7月17日(月)

Monastereo de Zenarruza 26.5km 日記の冒頭にはこう書いた。
「今日の歩きは一番ひどかった。これが一番ひどい日で終わってほしい。」
これ以上のひどい日は今後ないように祈っていることが日記を読むとわかる。
まだ歩き始めて4日めだというのに。

最初の20kmが長かった。
山深く入る。
誰にも会わない。
だんだんクサッてくる。
なんでこんな道を歩いているんだと。
登っては下っての繰り返し。

山の一軒家におばさんを発見。
次に誰かに出会うのはいつのことやら。万が一お水がなくなったら大変だ。
「おばさん、水をください!」
「ああ、いいよ、こっちのドアから入っておいで。」
そして
「一人かい?」
そうだと答えると、
「おやまあ、なんて勇敢なこっちゃねぇ。」
ケ・バリエンテ!
歩きながら、あちこちからかけられる言葉。
褒めているんだか、呆れているんだか。
前向きの私は、もちろん褒め言葉として受け取っているが・・・・・・・。

再び山の奥深く。 動物さえいない。
木が茂っているから昼間でも薄暗い道を、一人で歩くのは確かに勇気がいることかもしれない。 そんな暗い山道を歩いていた時、歩いても歩いても、矢印が見当たらなくなった。
トゲだらけのブラックベリーの蔓が生い茂っている道を、棒で枝を押さえながら、ひっかからないように歩く。
もう少し行けば矢印があるのではないかと期待をこめて。
この辺りでは、矢印の数は多く、とても親切な道だったのに、こんなに見つからないなんておかしい。
ここまで来ると、さすがに戻る勇気も必要だった。
来た道を戻って、また最後に見た矢印からやり直すしかない。
今歩いてきた、トゲだらけのブラックベリーをかき分けながら、進んで行くと、ベリーの蔓の上に、馴染みのあるものがぶら下がっている。
私のソックスだった。
洗濯をして、乾かなかったので、リュックに安全ピンをつけて、干しながら歩いていたのだ! それが見事に枝に引っかかって、まるでフラッグのように私を元気付けてくれていた。
ソックスと言えども、靴に合ったものを手に入れるのは難しい。これがなくなったら一大事なのだった。
うれしいなぁ〜! あ〜、道を間違えてよかった!

木の陰に、おんぼろの家が見えてきた。
家に負けないぼろぼろのおじさん(失礼!)が出てきたので、またお水をもらう。
「中でビールでも飲んで行きなよ。」
「いや、いらない。」
そしてまた 「ケ・バリエンテ!」 と言われる。

平らな道ならまだしも、店もBARもない山道を20kmというのは、けっこうキツイものである。 やっと、この苦行が終わると、あと7.5kmで目的地だった。
ここからは、村をいくつか通るので、前半のカタキとばかりに、2~4km歩くたびにbarに寄る。 フレッシュオレンジジュースやトルティーヤ。
最後の村で、またbarを探して聞いてみると、
「お水がほしいのかえ〜?」
ええ、まぁ・・・・と口ごもると、おばさんは、家からよく冷えた大きなミネラルウォーターのペットボトルを持ってきてくれる。
「あと、もうちょっとだから、がんばんな〜。」
ローカルなみなさんは、本当に好意的であり、応援してくれている。
しかし、このあとの「もうちょっと」(1.2km)は、かなりの急勾配で、頂上に着いた頃には、完全に消耗しきって、ヘロヘロだったのである

。 頂上までの山道と違い、目的地に着くと、いきなり鋪装された道路があり、車でここまで来る人も多くいるようだった。
ここには今日私たちが泊まるモナステレオ(修道院)があるのだった。
鋪装道路に出ると、右手にモナステレオらしきものが見える。
左をふと見れば、「アルベルゲ」という文字が。
その文字を目指して、体を引きずるように行けば、そこではなく、反対方向の、モナステレオの方に行けと言う。
仕方なく、今来た道を戻りモナステレオの前にたどりつくと、4人組の巡礼者が入り口から出てきた。 彼らも、私と同じくヘロヘロで、言葉も出ないようだったが、その中の一人が、アルベルゲは奥にあると教えてくれた。

