

今年の巡礼が終わって、二ヶ月以上経とうとしている。
今ようやく、この巡礼を振り返ることができるは、時間とその後も続いたミニ巡礼、そしてブリテン、アイルランドへの旅に癒されあの巡礼の深さを、ようやく感じはじめたからかもしれない。
今回の巡礼が、肉体的に格別厳しい道だったというわけではない。 たしかに、連日のように目の前に立ちはだかる山を超え、海岸のある町まで一気に下って、また這い上がる・・・このくり返しであった今年の道は、距離の割には時間がかかるものだったし、誰もが肉体的に厳しい道だと言っていた。
しかし体力的にきつそうでも、歩き終えてシャワーを浴び、ビールでも飲めばその疲れは吹き飛んでしまう。
去年歩いた暑さと咽の乾きに喘いだ過酷な「銀の道」よりは、よっぽど楽だったのである。
一人で、誰にも会わないような山での歩きは、恐怖がなかったわけではないが、山あり海ありそして緑の多さに心を奪われ、その景色の良さは今までの巡礼のなかでも格別
なものだった。
道はIrunから始まり(どこから始めても良い)バスク、カンタブリア、アストゥリアス、ガリシアを通
るコースであり、そのどれもが海に面し、雨の多い北部の沿岸である。
すなわち、緑の多い、グリーン・スペインと言われる地域なのである。
この三度目の巡礼も、サンティアゴを目指すものであるが、過去の二回と全く違う「道」だった。
三つの道は、全く別の表情を持ち、別のメッセージをくれたのであった。 今回の道では、自分と深く向き合う旅だったと言えるだろう。
そこでは、一日中山道を、一人黙々と歩く時、大勢の仲間と歩く時、その双方の楽しさを満喫し、同時に普段味わうことのない孤独にも対峙することになる。
また、今回は大きな分かれ道があり、その選択に迷い、その下した決断が正しかったのか確信できないまま、サンティアゴに到着してしまうという、迷える道でもあった。


7月13日(木)
Irun 私はEstella
の巡礼宿にいた。
Estellaの町はカミーノ・デ・サンティアゴの王道「フランスの道」の上にある。
この巡礼宿で10日ほど、ボランティア活動をしていたのだ。
巡礼宿でのボランティアと言っても、私が世話をしたのは巡礼者ではなく、その施設にやってくる障害者の世話が主な仕事であった。
その仕事も、彼らが行う巡礼者の受付作業を見守ったり、簡単な食事を作ったりするだけで、あとは彼らと仲良く話をするのが主な仕事であった。
実際は、障害者と言われる彼らがいかに純粋で、まっすぐな生き方をしていることを教えてもらったのだった。
最後のこの日は私の他に、英語が得意なバレンシアのサンドラと、前日から入ってきた引き継ぎのビルバオのローリー、そして障害を持っているベレンがいた。
この朝は早朝から目覚めることになる。 イタリア人二人、フランス人一人の三人グループが、小犬をつれて巡礼をしているからだ。
彼らは巡礼路上で、この小犬を拾い、段ボールの中に入れ、リュックの上にこの段ボールを乗せて歩いているのである。
かなりの重労働の上、犬が夜中に鳴き出す心配もあり、前途多難な旅をしていた。
その犬が、朝からぐずっていたのである。 私とローリーは早々に起きて、犬の面倒をみ、彼らが出ていくのを見送った。
さあ、今度は私が出て行く番である。 バスターミナルへは、ベレンとサンドラが見送りにきてくれた。
Estellaの町は手ごろな大きさで、毎週木曜には市場が立ち、商店の数も多く、教会や修道院など、みどころも多い町である。
滞在中は自由時間も多かったので、町中を歩いたものだった。
なのに、私はなんの未練もなくこの町を出るには、理由があった。 この日に、いよいよカミーノ・デ・サンティアゴの「北の道」(Camino
del Norte)のスタート地点へ向かうのであった。
今回の道はフランス国境のIrunから始まり、サンティアゴまでは、約850kmの道のりと言われている。
何と言っても楽しみは、「海を見ながら歩く道」。まだ見ぬスペインを味わうことができるのではないかという期待が大きかった。
去年の「銀の道」で苦労した自分へのご褒美の「道」のように、途中の景色や歩くことを堪能できる、海あり、山ありの素敵な『道』に思えたのだ。
また、過去二回の巡礼と大きく違うのは、時間的な余裕があったこと・・・・・・・
しかし、計算が苦手の私がすぐに直面したのは、実は「時間がない」(あれ?)ということだった。
この巡礼の後には、また別の巡礼宿でのボランティアが控えていた。 ガイドブックを見ると、32日とあるので、単純に数えると、その通
りに歩いてサンティアゴに一泊するだけで、いっぱいいっぱいなのである。 しかし、ふたたびよ〜くガイドブックをめくって見れば、一日40km以上歩く日も含まれているのである。
つまり、最初から気を引き締めて歩かなければ、約束の日に間に合わないということになっていたのである。
さて、巡礼の出発地点のIrun行きのバスはひたすら緑の中を走る。
これがバスクなのだ。 緑深い山の中に、うずまるようなたたずまいの一軒家が見える。
