旬には発売…と考えると、どうも「ビートル2世」のネーミングは募集以前に決定していたのではないか、とも考えられます。
 とまれこうまれ、記念すべきミドリのSFシリーズ第1弾となる「ビートル二世」はこうして世に送り出されました。

 その後ミドリのSF車両メカはキングモグラスを経て未曾有の大ブレイクをするとともに、キットの底流を流れるミドリの作品世界をより明確にしていく事となります。
 それはやがてJSDO(日本宇宙開発機構)という明確な設定となるのですが、そのミドリSF軍団の直接の嚆矢となったのが他ならぬこの「ビートル二世」だったのです。


画像提供:へんりーさん
 「ビートル二世」の初版パッケージ。今回の企画ページの為に特にへんりーさんに御願いして送って頂いた貴重な初版箱です。いつも御協力有難う御座います。
 キャタピラ走行するのが「戦車」で、タイヤで走るのは「装甲車」と漠然と考えていた当時の子供にとってキャタピラが無いのに戦車なんだ?という若干の戸惑いはあったものの、それを一瞬で払拭するに十分な、重厚なタイヤは将に圧巻です。
 長らく謎であったミドリ初期のパッケージアートの作者は、今では小松崎茂氏の弟子である中西立太氏である事が分かっていますが、画像を提供して頂いたへんりーさんによれば、その中西氏が最初に手掛けたボックスアートこそ、この「ビートル二世」だという事です。
 メカやバックの宇宙の透明感、そして乗員の装備から、これは大気の無い惑星での戦闘シーンではないかと感じられますが、そうして改めてこの絵を見てみると、ミサイルの発射噴流の煙は単にモクモクと上がるのではなく、真空中で急速に拡散しているように見えます。

 

画像提供:マルさん

 「ビートル二世」の雑誌広告はパッケージアートなどの迫力ある画像が中心で、キット自体の程度の良い写真は中々ありません。そこで今回、以前動く戦車オフ会に参加した貴重な「ビートル二世」の完成品画像をマルさんに送って頂きました。御多忙の中有難う御座います。
 当時のキットを無改造無塗装で作成し、更に映り込みする程に磨き上げるマルさんの作風だけに、当時のキットの無垢の様子が分かる貴重なショットです。
 殆ど塗装するという事の無かった当時の少年たちが組み立ててもそれなりに見栄えがするカラーリングは大変良く考えられていますね。
 また、このショットではキット同梱の特徴ある赤い前照灯(赤外線ライト)の様子が分かります。こういったキットに付いていた電球は、多くの場合大量生産された麦球が入っていたものですが、この「ビートル二世」はこのキットの為に特注したと思しき「熱を加えて前後に押しつぶしたような大型電球」が入っていました。
 1/35クラスのモーターライズ戦車が300円以上した当時、4輪駆動のギミック走行、電飾、レーダーの回転やミサイルの発射機構など魅力満点のSF戦車が200円で入手できた事は、メーカーオリジナルのSFキットに対する少年達のニッチを広げるのに十分な要素でした。
  

画像提供:マルさん

 次は「ビートル二世」の第2版です。
 2010年11月1日に最初にこの紹介ページを暫定版としてアップした時は分からなかった事実ですが、その後マルさんからの情報でこのイラストのパッケージがあった事が判明しました。
 そうです、当初「パラマウント版オリジナルイラスト」として誤って紹介してしまった紅白塗装車体のパッケージは、実はミドリのオリジナル版でも存在したイラストでした。
 問題はそれがいつ発売されたものかという点事ですが、1966年の最初の雑誌広告から一貫して使われていた「長円形の中に”SF”のロゴのモノグラム(組み文字)をあしらった赤マーク」がある事。逆に1968頃から一時期各メーカーのキットのボックストップに表示されていたJPM(日本プラスチックモデル工業協同組合)マークがまだ無い事から、これが2版であると思われます。
 それに伴い、当初2版、3版…と紹介させて頂いた箱換えの各版は一つずつバージョンを繰り下げ、3版、4版…と修正させて頂きました。
 ただこういった整理は新事実が出ればその都度再検討が加えられるものですので、ある意味考古学のような柔軟な判断が必要なもののようです。
 ミドリは積極的にパッケージ替えを行ったメーカーとして知られていますが、こうして時系列に整理すると
初版:1966年、第2版:1967年、第3版:1968年というのが妥当ではないかと思われます。

