俺SFメカコンテスト


動く戦車オフ会毎年恒例の俺SFメカコンテスト、2013年のテーマは…
地中戦車「俺モグラス」だ!

★地中戦車「俺モグラス」コンテスト 参加要領

 ・ミドリの名作である地中戦車「モグラス」シリーズをオマージュして、参加者自身が製作したSFメカである事。
 ・モグラスだけでなく、当時各社から出ていたメーカーオリジナルのドリル戦車に因む作品も大歓迎です。 
 ・自走可能である事。
 ・「モグラス」シリーズの最大の特徴である回転ドリルは必須とし、その他オリジナルに通じる「心」がある事。
 ・市販キットからの部品流用は自由。
 ・屋内でのデモンストレーションが可能であれば、サイズや動力等に関する制約なし。
 ・オリジナル版の「キングモグラス」など、当時のドリル戦車による景気付け参加も受け付けています。
  
(俺SFメカコンテストのシール貼付投票はスクラッチ作品のみです。オリジナルキットの参加作品は一般の
   ビジュアル、テクニック、ヒストリカル用の投票用紙で評価して下さい)

 さて、それではここでテーマの元となった地中戦車に関して、作品制作の参考のために若干説明を致しましょう。

 
但し毎度の事ながら、作品制作に不必要なほど語ってしまうので、興味の無い方は読み飛ばして下さい。(笑)
 
実在不能のリアリズム その名は ドリル戦車!

 人類は産業革命以来、蒸気機関車、自動車、艦船などの移動用マシンを次々に発明してきました。やがてそれは潜水艦や航空機や宇宙船などに進化して、それまで人の立ち入れなかった領域すらも次々と自らの版図に組み入れる事に成功しました。それは将に「空を飛びたい!」「海の中を進みたい!」といった、こうありたいと願う夢のビジョンを科学技術という手段で獲得してきた歴史でもあります。
 しかしまだたった一つだけ、古くからビジョンはありながらも人類が征服できていない領域の移動用マシンがあります。それが地底戦車です。地下を掘り進む機械という点では、日本が世界に誇るトンネル掘削用の坑道掘削マシンがありますが、これはあくまでも時速8m程度の土木機械であり、それ自体が地底を自由に走り回るという”乗り物”は、未だ人類は手にしていないのです。
 単に地下に穴をうがつというだけでも膨大な労力とエネルギーを要する作業であり、一個の乗り物が強大な地圧に抗しながらそれ自身が携行できるエネルギーだけを使って自在に地中を進むというアイディアは、実は見果てぬ夢なのかもしれません。
 しかし…。

 1914年に連載の始ったエドガー・ライス・バローズの名作「地底王国ペルシダー」には「ironmole(鉄モグラ)」と呼ばれる地中試掘機が登場します。これがきちんとした形で語られた初めての地中移動用ビークルと言われています。
 我が国では戦前から小松崎茂らが雑誌「機械化」などで地底戦車のイラストを、また海野十三が1940年に小説「地底戦車の怪人」を発表していますが、初めて十分なデザイン学的見地から地底戦車の検討がされたのは、その海野が1941年に発表した「未来の地下戦車長」における地下戦車であると思われます。
(これはネット上にて無料で読む事が出来るので、是非御一読をお勧めします。因みに私事ですが、中学生の時に物置で発見した戦時中の少年雑誌でこの「未来の地下戦車長」を読み、大変衝撃を覚えました。)

 一方映像作品として地底を進む乗り物がリアルな動きで登場するものは、我が国では1963年の海底軍艦の「轟天号」が最初で、その後サンダーバードの「ジェットモグラ(1966年登場)」、ウルトラマンの「ペルシダー(1967年登場)」、ウルトラセブンの「マグマライザー(1968年登場)」と、地中ビークルが次々に映像化されて当時の少年達の目に飛び込んできました。
 一方お茶の間でそうした映像作品の洗礼を受けていた当時の少年達は、時を同じくしてブラウン管の向こうではないリアルな実世界で、もう一つの地中戦車の洗礼を受ける事になります。これこそがミドリが1966年に世に問うた名作、地中戦車「キングモグラス」でした。