途中は霧に包まれながらも、バスは緑の中を、ひた走る。 Irunの町は、今年はすでに,二度ほど来ていた。
Estellaに行く前日も、この町の巡礼宿(以下:アルベルゲ)に一泊していた。 アヴィニョンから巡礼宿があったEstellaに行くまでに、一泊する必要があったからだ。
ここはスペインとフランスの国境であり、二国を結ぶ日に数本程度の列車か、短い区間だけを走る、ローカルな路線しかないため、いまだに接続が不便なのである。
すでにその時に作った巡礼証(以下:クレデンシャル)があり、押してある印によれば、10日前の7月4日に宿泊している私が、今日、再びここに滞在するのは、巡礼者として不自然でもあった。
しかし、ここの管理人フィリスおじさんは、実に柔軟に対応してくれ、明日の日付けである14日からということにするため、4の左となりに数字の1を書き足してくれたのであった。
これで私のクレデンシャルは、みごとに完成した。
お昼過ぎに着いた私は、barでビールを飲みながら、タパスをつまんでいた。
巡礼の一日目というのは、特別なものである。 いったいどんな旅になるのか・・・・。
そしてどんな出会いがあるのか・・・・・。
去年のように、誰にも会わなかったら淋しいだろうなぁ。
私があてがわれた4人部屋のアルベルゲの一室は、すでに先客が一人いるようだった。
置き去りにされた持ち物からすると、大柄な男性のようだ。
部屋に居ると、今到着したばかりの男性が入ってきた。
好青年のようである。 私は、去年の教訓を生かし、すぐに友達になることにし、早速携帯電話やメールアドレスを交換した。
その人は 名前をマティウスと言い、マヨルカ島からやってきた。
迷子になった時のためでもあり、朝、薄暗いうちから出発する場合の道案内として、彼をキープ(?)しよう。
そこに大声で、フィリスおじさんと話ながら部屋に入ってきたおじさんがいた。
思った通りの大男だった。
名前をアルベルトと言い、絵描きだと言っていた。
私たちは互いに自己紹介をし、barにくり出すことにした。
ちなみにフィリスおじさんにしても、マティウスにしても、このアルベルトにしても、スペイン語オンリーだった。
アルベルトは、相当な大酒飲みのようで、最初の一杯をごちそうしてくれた。
豪快に笑う彼は、巡礼というよりは、山で生活をするキコリのように見えた。 フィリスおじさんもやってきて、すっかりこの二人は意気投合しているようであった。
私はマティウスと別の席を取り、明朝の、一番最初の歩きだけ、お供させてもらうように頼んだ。
マティウスは、まじめそうな好青年で、人畜無害。歩きもしっかりと地図を見て、信頼できそうな気がしていた。
私が用意したガイドブックは、去年の巡礼後、サンティアゴの書店で購入したものである。
その本はスペイン語であるため、私は地図の部分だけをコピーしてもってきている。
彼らスペイン人は、文字の力も借りて、歩くことができるので、よっぽど私よりインフォメーションが多いのである。
とりあえず私には、この地図だけで充分なのであるが、朝、町を出る時には、説明書きがモノを言う。また、暗いうちの出発となると、地図だけでは心もとない。
つまり、早朝だけは、ガイドを持っているスペイン人にくっついて歩くのが、間違いのない方法なのである。
今回の巡礼路には、大きな分かれ道がある。
今までの道にもいくつかの小さい分かれ道があったけれど、今回のものは、全行程の約半分の地点(Gijonの手前)で、二手に分かれて、それぞれの道はサンティアゴの直前まで合流することはない。
どちらも最初は海沿いに歩いて行くのだが、「Camino de la Costa]というコースは、海岸沿いを長めに歩き、最後にサンティアゴに向けて下っていく。
もう一つの道は、その分かれ道から、海辺より遠ざかって、ぐんぐん山の中に入って行き、サンティアゴに向かう「Primitibo」というコースである。こちらはその名前の通
り、一番古い、オリジナルな道なのである。 私が去年買ったガイドブックは、「Primitibo」のコースしか載っていなかった。
しかし日本を発つ前から、どうも道は二手に別れるということを知って、自分はどちらの道を歩くのだろうかと考えていた。
いずれはどちらかに決めないといけない課題であった。
その時点での気分や、情報によって決めればいいと思っていた。
私の場合は、全くどちらにもこだわりがなかったので、良い仲間に出会ったら、彼らについていけばいいだろうと考えていた。
さっそくマティウスに聞いてみた。 彼は迷いもなく、la Costa(海沿い)だと言う。
そして、インターネットからでしか入手できないというガイドブックを見せてくれた。
私はそれを見た時から、すでに心はla Costaへ向いていた。 私は海が好きなのだ。
そのために今回は、水着と浮き輪までしっかり用意してある。 この本をなんとか入手したい。
そして、海で泳ぎまくりたい・・・・・・・。
宿に戻ると、マティウスは早速、マヨルカの家族に電話をし始めた。
飛行機で来たらしいが、まだ昨日別れたばかりの両親や姉と話をしているようである。
彼は病院の事務をしている36歳。オジサンぽくはないが、もう立派な大人である。