画像提供:へんりーさん
 次は当初「第2版」と紹介させて頂いた「ビートル二世」の第3版パッケージ。初版、第2版とは印象をガラッと変え、ポップな感じのするスピード感溢れるタッチの作品です。
 ミドリは1968年頃から1970年代初期の一時期、SFジャンルのパッケージアートの一部を一新し、このタッチの作風にシフトしました。
 好みによる賛否両論はあるでしょうが、宇宙大作戦シリーズの「エンタープライズ」、や巨人の惑星の「スピンドリフト号」、トーキング戦車「ビクトリー」や同社のカタログなど、子供心にもハイセンスな作風にシビレたものでした。
 一見リアルさに欠ける「デザイン化されたタッチ」に思えますが、ミサイルの排気炎が透明な二重構造に見えるところは、当時の米軍の記録写真などで良く見られるフレーム効果で、イラストレーターさんも意外に勉強しているんじゃないの?と思わせる部分です。
 ところで「ビートル二世」といえばやはり最大の特徴は4輪駆動するホイールのうち前2輪の車軸がクランク状になっていて、左右互い違いに繰り出される動きです。当時のプラモデルパッケージはキットの特徴をオーバーアクションで表現してアピールするのが定石でしたので、一般的には「ビートル二世」もその前輪の動きが表現されていて然るべきですが、実はオフセットされた前輪の動きをはっきりと表現しているのは、先の2版とこの3版のみで、そういった意味でも珍しい部類だと言えます。
 このイラストの作者が誰であるのかも気になるところですね。
 パッケージ側面には1967年にミドリがリリースした「スペースコマンド」「スーパービートル」「アトラス」「ビッグモグラス」のそろい踏み写真が載せられ、いよいよミドリのSFメカ最盛期が到来している事が分かります。

 

画像提供:へんりーさん

 今度は「ビートル二世」の第4版パッケージ。再度リアル志向の作風に戻るものの、初版、2版と比べても群を抜くほど写実的な作風になっています。
 コントラストを抑えた色調や遠景の山々のかすみ具合など、空気遠近法で描かれたタッチから、大気のある惑星での活動風景と思しきものになっていますが、これもSFプラモパッケージアートの、秀作の一つと言えるでしょう。
 キットに付属するフィギュアは上半身だけのドライバー1名とバブルキャノピー内の頭部だけの乗員ですが、この4版以降は、第5版、チビコロシリーズになった「スピンZ」、再版時にマンガ風イラストになった「ベビービートル」など全て操縦席の乗員が2名で描かれているのも興味深いところ。
 また、実際のキットに比べてパッケージイラストでは、多かれ少なかれ脚色があってカッコ良く描かれているのは定石ですが、正面キャノピーの窓枠やミサイルの形状など、この4版が一番独自のアレンジと解釈を盛り込んだパッケージとなっています。