緑の芝生を越え、奥に目指すアルベルゲがあった。
中をのぞくと、すでに自転車の三人組、そしてマティウスがいた。 マティウスは、
「ベッドがもうないんだ。マットレスはあるから、良かったら僕のベッドと交換してあげるよ。」
気持ちだけで充分だった。
少しすると、さっきの四人組が戻ってきた。
後で聞いたところによると、彼らは私とは逆にこちらに先に来た後、別のアルベルゲがあると聞いて、さっき私が行ったところまで行き、結局戻ってきたのだった。 ちょうどベッドは4つ残っていたのである。

シャワーを浴びて、生き返った私は、マティウスとモナステレオの探検に行くことにした。
ここは天国のよう。 山の頂上に位置し、眼下には緑が茂り、夕焼けに染まった空も独り占めだった。 モナステレオの前には広い芝生の空間があり、そこには現代彫刻の悠々とした作品がちりばめられていた。
そして美しい回廊があった。
夕日を見ながら、外でセルフマッサージをしていると、修道士たちがにこやかに、アルベルゲに食事を運んでいる。 修道士は、微笑みながら「セナ(夕食)だよ。」と言う。
どういうシステムなのか、理解できずに一人でマッサージを続けていると、四人組の一人、ドリーが呼びにきてくれた。
「食事の支度ができたわよ〜!中にいらっしゃい」
私の分もあるのかしら?
部屋に入ると、すっかりテーブルセッティングが整って、修道士たちがスープをよそってくれた。 野菜や米の入った、
心のこもった特別においしいスープだった。 他に、インゲン豆の入ったオムレツ、パン、水、ワイン、デザートには、アロス・コン・レチェ(ライスプディング)。
みんなで、おいしい!おいしい!と言いながらいただいた。
四人組は、マドリッドからやってきた、三人のおばさま方と男性が一人。何度かに分けて毎年巡礼路を歩いているということだった。 他には三人組の自転車巡礼のやはりマドリッドから来た若者たち。感じもいいし、グッドルッキングな子たちだった。
普通なら、あいさつだけで終わってしまうかもしれない巡礼宿で、おいしいお料理をいただきながらテーブルを囲めば、自然と距離感がぐっと近くなるのである。
これも修道士たちのもくろみなのかもしれない。

食事が終わると、マティウスが、
「これから僕たちだけのためのミサがあるよ。」
すぐ隣の礼拝堂に入ると、パイプオルガンの弾き手が準備をしており、さっき食事の支度をしてくれた、修道士たちが入ってきた。 そのミサは、私にとって最高の、それはそれはドラマティックなものだった。
パイプオルガンと聖歌。その声の美しさ、ハーモニー、そして謙虚さ。 何曲か終わった後、ライトが消され、一本のスポットライトがマリア様だけを照らした。
それが終了の合図でもだった。

外に出ると、すっかり暗くなって、気持ちの良い風が吹いている。
修道士たちも出てきて、お話をする。私はこの感動と感謝をできる限り表したが、とても言葉では伝えきることができないものであった。

ベッドの支度をしていると、ドリーが
「あなたはこのベッドを使って。私がマットレスで寝るわ。だってあなたの方が先に来たのだから。」
どちらに権利があるかはビミョウである。
お互い、あっち行ったりこっち行ったりしていたのだから。
もちろん、ドリーにはベッドで寝てもらった。

心のこもったお料理やミサのおかげで、ベッドなんかなくても、豊かな気持ちで眠りにつくことができた。
冒頭に、ひどい道だったと書いたけれど・・・・・・・・
一時はクサッた気持ちになった今日の歩きで素直に思えたことは・・・・
道が苦しければ苦しいほど、大きなご褒美をくれるということである。
この後もこの道では、大雨が降ったり、大変であればあるほど、その日のうちに、きっかりとその分のご褒美をくれるのである。
律儀なくらいに!