今日あったこと全てを報告しており、日本人と知り合いになったとも言っている。
その話しぶりも丁寧で、少々滑稽に見えなくもなかったが、とりあえずきちんとた印象を受けた。
7月14日(金)St Sebastian 24.4km
アルベルトは元気に一足先に、出て行った。
彼にとっては初めての巡礼だし、かなり体が重そうなので、すぐに追い付くだろう。
すっかり巡礼仲間になった気分だったが、彼にはそれ以降再び会うことはなかった。
アルベルゲでコーヒーやビスケットの朝食を出してくれた。
そしてフィリスおじさんのすすめで、最初はカルテラ(舗装道路)を歩くことになった。
出発は、薄明るくなりはじめた6時50分。
hondarribiaという、バスクの中でも、評判のレストランがたくさんある地域と聞いている町を通
る。 朝だし、無念にも通り過ぎるしかない。
今回の巡礼の道は、まず、バスク自治州という地域を通
ることも特徴である。 バスクと言えば、今日の目的地で、古くからの王室の保養地で有名なサン・セバスティアンや、有名な牛追い祭りのあるパンプローナもそうだし、私が昨日まで滞在していたEstellaも同じ地域になる。
また、この巡礼路で通る、ピカソの絵で有名なゲルニカも、もちろんバスクである。
バスクはバルセロナのあるカタルーニャ地方と同じく、スペインであっても、スペインではない地域といわれ、過激なテロ組織で知られるETA(バスク祖国と自由)が存在することでも有名であるが、古い文化を持つ地域であり、また、独自の言語を有するのであるが、今は皆、カステリャーノと呼ばれる、いわゆるスペイン語を話している。
しかし、現在は小学校で、このウスケイラと呼ばれるバスク語を、教えているということで、子供達は少し話すことができると言う。
また、地名にはこの言葉が残っていて、カステリャーノと共に、二重に表記してある。
第一日め、今日の目的地は、サン・セバスティアンであるが、バスク語ではDonostiaと言うらしい。
さて、しょっぱなから、カルテラ(舗装道)を歩きはじめた私には、長く感じられたこの道も、ようやく険しい登りの山道に入ってきた頃、ひとつの礼拝堂にたどり着いた。
ここからの見晴しはすこぶる良い。 今歩いて来た道や、海が一望できる。 マティウスは、写
真を取ってほしいと頼んできた。 この後、さらに急な登りとなる。
私はここでマティウスに申し出た。
「ここから先は、一人で歩けるから、自分のペースで歩いてね、またサン・セバスティアンで会いましょう。」
私は登りになると、急にスピードが落ちるのだ。彼に迷惑をかけてもいけないし、基本的には一人で歩くのが好きなのだ。
そこからは、思いきり自分のペースになった。 やっと頂上に着き、マットを広げて休憩することにした。
そこに出現したのは、マドリッド出身のロベルトだった。
数少ない巡礼者の一人だ。 互いに自己紹介をする。
彼は今朝Irunに着いて、そのまま歩き始めたらしい。
第一印象で、なんとなくその人なりのイメージなりというものを感じ取ることができると思うのだが、私はなぜか、ロベルトがいい人なのかどうか、皆目見当がつかなかった。
そもそも第一印象というものが大事なのはわかるが、当てにはならないと信じている。
しかし、普通なら、なんらかの直感というものが働くはずなのに、彼に対しては全くわからなかった。
ただ、表面上は、物腰の柔らかい、親切な人だということだけはわかった。
ロベルトはフランスの道を三回歩き、この道は初めてだと言う。
彼はすぐに、
「英語とスペイン語、どっちで話した方がいい?」
と、聞いてきた。 もちろん英語なら大変ありがたい!
今日はどこに泊まるのか聞いてみた。サン・セバスティアンにはアルベルゲがないのである。
私の持っている資料を見せると、ロベルトは、ユースホステルに泊まるつもりだと言う。
そこは、マティウスも行くと言っていたが、もし満員だったらどうしよう?と心細く思っていたところ、ロベルトはすかさず、自分も後で予約するから、その時に一緒に予約してあげるよと言ってくれた。
なんと気の利く感じの良い人なんだろう!
私は初対面の人に携帯の番号を聞くことは普段はないが、この道では、それが命綱になることもあるので、遠慮なく聞いておく。
また、もし何かでホステルに泊まるのをやめた場合にも、彼の連絡先を知る必要があった。
そしてロベルトは、ガイドブックを持たずに歩いていると言う。必要がないというのだ。
それは私も同感である。ガイドブックを読みながら、『右に行くと、3つの分かれ道があるので、真ん中の道を行き、ロトンダ(ラウンド アバウト)を通
り越し、サッカー場に出たら、そこを右に曲がる・・・』なんて、こと細かく書かれていて、それでも彼らは道に迷うのである。
確かにこの道は、矢印(黄色い矢印に導かれて歩く)が整っているし、大草原でひとりぼっちという場所でもない。
さっき別れたマティウスは、典型的なスペイン人の巡礼者で、かなり忠実にガイドブックを見ていた。それに比べるとロベルトは、私から見ると、かっこ良く思えた。