 


キングモグラス初版パッケージ 画像提供:へんりーさん

 当時の小学生達で地底王国ペルシダーの原作に親しんだ方は殆どいなかったと思いますが、キングモグラスが発売された1966年といえばあの文化的衝撃を受けたサンダーバードの初放送の年でした。
 最初にサンダーバードにジェットモグラが登場したのが放映間もない1966年の4月24日の番組第二話で、ミドリのキングモグラスが発売されたのが半年後の11月である事を考えれば、サンダーバードが商品化の動機付けに大きな影響を与えた事は否定できませんが、欧米の地中戦車のデザインがペルシダーの「アイアンモール」や「ジェットモグラ」の本体部分、あるいは最近では映画「ザ・コア」に出てくる地中船「バージル」が、地中トンネルを効率的に進むために無駄な突起の無い棒状(ヘビ状)の形状をして居るのに比べ、このキングモグラスはもっと分りやすい、戦車にドリルを付けたシンプルなスタイルでした。
 これは当時の子供心にも一見キャタピラや外部搭載ミサイルが「邪魔じゃね?」と思われたものの、それはお互い決して口にしないのが昭和模型少年の粋というもの。
 プラモデル屋の店先で玉石混交の商品が揃ってばんばん売れていた当時、キャタピラキットが完成しても走らないなどというのは当たり前。そんな”当りプラモ”と”外れプラモ”が同居していた時代に、このキングモグラスは完璧な走行を見せてくれました。しかも単に走るだけでは無く、ドリルまで回転!更に、先行したミドリのロボットプラモデル「ボナンザ7」に端を発し、同社SFビークルの兄貴分「ビートル2世」でも踏襲されたミドリお得意の豆電球(ムギ球)による発光ギミックとミサイル発射機能まで付いて300円。どうだ持ってけドロボー!(でもモーター電池は別売りよ)といったこのエポックメーキングなSFプラモデルは、日本中で爆発的に売れたのでした。
 プラモデルという商品の面白さ、カタログデータ通りに動く事のメーカーに対する安心感、そしてあの理論に先行して子供達の感性に訴える商品デザインの分り易さは、ここにJOSFが独自に確立したドリル付きクローラーという和製地底戦車のスタンダードデザインを生み出したのです。
 少年達は早速砂場で、降り積もった雪でドリルの威力を試しましたが、すぐにドリル性能自体はギミックが具現する能力の範疇ではない事に気がつきます。それは単に当時の非力なモーターと電池のアンダーパワーのなせる業ではなく、どうやらこの地底戦車のデザインには、実在が許されない物理的壁があるようだという諦めにも似た確信が芽生えます。
 しかしその一方で衒(てら)いの無い直球勝負のデザインは少年達の心を鷲掴みにし、回る、走る、光る、、発射するという現実のギミックは、自分の手の中にドリル戦車が実在するという実感でした。
 この「二つの現実」はある意味少年達に、現実世界と決別した上で純粋でリアリティ溢れるSFプラモデルという新世界を提示したといえるでしょう。

 

 その後モグラスは更なる進化を続けることとなります。
 以下は2012年の「俺アトラス」の企画紹介ページに記載したミドリSFシリーズの一覧表から、モグラスシリーズの部分を抜粋したものです。
ミドリSFシリーズ 地中戦車 キングモグラス 1966年11月
ベビーSFシリーズ ベビーモグラス 1967年8月
ミドリSFシリーズ 地中戦車 ビッグモグラス 1967年11月
ミドリSFシリーズ 地中戦車 ジュニアモグラス 1968年7月
ミドリSFシリーズ 万能地中戦車 ウルトラモグラス 1968年11月
 単発でメーカーオリジナルのSFプラモデル、所謂JOSFキットとして地中戦車を発売したメーカーはありますが、一社でこれだけの地中戦車をシリーズ化してリリースした会社は世界でもミドリ商会だけでした。
 それだけでなく、映画作品、TV作品を含めた原作ものメカにおいてさえ、ドリル戦車をプラスチックコンストラクションキットとして発売したのは世界でも本邦だけで、こうして当時の日本の模型少年達は世界で唯一、三次元の動くドリル戦車を手にした幸運な存在になりました。