7月18日(火)Gernica 17.3km

一つ目の村のbarはまだ開いていなかった。
ここから、今日の目的地のゲルニカまでの13.5kmは、店やbarがあるような村はないのだ。
早いうちに、昨日のマドリッドから来た自転車三人組に追い越されたあとは、もう誰にも会うことはなかった。
先に出たマティウスに追い付くことはできなかったし、後から出た四人組に、追い越されることもなかった。

歩いていくと、barの看板が見えてきた。
地図にはそんな表示はないが、大歓迎である。
近付いてみると、ここも開いていなかった。
となりに小さな公園があったので、ひと休みをすることにした。
看板を見て、期待をしただけに、ちょっとがっかりだった。
そこへ隣家の住民の車が到着。 中から男の人が二人でてきて、一人が話しかけてきた。
「コーラを飲むかい?」
はいと答えると、家からよく冷えたコーラを二本、小さなミネラルウォーターのペットボトルを二つ持ってきてくれた。
「ここのbarは今はやってないからね。足の調子はどうだい?」
「マメができそうなんです。」
すると今度は救急箱を持ってきて、足に消毒液を塗ってくれた。 おばさんも出てきて、
「がんばって歩いてね」
と、応援してくれる。 ガラス瓶に入ったコーラは重いので、ここで飲み干すことにした。
歩いていると、車からの応援も多い。 「銀の道」でもそうだった。銀の道の応援は、南部っぽく、にぎやかで荒々しかった。 ここの応援は、クラクションを鳴らして手を振ってくれたり、窓から顔を出して buen camino ! と、声をかけてくれる。

3時に目的地のゲルニカに着く。 アルベルゲへ行ってみると、入り口にマティウスが座っているではないか。
4時にならないと、オープンしないのだという。
並んで座っていると、車が入ってきた。 まだ早いけど、開けてくれるという。
ここは私営のアルベルゲで、よく管理されており、シャワーもいいし、設備も整っている。

マティウスと、町の観光に出た。 ゲルニカは、ピカソの絵で有名な町である。
当時フランコによる反乱軍と人民戦線との間での内戦のさなか、フランコを支援していたヒトラーにより、空爆されたのであった。 1937年のことだった。
かろうじて全壊を逃れたサンタマリア教会。 しかし町は爆破されたため、新しい建物で埋め尽くされている。
スペインじゅう、どこにでもある広場は、雨の多い土地柄、屋根付きである。
チリダ(彫刻家)の作品がある公園を通り、バスク議会堂へ行く。
ここは今でも時々使われているという。
美しいステンドグラスの天井があったり、議会堂内の装飾は、ゴージャスで威厳があった。
中庭には、シンボルのオークの木(tree of Gerunika)がある。
昔からこの木の下で教区ごとの話し合いがなされてきた。
バスクの人々にとっては、こころのよりどころなのだろう。
これまでの旅で、すっかりバスク贔屓になった私は、この樫の木のくねくねした形の葉に興味を持った。

今日はスーパーで買い物をして、アルベルゲで食べるとマティウスが言う。 わたしもつきあって、スーパーの中で物色。
確か今日のアルベルゲには、電子レンジはあったけど、火は使えないはずだ。
いろいろ考えたあげく、始めての試みである、電子レンジで作るパスタを選ぶ。他にサーディン缶 とオレンジジュース。
早速アルベルゲに戻り、不思議なパッケージをあけてみる。 マティウスが説明書を読んで、協力してくれたが、味の濃い、変な食べ物が出来上がった。
私たちはベランダに出て、それぞれの食事が始まった。
マティウスは、まじめで堅物。でもそこがまたおもしろい。

そこへやってきたのは・・・・・・・
一日目の山の上で会った、あのロベルトだった。
マティウスとは初めての出会いだったようで、三人で話をした。
ロベルトは、
「また会えて良かったよー」
と言っているが、その言葉に深みがないような気がして、軽くあしらっておいた(!?)

そのうち4人組も到着し、ドリーとマティルダは、すでにどこかでロベルトに会っていたらしく、三人で盛り上がっている。
ロベルトったら、おばさまがたに評判がいいようだ。
私たちの部屋は四人組とマティウス。ロベルトはとなりの部屋だった。
夜から雨が降り始め、かなり蒸し暑い。
そして、ぶ〜ん という不吉な音が。 蚊だった。
大量発生したのか、体中を刺される。私ばかりが刺されているんじゃないかと錯覚するほど。
もちろんそうじゃない。 みんなも悩まされているようで、あちこちでガタガタ音がする。
朝までみんな眠れぬまま歩き始めることになってしまった。