しかし、彼の見かけや雰囲気は、かっこいいものとは言えなかったし、どちらかと言うと、「軽い人」のように見えたので、信用できるのかわからなかったが、去年の教訓を生かし、この道とて、数少ない巡礼者との繋がりが大切だと思うのであった。
またしばらく歩いていると、ホアンという男性に出会った。
大学で、コンピューターサイエンスを教えていると言う。
すでにフランスの道を歩いたことがあると言うが、よく聞けば、兄弟三人で、サンティアゴから100km手前の町(おそらくサリアあたり)から歩いただけのようで、すでにこの時点でへたばっていた。
彼の連れは、さらにへたばっている様子で、後方を歩いていると言う。
感じ良く、スペイン語で、「初めまして!よろしくね!!」というと、びっくりした様子で、一緒に歩き出した。
しかし、第一印象は良かった彼だったが、仲間になれそうもない気がした。
道を下って行くと、大きな河口があり、そこにあったbarで飲み物を買い、水辺にいると、一組の女性同士のペアがやってきた。
フランス人で、Irunより手前から歩き始めているようだった。 そこからは、私は彼女らと一緒に歩きはじめた。
しかし、彼女らは英語は少しだけ、私はフランス語がしゃべれないので、無言での意思疎通
となるのだが、ここからのコースが、さらにきついものとなり、また、景色が格別
のものとなるものだから、言葉なんか要らなかった。
一緒に歩いているだけで、連帯感が湧いてくる。もとより、一緒に歩こうなんていう取り決めさえしていないのだ。
私たちは、この海に注ぐ大河を船で渡った。これも立派な巡礼路なのだ。 今回は、船を使うことも多い。交通手段というよりは、渡し船で、泳いで渡る人はまずいない。(荷物があるし)
向こう岸に着くと、親切なおじさんが分かりやすい道を教えてくれた。
それは単純で、確かに分かりやすいものだったが、登りがとてもきついものだった。
岬のとったんまで歩いたら、そこから一気に階段をあがる。その階段は、天国まで繋がっているんじゃないかと思われるほど、どこまでも続いているのだ。
しかし、くの字型になった階段を登りながら、足を止めれば北の海が、荒々しくも美しく輝いて見えるのである。
終わりのない道などないはずなのに、この階段は長かった。
私はこの頃やっと気が着いた。
この道を、甘く見ていたと。
海で泳げる道、緑の多い美しい道。 それを意味するのは、険しい道であること。
地図に表記された距離と、歩ける時間というものは比例しない。1km歩くのにも相当な時間がかかるのだ。
一日目からこれでは、先が思いやられた。
やっとのことで、頂上に着いた。
その頃には、持っていた水がなくなり、暑さも増してきた。 少し歩いていると、水飲み場を指す標識に出会った。
私たちは、水を求めて緑の公園の中を、ずんずん下っていった。
そこはまるでオアシスだった。 緑に囲まれているので、とても涼しい上、おいしいお水を飲むことができた。
私はそれまでの喉の乾きを埋めるように、お腹がタッポンタッポン音がするまで水を飲んだ。
そこを出たころ、ようやく山の上から、いよいよサン・セバスティアンの街が見えてきた。
遠く真下には、海水浴客で賑わう砂浜が見える。
今まで見てきた海とは反対側の、別世界がそこにあった。
この頃から、フレンチの二人は、今日はキャンプ場に泊まると言い出したので、ここれ別
れることにした。
彼女たちとは、この日以来会っていない。また、大学教授のホワンにも会えなかった。
その後は、街まで一気に下っていく。
これもキツイものだった。 どこにも休める場所がなく、やっと坂道の終点近くでもあり、街の入り口でもある、民家の階段に腰を下ろした時だった。
そこに通りがかったのは、先ほど山の上で出会ったロベルトだった。
私より先に歩きはじめたのに、何で後から来たのか? 聞いてみると、
「ちょっと事情があってね」
という。私がスペイン語で話しかけたのかは覚えていないが、なぜかここでのやり取りは、スペイン語だったので、私もそれ以上追求しなかった。
う〜ん、怪しいヤツだと思った。
しかも、まだホステルの予約をしていないという。
もうすぐ着く時間だというのに。 ありえない。やっぱり彼は怪しい。 ロベルトは、慌てて、今電話しようと言い、すぐに予約を取ってくれた。
休む間も結局なく、一緒に歩きはじめることにした。 ロベルトについて行けば、必死で宿を探す必要がないからだ。
それにしても、こんなに疲れたことはない。
なのに、サン・セバスティアンの街は容赦なかった。
目指すホステルは、街のいわば出口に位置し、この街を横断しなければならない。
人で賑わう大きな海岸を三つ越える。これはかなり厳しかった。
とても暑い上、足はもう一歩たりとも進みたくないと言う。 荷物もやけに重たく感じるのである。
私は、一言も口を利けないほど、消耗しきっていた。 ロベルトは、絶えず誰かに電話をしている。どうも、この近くに知り合いがいて、そこに泊まろうと考えているらしいが、なかなか繋がらない様子だった。
じりじりと照りつける太陽、海水浴ではしゃぐ人たちの中で、重いリュックを背負い歩く私たちは、異質な存在であった。