画像提供:Tachikawaさん
 パッケージ画像5枚目が「ビートル二世」の最終版イラストとなります。以前紹介したバンガード同様、「ビートル二世」も最終版はエアブラシを多用した作風に変わり、使用モーターはFA−130となっています。
 泥濘化したような地表、陸と空の境界も定かでない赤い風景の惑星は、いやが上にも幻想的な雰囲気をたたえ、発射されたミサイルも空虚な飛翔をしているように感じます。
 しかしそれでもミドリの一連の最終版パッケージの中では最も印象深いものである事は間違いありません。
 この「ビートル二世」は、とある惑星に着陸した後方の宇宙船から発進した、というシチュエーションでしょうか。
 それまでのイラストが「動」とすれば、このパッケージは不思議な静けさを感じさせる「静」の箱絵と言えるでしょう。
 今度はミドリ純正からちょっと離れて、韓国のアカデミー版「ビートル2世」を紹介させて下さい。このキットは1980年代(?)に作られた製品で、少々まとまった数が日本にも輸入されたようです。因みに広報担当の私はこのキットを1992年に都内の模型店の店頭で入手しています。
 当時日本では既に入手困難であった「ビートル二世」の金型が流出したものではないか?と思われましたが、キットを比べると全く別の金型で、アカデミーがミドリの製品をコピー…といいますか、かなり参考にして作ったものだと言う事がわかります。
 一見箱絵はミドリの最終版を模したもののように思えますが、キャノピーの側面型や前照灯ガード、メッシュ型レーダーの塗装、画面後方に飛翔するミサイルなど、よく調べるとミドリの第3版のイラストをほぼそのまま左右反転させて描いています。
 更に面白いのはボックスサイドのギミック紹介イラストもミドリのオリジナルのものを反転させて流用していること(ミドリの第3版のボックスサイドイラスト参照)です。ただし画力はかなり「残念」なレベルで、特にボックスサイドのイラストは昭和30年代の安いメンコのようなチープなタッチです。
 初代の「ビートル二世」から使われている車体側面のカブトムシのマークもテキトーにに描かれていて、ムシに変身したクレヨンしんちゃんのようで微笑ましいです。

 「ビートル二世」は箱絵5版目で販売に幕を引きますが、その後動力部分が金属製プルバックゼンマイに変わり、チビコロSFシリーズのbRとして再版されます。
 タイヤもチープな樹脂製となり、駆動しない前輪は直線シャフトとなって「ビートル二世」の最大の特徴であった”のしのしと歩く”ようなギミックはオミットされました。
 箱絵も年少者というよりは幼児向けの単純なものになり、かつて少年達を熱狂させた強力無比なSF戦車としての面影は消えています。
 この箱絵を見る時、メーカーの栄枯盛衰の悲しさを禁じえません。
 「スピンZ」の発売は1976年ですが、それから1年半後の1978年2月、社長の草野次郎氏の健康上の理由により、緑商会は静かにその幕を閉じる事となります。

 ここでちょっとその「スピンZ」とアカデミーの「ビートル2世」のボディを比較してみましょう。「スピンZ」はギミックと車輪、そして成型色以外はほぼオリジナルの「ビートル二世」そのままですので、これを比べる事は本家とコピー版の比較になります。
 両者とも車体サイズはほぼ等しいのですが、こうして見ると流麗な「ビートル二世」に比べてアカデミー版はズンドウでエッジが立っており、全くの別物である事が一目瞭然ですね。
 キャノピーの形や前照灯の両脇につくライトガードなどから、アカデミー版はミドリのキットを参考にしながらも、細部のアレンジはミドリ第3版のボックスアートを真似てモディファイしているのも分かります。
 またパーツ分割も違っています。ミドリ版は微妙な車体ラインと車体側面のハッチなどのディティールを簡単に再現する為に車体上部は左右分割になっていますが、アカデミー版のボディーは単純に上下二分割となっており、その為に金型の抜けの制約でオミットされたハッチなどのディティールは、別パーツとして準備されています。


画像提供:3枚ともTachikawaさん
 次なる「ビートル二世」関連キットの紹介は、ミドリ初期のSFシリーズの特徴でもあるベビーシリーズです。
 このベビーシリーズには「ベビービートル」「ベビーモグラス」「ベビーバンガード」「ベビーエコー」の4つがあり、年少者向けの商品として人気を博しました。
 このシリーズも1976年にはマンガチックなイラストに様変わりししたものの、日本中のチビッコの身近な友達として長く販売が続けられました。
 簡略化されたパーツ分割ながら夫々の兄貴分たるオリジナルキットの特徴を良く押さえた名シリーズです。
 以前、プラモデルや玩具に造詣の深いUMA会員の一人であるニューヨーカーさんと模型談義をした時に「こうした年少者向け玩具プラモデルでは、小さな子供が”手遊び”できる丁度良い大きさというものが重要なんです。」という興味深い話がありましたが、このベビーシリーズは将に年少者の掌(たなごころ)にすっぽりと入って感触を楽しみながら遊べる優れた玩具だったのです。
 そう考えると、ゼンマイのようなスピード感ある動力ではなく、手押しでそこそこ自走するフリクション動力というものが、単に安価だと言うメーカーサイドの都合だけではない、子供の側からの要請でもあった事が伺えます。