7月19日(水)Lezama 20.5km

最初の村までは7kmあまり。
なかなかたどりつけない。 そろそろ7kmくらい歩いたはずなのに・・・・・・・・。
トンネルを抜けたところでひと休みをしていたら、四人組のベロニカとカルロス、そしてあのロベルトも並んできた。
もうすっかりロベルトも、彼らの仲間になったのか、一緒に歩いている。
おさらいしよう、四人組はマドリッドから来ている、ドリー、マティルダ、ベロニカ、そして男性一人がカルロス
年の頃は50歳前後の熟女組。 いつもやさしくてエレガントなドリー、意地悪そうだけどおもしろいマティルダ、素朴で朴訥としたベロニカ、おとなしくて女性陣に押され気味のカルロス。 ロベルトは35歳で、この頃の彼の印象は、調子が良くて女性に対して社交上手。その優しすぎる言葉は信用できない「ヤサ男」。
この時点で、カルロスとベロニカは夫婦で、あとの二人はウィドウというのが私の想像するところだった。
これで三度目の出会いだったが、ドリーくらいしか話をしたことがなく、まだ馴染みがなかった。 この中で英語が少し話せるのがカルロス。 ベロニカは、英語を話しているらしかったが、スペイン語で話してもらった方がわかりやすいくらい、頭痛を引き起こす英語だった。ドリーもマティルダも、まるっきり英語はだめだった。
ロベルトは訛っているが、英語は堪能。

ベロニカとカルロスは、休憩している私を見て、そこにへたりこんだ。
夕べ、彼らも眠れなかったのだろう。
ロベルトのいつもの電話が始まった。彼の携帯電話は、いつも鳴りっぱなしなのである。 休憩時間にまとめて連絡をとっているようだった。

トンネルの中から、賑やかな声が聞こえてきた。
ドリーとマティルダだった。 二人は小鳥のようにいつもさえずりながら歩いている。おしゃべりが止まらないのである。
それに比べて、ベロニカとカルロスは、かなり無口な人たちだった。
ドリーとマティルダの二人は、もっと先で休みたいと言って、通り過ぎて行った。
それを機に、私たちも立ち上がり、歩き始めた。

どうやら集団で、迷子になったようだ。
いや、矢印通りに進んでいるので、間違っているわけではなかったが、地図にある村へは行かない別 のコースに来てしまったのだった。
ドリーとマティルダが騒ぎ出した。
「カフェ・コン・レチェ(ミルク入りコーヒー)が飲みたいよぉ!」
朝、宿を出て、一番最初の村で、コーヒーを飲むのはみんなの楽しみである。
何度も歌う。
♪カフェ・コン・レチェが飲みたいよぉ♪
今朝はいくら歩いても、barどころか、村さえないのである。

山の中で、少し開けた場所に出た。
標識がある。次の村まで4.2km。
その村の名前を地図で探すと、見当をつけていたよりもずっと先の村まで来ており、最初に通 るはずの村を一つ飛ばしている形となっていた。
その標識のそばに、一軒家をみつけた。
マティルダは、
「ねぇ、あの家に頼んで、コーヒーを出してもらいましょうよ。」
その家は、カフェでもbarでもない。 山の中の一軒家である。 マティルダは、ロベルトに命令を下している。
「あの家をノックして聞いてみてちょうだい!」
スペインでも、おばさんパワーはすごい。 素直にロベルトは家に向かった。
確かにロベルトを使うのはいい手だ。彼はおねだりするのが上手そうだし。
私たちも後からついていく。
そんなお願いをしちゃっていいのだろうか!?
確かにこの道沿いの住民には、親切な人たちがたくさんいるけど、こちらは6人の集団だし。

ロベルトが戻ってきた。 家人がコーヒーを作ってくれるという。
私たちはそれを聞いて、喜んで裏庭で靴を脱ぎ、くつろぎ始めた。
待つことは気にならなかったが、なかなかコーヒーが出来た様子がなかった。
そのあいだ、私は彼らの仲間として、徐々に組み込まれつつあった。
ベロニカに、カルロスと夫婦なのか聞くと、違うと言う。 三人の女性と大人しいカルロスは、変わった組み合わせだった。
住所の交換が始まった。 私は名刺代わりのステッカーを配る。 お互いに、最初は無関心だったのに、道を歩いていくと、だんだん仲良しになってくる。
そのうち、家の入り口から、三人の女性が出てきて、丸いテーブルが運ばれてきた!
そこには人数分のコーヒーと、ケーキやクッキーが並べられている。
みんなの顔がさらにほころぶ。
突然ドアをノックされて、6人分のコーヒーを乞われても、
ごく普通に応えてくれる。
さらにたっぷりの氷を入れたピッチャーも出してくれた。