この日が一番辛かったというのは、後日ここを歩いた仲間の共通した感想だった。
やっとのことで、私たちはホステルに到着した。
ロベルトは、友達と連絡がとれたらしく、チェックインをせずに話し込んでいた。
口調によると、相手は女性のようで、私の疑惑は深まるばかりだった。
これまでの巡礼では、アルベルゲか安宿に泊まることはあっても、ホステル滞在は初めてであった。
ここには、アメリカ人の高校生の団体客がいて、逃げだしたくなった。
シャワーも汚いし、部屋にいてもうるさい。
一息ついて、外に出た。今日は食事をする気にもなれず、果物などを買って済ますことにした。
ホステルの地下にはpcがある。これを使おうと降りてみると、そこにマティウスと、もう一人の男性がいた。
その人は、ラファといい、たまたまマティウスと同じマヨルカの出身で、今日このサン・セバスティアンに到着して、明日から歩き始めるという。
聞けば二年前に私が去年の夏に歩いた「銀の道」を巡礼したという。
「銀の道」を歩いたというだけで、特別なものを感じた。しかも彼も夏にである。
これ以上の説明も自己紹介も要らない。この共通点があるだけで充分である。
私はたくさん「銀の道」について話したいと思ったが、今後ゆっくりしていくことにして、明日の道の予習をしようと、地図を出し、その高低差に恐れをなしていると、ラファは
小さく手をふり、笑いながらこう言った。
「見ない、見ない」
ラファは英語が上手だったので、最初は風貌からもドイツ人だと思っていた。実際ドイツ人だと思われると言っていたが、生粋のマヨルキンであった。
明日の目的地になる二か所の候補地を決めて、それぞれの部屋に戻った。
7月15日(土)Getaria 25.2km
ホステルで出された朝食は、ボリュームがあり、なかなか美味しかった。
特別に早く朝食を食べさせてもらったのだが、結局出発は8時近かった。
今日もマティウスと一緒に出発。
夕べのラファは、マティウスとも部屋が別々で会えなかった。
しばらく歩くと、道ばたに水を入れたペットボトルが置いてある。
これは巡礼者への心遣いだという。 二人で写真を取り合っていると、家からおじさんが出てきた。
立ち話が始まる。おじさんも「銀の道」を歩いたことがあるという。
「ちょうど秋でね、ぶどうをたくさん食べたよ。」
スタンプも押してもらい、また歩き始めた。
この道は、地元の人々の優しい眼差しがある。 「銀の道」とは、そこから大きな違いである。
去年は、暑さと不親切な矢印、理解のない地元民の中を、心細く歩いたものだったが、今年は違う。
矢印も、とても親切で分かりやすい。 歩いていると、 「ブエン・カミーノ」という声がかかる。
そして、私もかつて、この道を歩いたよ、とか、フランスの道を歩いたという人に声をかけられることが多いことに驚く。
思えばガリシア同様、初盤はどちらの道もバスク地方を通過するのだ。
今日も登りが続くが、昨日よりはマシだった。
途中の休憩所で休んだ。
景色がいい。来て良かったと思った。
歩き出すと、途中の草むらで座っている女性を見つけた。 彼女はさっきの休憩所でもみかけたのだった。
今度は声をかけてみた。
彼女は巡礼者ではなく、旅行中で、少しだけ歩いているのだと言う。
イギリスから来たベッキーは、去年出会ったフランの家が実家の近くだと言うので、話しは盛り上がり、最後にはメールアドレスを交換して別
れた。
坂を下るとOrioという賑やかな町に出た。
川が流れている。 そこのbarでオレンジジュースを飲んで、また坂を登る。葡萄畑が美しい。
葡萄畑が好きなのは、緑の色が明るく、元気をもらうことができるから。
そこは山の上だったが、キャンピング場がある。けっこうな人で賑わっている。
この頂上から反対側に出ると、眼下には長いビーチが見えた。
キャンプ場にはシャワーがあり、海で泳いだ人たちが、ここまで上がってくるのだった。
下ってみると、急な崖のような坂道で、これを上り下りするキャンプ場の住民の根性はたいしたものだと思ったが、景色が良いのだから、それもいいだろう。
海岸の横の道を歩く。
長い。ロングビーチだ。
その水はとても美しく、そこを見るだけで通り過ぎるのがとても惜しく思われた。
いったいマティウスやラファはどこを歩いているのだろうか。 今日の第一候補のZarautzを通
り過ぎ、第二候補のGetariaに着いた。
疲れ果てて、インフォメーションに飛び込むと、この町の全ての宿が満員だと言う。
もう限界である。 何でもいいからと、藁をもすがる思いで、インフォメーションのお姉さんにお願いすると、アパートが空いているかもしれないので、電話してあげるという。
週末の海水浴地、巡礼者にとっては、最悪の条件だった。 ドキドキしながら待っていると、ベッドがみつかったという。
その家はインフォメーションから2分ほどのところにあり、3階の窓からおばあちゃんが手を振っていた。
その部屋には先客がいて、相部屋だった。
私のベッドは、収納ベッドで、かなりしょぼいものだったし、ふた部屋で4人、これじゃあ、おばあちゃんたら、ぼろ儲けじゃないか!