画像提供:マルさん

 「ベビービートル」の初版は写真箱ですので、一応の内容は判別できるのですが、あらためてマルさんから「ベビービートル」の完成品画像を送って頂きましたので、それも紹介させて頂きましょう。
 上のパッケージ裏側の組立説明図でも分かる通り、大変シンプルな部品構成で成り立っている「ベビービートル」ですが、完成品画像を見ると、兄貴分の「ビートル二世」の特徴を良く捉えている事が分かります。
 このミニモデルは、前照灯、大型キャビン、メッシュ型レーダー、観測用キャノピー、ディッシュ型アンテナ、そして連装ミサイルと、「ビートル二世」の持つ特徴を記号化して全て盛り込んでいる事が良く分かるショットです。
 ところで、「ビートル二世」の次に発売された「エコーセブン」「キングモグラス」以降のミドリのメカの共通した特徴の一つに、空想科学模型でありながら誇らしく日の丸のデカールが付いている点が挙げられます。前述したようにミドリはその後このコンセプトをより明確にして、JSDOという日本の宇宙開発組織を作り上げるのですが、「ビートル二世」がキット化された時点ではまだそれは明確にはなっていませんでした。
 しかしこの「ベビービートル」ではその自社の宇宙開拓史を遡上するように、しっかりと日の丸が描かれているのが興味深いですね。

画像提供:ニューヨーカーさん

 さて、「ビートル二世」のキット紹介の最後を飾るのは、カナダ(?)のパラマウント社が製品化して北米地域で販売したSOLAR SHIP”BEETLE II”です。
 同じように日本製のキットを欧米向けにパッケージングして主に米国向けにディストリビュートしていた会社にUPCがありますが、UPCのキットがモーターなどの動力部分をオミットしてドンガラのディスプレイ商品として販売されていたのと対象的に、パラマウント社のこのキットはモーター付き動力キットとしてオリジナルと同じギミック内容で発売されていたのが特徴です。
 但し左上のイラストのギアボックスは「ビートル二世」のものとは違っており、モーターもマブチ15ではなくサハラモーターのようなものが描かれています。
 あらためてこの国内版第2版のイラストを使ったパッケージを眺めてみると、ドイツの戦車兵のように描かれているドライバーがカッコイイです。
 先ほどの考察ではこの元となった第2版が1967年ごろと考えられ、その頃は毎年のように箱替えで再版していた事を考えると、このピンポイントのイラストを使用したパラマウント版も1967年からそう離れていない次期に商品化されたと考えて差し支えないでしょう。
 余談ですが、「AUTHENTIC SCALE MODEL KIT(本物のスケールモデル)」と書いてあるところが面白いですね。
 ニューヨーカーさん、画像提供有難う御座いました。

 ミドリ最盛期の弟分甲虫「スーパービートル」

 1966年の「ビートル二世」で始ったミドリのオリジナルSFメカの大攻勢は、翌年の1967年に最初のピークを迎えます。この年にリリースされたオリジナルSFキットは宇宙パトロール戦車「バンガード」、地中戦車「ビッグモグラス」、宇宙戦車「アトラス」、宇宙探検車「スペースコマンド」、ロボットシリーズ「ワンダーロボ」、怪獣艇「スチールモンスター」、陸・海・空万能艇「マーキュリー」と「プラネット」という錚々たるもので、「ビートル二世」の弟分、宇宙戦車「スーパービートル」もこの年に発売されました。
 それでは「スーパービートル」の紹介を、御覧下さい。
 いつもこのページ作成時に御協力をお願いしているTachikawa館長、今回も御多忙の中画像提供有難う御座いました。
 