この後は、みんなで一緒に歩き出した。 一つの村を通ったのち、今日の目的地であるラサマに到着したのは午後三時。
まだアルベルゲが開いていない。
今日のアルベルゲは、どうみても変な建物だ。
建物というより、これってコンテナじゃない??

先に食事に行こうということになった。
おばさんパワーは世界的なもののようで、おまけにロベルトという交渉上手が加われば、向かうところ敵なしである。 何件かbarを回って比べている。
そこに今、食事を終えたマティウスが出てきた。
交渉の結果、barで今日できるものを作ってもらうことになった。
出てきたのは、トルティーヤ・デ・パタタ(定番のポテトオムレツ)、獅子唐のフライ、ミックスサラダ。 飲み物は葡萄のジュースと大量のビール。食後はコーヒー。どれもおいしい。
おばさんパワー万歳である。

アルベルゲに戻ると、ボランティアの女性が来ていたので、受付がはじまった。
外から見ると小さなコンテナも、中に入れば、それでも10個以上のベッドがあった。
冷房も効いている。 去年までは、冷房がなかったのだそうだ。 さぞかし暑かっただろう。

奥には不思議なシャワーやトイレがあった。
こんな変なアルベルゲは初めてだ。
この狭いアルベルゲには、地元の人が入れ替わり立ち替わりやってくる。 様子を見にきているようで、明日歩く道のアドバイスもしてくれる。
ガイドブックの通り、きっちり歩くのが好きなマティウスは、明日はビルバオまでしか歩かないという。 ビルバオまで14.6km。私はもっと先に進みたい。
四人組たちも、先に行くようだった。

ボランティアの女性は、とてもフレンドリーで親切。ビルバオからポルトガレテまでの近道を教えてくれる。 なにしろ彼女はビルバオ出身のため、土地勘があるのだ。
別の男性は、ビルバオからポルトガレテまでは、退屈な歩きだから、地下鉄に乗るといいとアドバイスしている。
とんでもない。どんな道だろうと、歩きたいのに。 その男性は、ヘスースというアルベルゲの隣人だった。 隣人と言っても、コンテナに住んでいるわけではない。 大きな庭がある大邸宅に、一人で住んでいるのである。

いつのまにか、その大邸宅で、ダンス教室をすることになっていた。
私もマティウスも呼ばれた。ボランティアの女性まで連れ去られて、彼の家に全員が集められた。
まるで博物館のような邸宅である。
居間に通され、家具を移動する。 そこにダンスをするためのスペースを作るためだ。
私は何が始まるのか、よくわからないままそこにいた。 すると、ロベルトの指揮が始まった。 ロベルトは、プロのビオ・ダンサーなのであった。
ビオ(BIO)・ダンスというのは、初めて聞いた言葉だった。 ロベルトのこと、何にもしらなかったけど、ビオ・ダンサーだったんだ!

靴を脱いで、裸足になった。 丸く輪になって、それが大きくなったり小さくなったり。
体の自然な動きに合わせて左右に波のように輪が揺れる。
今度はペアーを組んで、ひとさし指同士を合わせ、だんだん指が動き、体も一緒に動いていく。 相手は次々と変わるが、みんな優しい幸せそうな顔をしている。
まじめなマティウスも、一生懸命に踊っている。 話をしたことがなかったマティルダが、10年来の親友のように、愛情で溢れたまなざしで見つめてくる。
いくつかの動きの後、また輪になって目を閉じて・・・・・・。
このダンスは、心と体を解き放って、意識を捨てて自然に身を任せ、心まで自由になるというダンスなのだそうだ。
大会では、日本人のダンサーに会ったことがあるという。 そして、この静かなダンスが終わったあと、私たちはすっかり家族のようになっていた。