でも、さっきまでは、屋根さえあれば御の字と思えるほど疲れていたので、ノーチョイスだった。
このフロアーは二部屋あって、一部屋にはフランス人の中年カップル。もう一人はフランス人のおじさん。
このおじさんはパスカルと言い、今日一日、何度か顔を合わせた見覚えのある人である。
フランスの自分の家から歩いて来たという。 なかなかユーモアもあり、英語も上手なおじさんだった。
一方のカップルは、ほんの数日の巡礼、いや、巡礼というよりは、バカンスのように旅をしていた。
シャワーを浴びた後、ビーチでひと泳ぎすることにした。
ここのビーチは、今日通ったビーチよりは規模も小さかったし、水の色もイマイチだった。
ビーチに来て、一人で泳いじゃう人ってまずいない。かなり勇気のいることだった。
ま、そんなことは気にしていられない。ここで泳がなければ、どこで泳ぐのだ。
気が済むまで泳いだ後、今夜はさっき出会ったルームメイトたちとディナーの約束をしている。
本当は気が進まなかった。三人とも英語を話すが、フランス人の、しかも大人である。
私がいると、お邪魔ではないかという思いと、一人でbarなどで食事をした方が気が楽という本音。
しかしここは思いきって仲間に入れてもらうことにした。 今回は、来る者は拒まず、せっかく誘ってくれたのだから、何でも参加してみよう。
私たちは海辺のレストランに入った。 ごく普通のレストランに見えたが、実際は、観光客向けで、値段も高かった。
何しろ私以外の三人は、アルベルゲに泊まるような巡礼者ではない。 カップルは、熟年旅行のようで、贅沢をするために来ていると言い、ほとんど歩かず列車で巡礼路を回っているらしかった。
この「北の道」の巡礼路は、いままでのものとはかなり違っていた。 本物の巡礼者は、全体の半数程度しかいない。
あとは、完全にホリデーなのだ。
ただし、パスカルおじさんは、ちゃんと歩いているし、きちんとした巡礼をしている。
(宿だけはホテルに宿泊しているが、それもアリだと思う。)
そんなお仲間との食事は、巡礼者同士の会話とは全く異なっていた。 だからと言って、退屈な会話でもない。カップルの奥さんは、とても上品かつ素敵な女性で、日本に興味を持っているのか、積極的に質問をしてくれたのだった。
二日歩いたこの「道」でわかったことは、この道沿いは物価が高いこと。それは観光地でもあり、バスクは生活水準が高いということ。
そして、宿不足であるため、特に週末は込み合うので、できるだけ予約をしておかないといけない。
マドリードなどの都会や、スペインじゅうから来る観光客が押し寄せるため、そういった観光客からは巡礼者に対する配慮はまるでない。
それでも悪いことばかりではない。 バスクの料理はお味は値段に見合う美味しさであること。
地元の人は親切だし、巡礼を応援してくれること。 そして美男美女が多いのだ。
これまでバスクに来たことがないわけでもない。 サンセバスティアン、イルンをはじめ、フランスの道でも通
過してきた町があった。 しかし今まで特に気に止めることはなく、見過ごしていたが、今回の旅で、バスクへの思いが深まった。
バスクっていいなぁ。
7月16日(日)Deba 17.2km
今日の日記の一番上に、こう書いてある。
『今日は、なかなか大変だったけれど、充実した一日だった。』
さて、どんな一日だったのか・・・・・・・。
7時に一人でアパートメントを出る。
しばらくすると、パスカルおじさんがやってきた。 おじさんが出る時も、カップルの二人はまだ寝ていたそうで、その後も彼らに会うことはもうなかった。
何度も、パスカルおじさんと、抜きつ抜かれつ歩いていると、水飲み場でまた出会った。
そして私が先に歩き出すと、矢印を見失ってしまい、元の道を辿る。そこでまた不安げなパスカルおじさんにばったり会って、二人で地元の人に道を聞く。
なんと、二人とも同じ間違いをし、道を曲がりそこねていたのだった。
再び、抜きつ抜かれつ歩きはじめた。
すると、マティウスが後ろから歩いてくるではないか。 道を間違えたと言う。
巡礼者の少ないこの道のことである。私たちは、どんな人に会ったか報告しあっていた。
マティウスは、ガリシア出身のカップルに出会ったと言う。 私はそれを聞いた時、ちょっと意外な気がした。巡礼仲間で、ガリシア出身者は少ない上、ガリシアから遠く離れたバスクで彼らが歩いているということ。
そこからまた、マティウスは先に歩き、消えていった。
再び、パスカルおじさんと抜きつ抜かれつ・・・・・・・・。
山の頂上は、キャンプ場になっていて、ベンチがあったのでひと休みすることにした。
パスカルおじさんもそこにいたが、私が靴を脱ぎ始め、長居するとわかったためか、先に行ってしまった。
するとそこへ、カップルの巡礼者が来た。 昨日のフランス人ではない。もっと若い二人で、巡礼者の印であるリュックを背負い、杖をついているではないか。
もしかしたら、マティウスが言っていたガジェーゴ(ガリシアの人)かもしれない。
私は仲間に出会ったごとくうれしくなって、少し小高い丘の上から 「オラ!」 と元気良く声をかけてみた。
しかし二人とも気がつかない。
しつこくさらに二度ほど、 「オラ!」 「オラ!」 しかし二人はまるで無視。
私は急に腹が立った。同じ巡礼者なのに無視をするなんて。 (しかし、その時リュックを置いて、靴を脱いでいた私は、ただの東洋から来た一人のキャンピング客にしか見えなかったと思うので、いたしかたない。)
彼らはそこで休まずに、先に行ってしまった。
しばらく歩いていくと、矢印の数がめっきり減って、ものすごく不安になってきた。
この道でいいのだろうか? そんな頃、前方に道しるべのようなモノが見えてきた。その道しるべの文字は、私が歩いている方向からは見えなかった。
そばに行ってみると、先ほどのカップルが、まさに矢印の真下で並んで休んでいるではないか!
私は心が狭い。 今度は私から思いきり無視するぞ!
しかし、道しるべを見るには、彼らの目の前に立たなければならず、無視をするのはかなり不自然な行動なのだ。
また挨拶して無視されたら、もう立ち直れなくなっちゃう器の小さな私は、ここであえて、不自然な無視をすることにした。
それは、まるで喧嘩を売っているような格好となった。
私は標識の前に立ち、それを読み、その道が正しいことを確認し、すぐ目の前に居る彼らは見えないという風を装って、さっと行くべき道に戻った。
あ〜っ、ドキドキした! (彼らは『???』だったに違いない。)
歩いていくと、そこは森の中だった。
誰もいないはずの森で、遠くから話し声が聞こえてきた。 あの二人かもしれない。
だんだん声が近付いてきた。 男女の声だ。間違いなく彼らだ。 このままじゃ、追い越される!