少年画報1967年2月26日号雑誌広告より

 キングモグラスの11月発売という時期は明らかにクリスマス・正月商戦を狙った主力商品の意気込みでしたが、発売から3ヵ月後の1967年2月の雑誌広告にもまだまだ堂々の広告トップを続けています。
 先ほど戦車にドリルを付けただけのスタイルと書きましたが、実はキングモグラスの本体はドリルの最終直径とほぼ同じサイズの円筒形が基本で、そこに無理なく走行させるために余裕を持ったキャタピラを装備したものである事が分るアングルです。
 部品点数は極力少なく設計されたキットですが、ギアボックスを納める制約から、車体下面はボックス状にならざるを得ませんでした。そのギャップをサラリと埋めるドリル下部の排土スリット(?)が手を抜かないミドリ設計陣のセンスの良さを物語っています。時代を感じさせるシンプルなスタイルながら、全体に気配りの聞いた破綻の無いまとめ方の巧さがミドリSFキットのもう一つの魅力と言えます。
 海野十三等に端を発する明治以来の日本のSFメカ志向については折に触れて述べていますが、我々が少年時代にミドリのキットを手にして感じた驚きと感動は、将にこのキットを企画設計した当時のおじさん(ミドリの社長草野次郎氏か?)が若き頃に親しんだ、日本の空想科学文化黎明期の影響を色濃く反映している事は間違いありません。
 このキングモグラスは、過去から脈々と受け継がれた、和製空想科学の正当な継承者と言えるでしょう。

 
 

1969年ミドリのカタログから

 1967年の「バンガード」発売に続き、当時のミドリSFシリーズの四天王が年少者向けのフリクションキットとして発売されました。
 いずれも掌に乗る可愛いキットでしたが、全て兄貴分のオリジナルデザインを忠実に再現した可愛い二枚目でした。
 部品点数も少なくギミックもフリクション走行のみだったものの、全て透明部品とデカールが付くもので、決して子供だましではないメーカーの真摯さが伺えます。
 このシリーズでもキングモグラス(ベビーモグラス)は大人気で、いつも一番に売り切れていたように記憶しています。

 

ビッグモグラス初版パッケージ 画像提供:Tachikawaさん

 そしてキングモグラスから丁度一年後の1967年11月、次の年末年始商戦に向けてミドリが自信を持って送り出したのがこの「ビッグモグラス」です。
 モグラスシリーズの直系の次男に当る彼は、胴体部分はキングモグラスの円筒形胴体の基本設計を踏襲しながらキャノピーを車体後部に移し、空いた前部スペースに設けた格納庫からパトロール艇が自動発進するというギミックを備えていました。
 大型化したドリルと幅広のキャタピラでマッシブな印象を与え、車体後部の巨大なエグゾーストパイプはいやが上にも内に秘めた強大なパワーを感じさせる、モグラスシリーズベストのプロポーションを誇っています。
 毎度ミドリのパッケージで言及してしまうのが主役メカの手前に配置された敵兵で、こ構図は主役メカの強力さと、戦場の動きのある風景を最大限に演出しています。
 核爆弾の原子雲をバックに絶望的な戦いをする生身の敵兵だけでなく、その戦場を跳梁するビッグモグラスでさえ、勝者の予感から見放された雰囲気を感じさせます。黙示録の「終わりの闘い」を髣髴とさせる、勇壮で陰鬱な未来戦が少年向けプラモデルパッケージであったのは、今ではまず考えられないでしょう。光瀬龍の「戦場二二四一」のような救いの無いシーンは、あるいは冷戦真っ只中だった当時の社会に流れる通奏低音である、第三次世界大戦への不安の具現化だったのかもしれません。
 さてここでキットのお話に戻りましょう。パトロール艇格納庫とキャノピーの配置は、ギミックに供給するパワートレインをギアボックス周辺に集中させる為のデザインだと思われますが、突起の付いた回転円盤1枚で格納庫扉二枚の開閉と発射台上下、そしてパトロール艇を自動発進させるその手際の良さには今更ながらに感心しますね。
 ミサイルの単純な自動発射ではなく、ハッチ開放→ランチャーせり上がり→ミサイル発射というシーケンスは「さあ、一連の動作が始るぞ!来た!やった!」という見せ場であり、やがてこのドラマチックギミックは後にウルトラモグラスやトーキング戦車ビクトリーにて最高潮に達する、ミドリ独壇場の劇場型ギミックキットに繋がるのです。
 一方、ミドリのモグラスシリーズの足回りは、長兄のキングモグラスがシングル走行でもキャタピラにセンターガイドが付いた二枚合わせの起動輪と転輪だったのに比べ、このビッグモグラス以降はシンプルなタル型一体転輪に変っています。これはキャタピラが外れそうになるとゴムキャタピラの張りが効いて車輪の赤道線にキャタピラを戻すもので、外れそうになった側のテンションが弱くなる一方、中心に寄ってきた側のテンションがきつくなって自立的にキャタピラの外れを補正します。一見心許ない仕掛けのようですが、一貫して1モーターによる直進走行だけに特化したミドリの戦車は、これを採用する事で年少者の組み立てと設計自体の負荷を効果的に減らしています。
 