ヘスースはおいしいワインをどんどん出してくれる。
そこにロベルトに電話があり、今から友達が来て、巡礼に合流するという。
やってきたのはスラリとした美人のルルデスだった。
ルルデスはとても感じの良い女性で、すぐにみんなの中に溶け込んだ。
体を動かして、お腹がすいたので、みんなで簡単なサラダを作った。
瓶詰めのひよこ豆を使い、タマネギと獅子唐と刻んで味付け。パンとワイン。 一つの皿に手を伸ばしてサラダをつまむ。

そして、夜も更けて、コンテナの宿に帰っていった。

7月20日(木)Portugalete 31.6km

今朝もマティウスと先に出発。 途中で四人組、ロベルト&ルルデスが追いついてきた。
みんなで一緒に歩いてビルバオが見渡せる丘に出た。
私は一人で興奮した。グッゲンハイムが見える。ほんの少し前に来たばかりなのに懐かしい。

ビルバオに着き、揃って朝食を食べたあと、それぞれに別 れた。 マティウスは、今日はここまでとし、ゆっくりビルバオを観光したいのだと言う。 もう、しばらく会えないかもしれないけれど、後で必ず追いついてくるだろう。
私はSantiagoという名のカテドラルを訪ねた。
川沿いを歩き、グッゲンハイムへ。 一か月ほど前に来た時と同じ展示内容だったので、今回は中を少し見て通 りすぎることにする。 ここではスタンプをもらい、ご満悦。
前回来た時は、雨模様だったので、まったく印象が違う。

ビルバオは早いとこ通 過しようと、さらに川沿いを歩く。
今日の目的地であるポルトガレテまでは、この川沿いに行けば近道だと昨日教えてもらっていた。 ビルバオの街を過ぎると、川幅が広くなり、中州があって、工場地帯のようになっていた。 気をつけなければいけないのは、川の右側を歩くこと。そうしないと、とんでもない方向に行ってしまったり、遠回りになるからだ
。 車がたくさん走る空気が悪い道をひたすら歩かなければならない。
暑さと、退屈な道のり。地下鉄を勧めてくれたのは、このためだったけど、こんな道でも歩きたい。歩かなければ。

何度かbarで休憩したり、昼食も取りながら、少しづつ進んでいく。
昨日の話では、ポルトガレテに到着した時の目印は、橋があるということ。
橋があれば、それを渡ればポルトガレテだというのだ。
その橋には、何か謎があるようで、絵をわざわざ書いてくれたのだが、ゴンドラのようなものがぶら下がっていて、いったい何を意味しているのかわからなかった。
とにかく橋の出現を待った。

ようやく遠くに小さく橋らしきものが霞んで見えてきた。
少しづつ大きくなってくるまで、時間がかかる。
おや?あれって橋なの?
高い柱しかないみたい。
人や車が渡る道は、どこを探してもない。
目を凝らして見ると、川の両岸を繋ぐのは、それは道ではなく、太いパイプのようなものだった。ガス管なのかもしれない。
いったいどうなっているのだろうか!?
だんだん近付いても謎は深まるばかり。
すると、その橋に沿うような形で、大きな箱が動いているではないか。
いよいよ橋のたもとに到着すると、チケット売り場がある。 きっと橋を渡るには、お金を払わなければならないのだろう。
待っていると、向こうから、ゴンドラのような箱が近付いてきて、ドアが開いた。
そこから人が降りてきて、こんどは待っていた私たちが乗り込む。 真ん中の大きな通 路は車用だった。 ドアがしまると、ゴンドラは動き出した。
確かに絵に描いてもらったものと、同じではないか!

アルベルゲでは最後の一つのベッドをもらうことができた。
すぐ後から来た、フランス人親子三人組は、床にマットレスを敷いて寝ることになってしまった。 まだそんなに遅い時間ではないのに、混んでいるなんて不思議だ。
部屋もけっこう広いのである。
部屋を見回すと、あれ?なんか見覚えのある荷物じゃないの?