画像提供:Tachikawaさん
 ドリル、4本キャタピラ、体当たり攻撃用のカッター、陸海空の3通りで遊べる性能と、ミドリが発売するSFキットはその全てが他に例を見ない突出した性能を具現化して、SFプラモ少年達の度肝を抜きましたが、この「スーパービートル」もその例に漏れず奇怪な走行装置を有して子供達の前に出現しました。
 放射状の4つのタイヤを有するホイール4組で走行するこのSFビークルは、将にあの「ビートル二世」の血を引くオンリーワンのメカだったのです。
 車体の風貌は流麗だった初代とは大きく変わり、ドイツのsdkfzシリーズの装甲車を連想させる、無骨な直線だけで構成されるスタイルとなり、カブトムシというよりはバッタに似たフロントマスクは、より凶暴さを増したインプレッションを持っています。
 また、ミドリのSFキットは(車体上部が空気室となっている水陸両用戦車を除き)全てが透明キャノピーを有しているという特徴があります。これは今まで余り言及されていなかった点ですが、虚構のSFメカながらきちんと車体内部が設定されている事を示す「説得力」の効果は大きく、こういったところにもミドリのSFメカの魅力があるように思われます。

画像提供:Tachikawaさん

 次に「スーパービートル」の完成品写真を御覧下さい。これは記念すべき第1回目のシングル戦車レースに参加したあの車体です。
 並走するM4が90度コースを外れてこの「スーパービートル」に体当たりをした場面では「大事な日本の至宝に何をするんだ!」と一斉にブーイングが起こり、全員一致の動議で両者左右のスタートラインを入れ替えて競技が仕切り直しされたと言う逸話が残っています。
 その後ゴール直前まで迫りながら、ジオラマセットの鉄条網でスタックして遂に停止したものの、持ち前の不整地走破能力を十分に証明しました。
 こういう謳い文句に嘘の無い確実なギミック性能こそ、ミドリのSFメカの人気を支えていました。
 単純なエッジで構成されながら面取りはかなり複雑で、いかつい昆虫がそのまま巨大化したような車体デザインは今も色褪せないカッコ良さを持っていますね。

画像提供:Tachikawaさん

 今度は同じ車体を右から撮ったショットです。これで側面形が良く分かり、車体と各ホイールのバランスも把握できます。
 予備を入れて17個あるタイヤは、パッケージイラストでは普通の自動車の空気入りタイヤのように描かれていますが、キット自体は戦車の転輪のようなホイール部分にゴムの接地部分をはめ込む設計となっています。
 またそのゴム部分はパーツとしては17個付いているわけではなく、長い筒状に成型された1本のゴムパイプの形で同梱されています。ユーザー自身がそれを17個分”輪切り”にして切り出すという手順を取っているわけですが、これでメーカー側の負担は大きく軽減されたと思われます。
 ユーザーにとっては一見メーカーの手抜きのようにも思われますが、当時のプラモデルブームを考えると1回のロットで生産する数は現在の10倍ぐらい…2万から3万個(?)はあったと思われ、50万回分の輪切り作業が工程から排除された計算になります。
 メーカーと言っても小さな町工場が階層的に集まって分業でプラモデルを作っていた当時、中小企業の製品製造工程から50万回分の手作業が無くなった事は非常に大きなメリットだったでしょう。

画像提供:Tachikawaさん
 さて、上で紹介させて頂いた完成品のマークにお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、これは実は純正の「スーパービートル」ではなく、再版になった「アポロ月面探検車」を組み立てたもので、その為にデカールはUNITED STATES版が使われています。キットの発売は1970年代前半の事と思われます。
 空想科学の近未来であったSFプラモデルが、今ここにある現実であるアポロ計画の衣を借りた時、大型ミサイルがどこと無く不穏なものに感じられるのは私だけでしょうか。
 他の宇宙戦車などにはない無人偵察艇のようなフォルムをしたデザインに、ちょっとだけ安堵します。
 世界を驚かせたアポロ月着陸のニュースと、それが雄弁に物語る現実を子供達が知った事は模型界にもインパクトがあったようで、国内ではアオシマやタミヤがアポロ計画のスケールモデルを出してそのブームに応えたました。
 ミドリもその例に漏れず…と言いたいところですが、本来独自のSF世界を作り上げたミドリにとってその流れはある意味逆風とも言え、こんな形でちょっとだけ時代に合わせてみた、というところでしょう。

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