ジュニアモグラス再版パッケージ 画像提供:Tachikawaさん

 そして更に半年後、モグラスシリーズに打って変わって小型の可愛い弟分が登場します。
 ミドリのSFキットには「原子力自動車エコーセブン」「宇宙艇スーパーアロー」「宇宙カー クーガー」など優れたギミックを持ったゼンマイキットがありますが、ゼンマイでキャタピラ走行するドリル戦車はこのジュニアモグラスだけでした。
 しかしその特殊設計ゼンマイは強力確実な作動をする優れたもので、当時単純に走行するだけのゼンマイ戦車ですらまともに走らなかったものが少なくなかった中、このジュニアモグラスは確実な走行だけでなくドリルまでキチンと回る上、更に車体中央の回転カッターまで回すというとんでもないスーパーメカだったのです。
 正直「ミドリの今度のドリル戦車はぜんまいかぁ。」と微妙に落胆した少年達も、安価でモーターも電池も別買いする事無くいつでも遊べたこのキットに、思いがけない親近感を覚えたものでした。
 たった一つ残念だったのは、この頃「スピンドリフト号」などでも採用されたプラ製のネジマキが弱く、すぐに内側の四角い穴が磨り減ってゼンマイが巻けなくなるというアクシデントがありました。とはいえ当時の模型少年達はゼンマイ自動車などの残骸としていくつも規格化されて同じ内径を持つ金属製のネジマキを持っていたので、あまりダメージは無かったかもしれません。
 ジュニアモグラスは電動で無いだけに定番の電飾ギミックはありませんでしたが、ミサイルがきちんと発射できた点は子供達に対してミドリが約束を果たしてくれたようで、同社の誠意のようなものを感じますね。


ウルトラモグラス初版パッケージ 画像提供:Tachikawaさん

 そしてモグラスシリーズが迎えた3度目の年末年始商戦に出撃したのは、モグラス最終進化形にして最大、最強の万能地中戦車「ウルトラモグラス」でした。
 全長325ミリのこの怪物地中戦車はミドリのオリジナルSFシリーズでは唯一押しボタン2つ(=モーターは1個)の有線リモコンボックスによる操縦方式でした。
 モーター正転時はドリルとレーダーが回転して前進走行をしますが、モーター逆転時はバックするのではなくギアが切り替わって走行モードからギミックモードになり、パトロールランプが回転しつつ後部格納庫ハッチが開いて内部の回転円盤がビューンと発進!そしてその後ハッチが元のようにゆっくり閉まるという、今考えても子供向けプラモデルの域を遙かに超えた、ウルトラプラモデルだったのです。
 しかも重要なのは、当時小学校4年生だった筆者が作っても全てのギミックが確実に作動した事実です。戦後から完成品トイでは様々な超絶ギミックを持つ動く玩具が作られて子供達の友になっていましたが、このキットは「子供が作っても超絶ギミックを持つオモチャが完成する」という点で、日本工業史にに記されるべき快挙です。カタログデータによるギミックの売り文句だけでなく、こうした隠れたポイントもまたプラモデルにとっては優れた「性能」といえるでしょう。