二人は足がえらく長いのだ。
私は、次の作戦を練った。 今度は、感じの良い後ろ姿(?)を演出し、向こうから挨拶しなければ・・・・・えぇーい、〜こっちも(再び)『無視』だ!
足音も話し声も、もうすぐそこまで来ている。
私は、内心乱れる思いを隠し、足取り確かに、自然なふるまいを心掛けた。
いよいよ二人が私を追い越す瞬間。
「オラ〜!」
二人とも、とびきり感じ良く声をかけてきた!
もちろん私も、とびきり感じ良く返事をする。
その瞬間、爽やかな風が通り抜けた。 笑顔が素敵な美男美女だった。
そのうち、パスカルおじさんが、前方からやってきた。
果物を買いたいし、別の道の方が良さそうなので戻るということだった。
私は地図にある巡礼路を、ひた歩いた。この道は、かなり苦労の道で、おまけに最後に開けにくい重い扉まであった。
やっとのことで、一般道に出て村に入ると、バルでさっきのカップルがいるのが見えたが、遠いし、本当に気が付かないだろうと思って、黙って通
りすぎた。今度は悪気はない。
少し歩くと、パスカルおじさんが水を汲んでいるではないか。
一般道を歩いたおじさんの方が、楽に早く着いたというわけだった。
私は冷たい炭酸水が飲みたかったので、barに行くと言うと、おじさんは、この村の店全部が閉まっていると言う。
そんなことはないだろうと歩いていくと、やっぱりbarがあるではないか。
パスカルおじさんも一緒に来て、二人で大きなグラスにたっぷりニ杯づつ、よく冷えたアグア・コン・ガスを飲み干した。
ここでも以前に巡礼路を歩いた店主に声をかけられた。
テラスで飲んでいると、少し離れた道を横切る先ほどのカップルが見えた。 お互いに、にこやかに大きく手を振った。
もうすっかり仲間気分だった。
ここからは、パスカルおじさんと一緒に歩く。
何度も会っているし、昨日も一緒に食事をし、同じ宿に泊まっているのに、お互いの紹介を何もしていなかった。
パスカルおじさんは、世界中の会社のコンサルティングをしているそうで、三年に一度、三か月の休みを取るのだそうだ。そのかわり、他の年はほとんど休まない。
普段はパリに住んでいるが、実家はポワティエにあり、そこから歩き出したという。
ちなみに、前回の三年前の旅行はギリシャだったと言う。
今日の目的地、Debaに着くと、私はアルベルゲを探し、おじさんはホテルを探す。
ここでパスカルおじさんと別れて、おまわりさんに聞くと、まず地元のポリスで鍵をもらわなければならない。
そこまでの行き方がわからなくなって困っていると、親切なおばさんが一緒についてきてくれた。
そんな道を歩く途中でも、私のホタテ貝が付いたリュックを見て、また巡礼経験のある男性が声をかけてきた。
アルベルゲは、海岸のすぐ近くの公園に面
した、最高のロケーションにあった。
とても小さな建物だった。
入り口から出てきたのは、マティウスであった。これから食事に行くらしい。
中に入ると、例のカップルが、シャワーを浴びた後で、洗濯をしている最中だった。
私が入っていくと、まず女性が話しかけてきた。 矢継ぎ早に興奮ぎみで質問をされていると、奥から男性が出てきて、
「まず、重たいリュックをおろさせてあげようよ。」
と言ってくれた。 それほど、私の存在は、彼らにとって興味あるものであったらしい。
私も彼らに質問をした。 やはり聞いていた通りのガジェーゴであった。
名前をホアンとマルタと言い、ホアンは、4年前にこの道の全行程を歩いたと言う。
そこにちょうどあった、大きな地図を指差し、la Costaの道を指し示してくれた。そして、カンタブリアがいいと、おすすめの地域も教えてくれた。
やっぱり彼も la Costa (海沿い)の道かぁ〜。それがいいんだな・・・・。
シャワーに入って洗濯を済ませると、まだ部屋にいた二人は、食事に誘ってくれた。
はしゃぎながら、三人で町に繰り出した。
英語は二人とも何年も話していないと言うが、充分であったし、とても感じがよく、何日も一緒に旅した仲間のように、すっかり打ち解けて、私は二人が大好きになった。
(あれ?昼間は喧嘩を売るくらいの勢いだったのに!)