シャワーを浴びて外に出る。
近くにアウトドア用品の店があったので、ショートパンツを購入。
サンダルも試してみたが、サイズが合わなくて断念。
今日はスーパーで買いものをしよう。 スーパーに行くと買うのは決まって、ヨーグルトと、大量 のフルーツだ。
アルベルゲの部屋に戻ると、ルルデスが居るではないか。
見覚えのある荷物は、ロベルトや四人組のものだった。
ビルバオを見学すると言っていた彼らの方が、先に着いているなんて不思議だったが、彼らは素直に地下鉄に乗ってきたという。
ロベルトは疲れて寝ていた。

大きな廊下にテーブルが置いてあって、そこで食事をしている人がいたので、話をはじめた。
彼は、パブロと言い、サンティアゴの近くの出身で、これから歩いて実家に帰るのだが、時間がないので、どこかでバスに乗るつもりだという。
普段はドイツのハンブルグの大学で、スペイン語とドイツ語の先生をしているという。
頭が良さそうだけど、気が弱そうな、ぬいぐるみみたいな人だった。
そこへここのアルベルゲのボランティアの世話人である、アンヘルというおじさんがやってきて、あれやこれやと世話をしてくれる。
今後の巡礼路についても、具体的にアドバイスをしてくれて、とても親切にしてもっらった。

夜もふけると、四人組も帰ってきたが、人数が二人増えていた。
ペドロとロザリオの夫婦が加わったのだ。二人は四人組とは旧知の仲だった。
ちなみに、「四人組」と言ったのは、マティウスだった。彼らを総称する時、「グルポ デ クワトロ」と呼ぶのだった。
この二人の出現は、近くに迫った四人組の帰郷を意味していた。
あと三日ほどで、ベロニカとカルロスが帰ってしまうのだ。
ペドロとロザリオの二人は少しだけつき合って歩いて、ペドロの車でマドリッドまで帰るのだった。 残るマティルダとドリーもあと一週間ほどで帰郷するのであった。
ルルデスも同じだった。

消灯の時間が過ぎ、一人で廊下のテーブルで日記を書いていると、ルルデスがやってきた。
ルルデスは、チャーミングで、ひとなつっこい女性だった。
「私の名前は漢字でどう書くの?」
ええと〜、いい文字はあるかなぁ? 考える時間を稼ぐために、
「『ルルです』って日本では有名な風邪薬だよ。『I am るる』ってこと。」
我ながら、変な説明でお茶を濁しながら考える。
紙に『流留出寿』と書いてみるが、いまいちだなぁ。
そこへロベルトもやってきた。
ロベルトにも考えてあげる。
『路辺流人』
これはなかなかいいんじゃない?! 三人で盛り上がる。

ルルデスとロベルトは、とても仲が良い。
たくさんかかってくるロベルトへの電話が急に減ったのは、電話の相手が彼女だったからなのだろう。
素敵な彼女だったので、少しロベルトの株があがってきた。
ルルデスは、仕事の関係で、一週間弱だけ一緒に歩くことになっている。

7/17 Monastereo de Zenarruza
7/18 Gernica
7/19 Lezama
7/20 Portugalete
お水をわけてくれたおじさんは、山の中の一軒家に住んでいました
家からお水を持ってきてくれました
修道院の入り口です
これは現代彫刻の一つで、表面 に塗料を塗っていました
忘れられない夕焼けです
ここで、四人組に初めて会いました。右はマティウス
飲み物をくれたおじさん達。
こんな民家の横も巡礼路でした
この杖は、ここで捨てようと思って記念撮影したのですが、結局最後まで一緒にこれを友に歩きました
チリダの彫刻です
憩いの公園です
こちらがゲルニカのシンボル。オーク(樫の木)
こちらは2004年に植えられた新しい木
屋根全体が、ステンドグラスになっています
ここは私営のアルベルゲです
このパンはこの辺りの名物だそうです。ふわふわでした
突然出現した一軒家で、コーヒーをいただくことに
こちらが、この家のお母さん
マティルダです。テーブルの上にはカフェ・コン・レチェとお菓子が
四人組、左からドリー、マティルダ、カルロス、ベロニカ、そしてロベルトです
豪邸へスースさんの家の庭
ここでビオダンスを教えてもらいました。左から四番目の女性は、巡礼宿のお姉さんです
ここが今夜のコンテナのアルベルゲです
ビルバオの街が見えてきました。グッゲンハイムもここから見えました
グッゲンハイム美術館
これが橋の秘密です。写 真は、マティウスからもらいました
アルベルゲでお世話になったアンヘルさん。右がアルベルゲの入り口