 先に紹介したビッグモグラスがこのミドリ劇場型ギミックの嚆矢ではありましたが、一人で走行しながら勝手にパトロール艇を自動発進させる挙動を繰り返した(なので一度パトロール艇を発射してしまうと、何度も空の格納庫を開いて「ほらー、なんにも無いー」「ほらー、なんにも無いー」みたいになっちゃう(笑))のに比べ、このウルトラモグラスは操縦者の意図によって走行を止め、じっくりと円盤宇宙艇発射ギミックを開陳するという点で、見せる劇場型ギミックのレベルを上げたのです。
 いわばこれは操縦者のチビッコ自身が指令を発し、ウルトラモグラスがそれに応えてミッションを実行するという、参加型SFギミックといえるでしょう。多分日本中でこのキットを手にして完成させたチビッコオーナーは、友人を集めて繰り返しこのウルトラスーパーギミックを披露していた事と思われます。今と違って当時のプラモデルのショット数が桁違いだった事を勘案すると、おそらく数千人規模でこの劇場型ギミックのお披露目が繰り返し、繰り返し行われていた事は想像に難くありません。

 ウルトラモグラス発売直前まで放映されていたウルトラセブンのウルトラホーク1号発進シーケンスで出てくる「フォースゲート オープン、フォースゲート オープン。」「クイックリ!クイックリィ!」「プル ザ スロットル!」「オーライ、レッツゴー!」という管制アナウンスは、当時何を言って居るのか分らなかったものの、ミョーにカッコよく印象的でした。それと同じ感動がウルトラモグラスを操縦する自分の手の中で進行しているという高揚感は、もしかしたら今の子供達には伝えられない「モノが無かった時代の先進のなりきり遊び」だったのかもしれません。

 年末に起きた三億円事件の続報が冷めやらず、大学紛争はいよいよ激しさを増し、水前寺清子は365歩を何度も歩き、スターかくし芸大会がまだ新春かくし芸大会だった頃の会津若松の正月の雪の上で、ウルトラモグラスは電池が無くなるまで雪を越え、円盤を発射し続けたのです。
 

 一旦ミドリのモグラスシリーズの紹介が終ったところで、今度は他社の地中戦車に登場頂きましょう。
 ニットーは歩行戦車シリーズとして宇宙探検車「サタン(悪魔?)」(再販時は「サターン(土星?)」)、ロケットクラフト「デルタ3」、ラセンタンク「デルタ2号」とともに長岡秀三…後に世界的イラストレーターとなる長岡秀星デザインによる地底戦車「Zライザー」(再販時「ジェットライザー」)をリリースしました。
 ミドリの分りやすいキットとは一線を画した、時代を先取りするハイセンスなデザインのZライザーですが、発売時期は実はあのキングモグラス発売の僅か翌年です。長岡秀星という天性の才を擁したニットーは、当時の子供達にもフューチャーを感じさせる優れたJOSFメカを生み出したのです。
 先のミドリのキングモグラスが過去から受け継いだ和製空想科学の継承者だとすれば、ニットーのZライザーは、未来感覚を引き寄せて具現化した来るべき世界のメカでした。
 Zライザーは既に「俺Zライザーコンテスト」として一度企画に上がっていますが、今回再度地中戦車という位置付けでエントリー可能となっています。再チャレンジされる猛者を待っています。

 