すでに昼食のメニューには間に合わず、
barでビールとタパスを何点かつまむことにした。 その選択はホアンに任せた。
美味しいタパスをつまみながら、二人の故郷であるガリシアの話になった。
二人はビーゴの大学で出会い、卒業後はマドリッドで働いているという。 マルタは、ラ・コルーニャの出身で、ホアンはビーゴの出身。
二人はそれぞれのお国自慢を始め、楽しい戦いになった。
ビーゴは、リアス式海岸で有名な場所で、小学校へは、毎日きれいな海を見ながら、船で通
っていたという。 その話は、私の好奇心を駆り立てた。ホアンは20代だから、そんな昔のことではない。
今もその村の子供たちは、船で通学しているのだろうか。 そしてその海が遊び場で、日本に輸出するためのワカメを養殖していたそうだ。
なんて素敵な話なんだろう・・・・・・。 私の頭の中のスクリーンには、淡いブルーの水に、白い水底が透き通
って見えるような浅瀬を、小舟でゆらゆら渡る小学生たちが見えた。
一方、ラ・コルーニャは、スペイン全土をはじめ、世界に展開するファッションブランドZARAの故郷でもある。
また、私も大好きなEstrella (日本語に訳すと「星」)という名のビールも有名だ。
マルタは、
「ZARAとEstrellaは私たちにとっては誇りなの。」
と言う。
私がラ・コルーニャに行った時の印象は、マドリッドからもバルセロナからも、遠く離れた地なのに、人々がファッショナブルで、グッドルッキングだったという感想を述べると、彼女はとてもうれしそう。
するとホアンが口を出す。
「あそこの人間は気取っちゃって、かっこばかりつけているんだよ。ビーゴの人たちは、全く服装なんて気にしないんだ。」
するとマルタは、
「昔からね、『ビーゴで働き、サンティアゴで祈り、ラ・コルーニャで遊ぶ』と言うのよ。」
今度は二人揃って北部自慢が始まった。
南部と北部では、全く考え方が違うと言う。 同じスペイン人という括りでとらえて欲しくないようだ。
そして、この「北の道」こそが一番美しく、本当のサンティアゴへの道だと言う。
この道は、モーロ人たちも攻めてこなかった土地だからこそ、守られてきたのだと。
また、マルタは
「私はカソリックの家庭で育ったけれど、私はカソリックが嫌いなの。勉強してわかったから言うのだけど、この宗教は男尊女卑だわ。」
ビールもたっぷり飲んで、歩いた疲れも吹き飛んで、これからビーチに行こうということになった。
泳ぐのはホアンであり、マルタは
「ビーチで昼寝をするのにベストな時間だわ!」
すると横からホアンは
「マルタって困るんだよ。朝は遅く出発しようって言うし、歩き出しても、すぐに昼寝したいとか休みたいって言うんだ。」
三人で大笑いをしながらビーチに到着。 マルタは早速トップレスになっている。
私たちは貴重品を持ち歩いているので、代わりばんこに海に入った。 遠浅で気持ちがいい。
「この道では、こうして海に入るから、足にマメなんかできないんだよ。」
一度すでにこの道を歩いたホアンの言葉だった。
彼はさすがに泳ぎが得意なようで、一度海に出ると、なかなか帰ってこない。 私とマルタは、ゆっくり昼寝を楽しんだ。
二人より一足先にアルベルゲに戻り、シャワーをもう一度浴び、水着を干していると、そこへおじいさんがやってきた。
ここの管理人だということで、挨拶に来てくれたそうだ。 この近所に住んで、時々様子を見に、回ってくるらしい。
私はこの自由な雰囲気の小さなアルベルゲがとても気に入り、素敵な出会いのおかげで、この町の何もかもが好きになって、すっかりいい気分になっていたので、おじいさんに丁重にお礼を言った。
まだ充分明るく気持ちの良い午後だったので、目の前の公園でゆっくりと日記を書いていた。
そこへやってきたのはマティウスだった。
ベンチに座り、情報交換が始まる。
「ねぇねぇ、サン・セバスティアンで会ったラファは、どこへ行っちゃったんだろう?」
「さっき、ここのインフォメーションで聞いたんだけど、彼らしき人物が、一昨日ここに泊まったというんだよね。」
「え〜〜〜っ?!」
そこへマルタとホアンもやってきた。
二人は、お腹がすいたから、ガツンとしたものを食べに行こうよと言う。
さっき食べてから、まだ間もないのに。 私はそんなに食べられないよと言うと、好きなようにチョイスできるから一緒に行こうと言ってくれた。
ホアンが選んだレストランは、私も昼間に通
りがかって、美味しそうだと踏んでいた店で、道路に並べられたテーブルで、楽しい食事が始まった。
今日は日曜日ということで、アラカルトの注文しかできなかった。
まだ食欲がなく、野菜がたくさん食べたかったのでミックスサラダ、海のそばだから、魚介のスープ・・・・というへんてこな取り合わせを注文。
みんなで大きなジョッキのビールを注文し、マティウスも参加しておしゃべりが始まった。
ここではマティウスに遠慮して、英語は話さないようにしたら、当然私の出番も少なくなってしまったが、いつものように、冷静に話すマティウスの話を、マルタとホワンの二人は感心しながら聞き入っていた。
気が付くと、すでに11時。
そろそろアルベルゲに帰らなければいけない時間だ。
帰り道、Debaの列車駅の横を通りがかる。 休暇が少ないマルタとホアンの今回の「北の道」は、巡礼というよりはホリデーなのだ。
だから、二人は明日の朝、列車に乗ってビルバオまで行くという。 そして気に入ったところだけを歩いて二人の実家のあるガリシアまで帰るようだった。
進むスピードが違うから、もう会えないかもしれないねと、しょげる私に、二人は
「そんなのわからないよ。僕達は、気に入ったところがあれば連泊するし、それは誰にもわからないさ!」
















































































