少年キング1967年12月3日号雑誌広告より

 このキットは見た目通り左右だけでなく上下もシンメトリーなデザインですが、初版は更に上下のキャタピラも独立して回転する合計4本のベルトになっていて、それぞれが車体を前進させる方向に回っていました。
 それは単にひっくり返しても前進するというだけでなく、例えばこれを寝床にもぐり込ませると、地面に相当する敷布団の上を走るだけでなく、上からのしかかって来る掛け布団の圧力までも利用して強引に前進する事になります。
 これはデザイン上の空論ではなく、実際にZライザーは布団の中をこちら側からあちら側に「もぐり抜ける」というパフォーマンスを見せてくれました。(当時の経験談多数)
 ミドリの地底戦車がある意味観念的な地底戦車デザインを固持したのとは逆に、Zライザーは地底戦車のあるべき姿を、今から半世紀近く前に”動き”という実力で示したのです。
 再版以降のキットでは、上下2軸を要する複雑なギアボックスを廃してシャフト1本のゼンマイ版に改修した為、左右一本ずつの長目のキャタピラを上下にぐるりと取り回す事となりました。これでは車体下面のキャタピラは車体を前進させる方向に回っても、車体上側のキャタピラは車体を後進させる方向に回る事になり、あの優れた「布団の地中世界」を走破する性能が失われてしまったのは実に残念です。

 

宇宙パトロールタンク「ジェットドリル」のパッケージ 画像提供:Tachikawaさん

 さて次もまた長岡秀星のパッケージが続きますが、今度はオータキの宇宙パトロールタンク「ジェットドリル」を紹介しましょう。
 このキット、イラストは長岡秀星ですが、どうもデザインそのものはオータキがしたのではないかというバタくささがあります。
 実のところは分らないので、長岡のイラストを元にオータキが作ったら「現物はこんなになっちゃった」のか、あるいはオータキが自社設計を元に長岡にイラストを頼んだら「パッケージだけこんなにカッコよくなっちゃった」のか不明ですが、キット自体も中々味のあるもので、見れば見るほどカッコ良く思えてきちゃうから不思議です。
 このキットもまた、ドリルが回転する「地中戦車」だとばかり思っていましたが、あらためて調べるとパッケージにも広告にも地中戦車、地底戦車の文字はなく、コンセプト的にはあくまでも宇宙パトロールタンクであった事が分りました。
 確かにドリル周りのツメは華奢そうで岩を掘るには心許なく、ツノやらカンザシやら、はたまた飛び出たミサイルやらが気になり、ミドリの地中戦車までは許容できた少年も「これはちょっと地面の下は・・・。」と思ったものです。
 今考えればメーカーは一言も地底戦車などと言っておらず、これは不当なミドリびいきと言えなくもありませんが、ドリルを持ったSF戦車が地底戦車でなくて何とする!な日本にあって、ちょっと立ち位置が微妙だった事は事実です。 

 

少年キング1967年12月3日号雑誌広告より

 ただ、このキットに詳しい友人の感想では「ドリルのツメは開閉する事で自在に掘削する直径を変える事が出来る優れたアイディア。」と、この部分のメカニカルデザインを絶賛しています。なるほどそう来たか!
 しかしチビッコ向け商品でありながら、このあっちこっち無駄にとんがったデザインは、製造物責任法のかまびすしい現在では絶対に生まれてこない姿形ですね。

 左の画像は1967年も年の瀬が迫った11月末の雑誌広告です。「日本プラモデル50年史」に同梱されている貴重な模型データベースでは、このキットは1968年の8月発売となっていますが、既にその前の年にはリリースされていた事が分ります。
 しかも先のニットーのZライザーの広告も同じ雑誌の同じ号に載っていたんですね!
 実はイマイの名作サンダーバードの「ジェットモグラ」の発売も同じ年で、日本では1967年(昭和42年)という年がドリル戦車の絶頂期だったと言えるでしょう。

 このキットが厳密には地中戦車でない事はわかりましたが、それでもドリル戦車の中で一番モグラに似ているのがこのジェットドリルだと思いませんか?へへへ。
 
 さて、今まで紹介させて頂いた「モグラス」とその仲間達を、皆様は如何御覧になりましたか。JOSF戦車が最も輝いていた時代の代表的SF戦車に思いを馳せ、皆さんも想像力溢れた最強の宇宙戦車「俺地中戦車」を作ってみようではありませんか。
 

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