
7月26日(水)San Vicente de la Barquera 21.7km
七時半に起きて、しぶしぶ支度をはじめる。
しぶしぶ・・・なのは、睡眠時間が少なかったせいもあるが、自転車組というのは、必ずと言っていいほど出発が遅いし、今まで出会った仲間たちから離れて、先を急いで一人で歩いていることが、いやになってきたのである。
外は霧雨。
なおさらである。
ポンチョを着込み、緑の道に目をやると、草花は雨露に覆われて、いっそう緑を増し、風に揺れるさまが美しいのである。
何度も立ち止まり、写真を写して歩くものだから、なかなか進まない。
でも、こんな風に夢中になっている時が、一人でいて楽しい時間なのである。 さっきまでの悶々とした気持ちが晴れてきた。
そして、目の前には分かれ道。
矢印はない。どちらに行くべきか迷っていると、右手上方に平行してある車道を、また、ジャンピエールおじさんが歩いているではないか!
向こうも気がつき、手を振った。
私もそっちに行ってみようかな。
するとそこにあった一軒家から、おばちゃんが出てきて、巡礼路はこっちだよ!と、反対の左手の道に行くように勧められてしまった。
この辺りにはずっと家などなかったのに、その家のおばさんが出てきて言ってくれるのだから、きっと何か意味があるのだろう。
私は田舎道を歩くことにしよう。
ジャンピエールおじさんも、了解したらしく、次の町であるComillasで会おうと、遠くから言ってくれた。
雨が止み、Comillasに着くと、ここも観光地のようで、人がたくさんいる。 そこへ昨夜一緒だった自転車の二人も通
りがかった。
そして次の瞬間だった。
あっ、ジャンピエールおじさんが50センチほどの目の前を歩いているではないか!
いつから私の目の前に来て、歩いていたのか。ジャンピエールおじさんにも私にもわからない。
いつも目の前に出現するか、ばったり出くわすのである。
ジャンピエールおじさんは、足の調子が悪いらしく、今日はこれからマッサージに行くのだそう。
そのために、遠回りの田舎道を避け、今は幹線道路を歩いているのだった。
ジャンピエールおじさんとはそこで別れ、barでタコのサラダや小さな貝をつまむ。
その貝を食べるために、店の人はコルクに刺さった虫ピンを持ってきてくれた。 この針でなければ、食べられないほど小粒な貝なのだが、味はしっかりしており、ビールのつまみにはもってこいだった。
お店の人と話をし、ガウディの建築物の場所を聞いた。 ここではそれを見ていくことにしよう。
巡礼路から、少し外れたところに、ガウディの建造物はあった。
今はレストランとして使われているようだが、今回は外から見るだけにした。 ひまわりがたくさんあしらわれ、おとぎの国のお城のようなかわいらしい館だった。
町を出ると、車道の隣にサイクリング道があり、そこを歩いていく。
もう、眠くて限界だった。 睡眠不足が祟ったのだ。 そばにあったベンチで一眠りすることにしよう。
このあとの12kmも長かった。 そして今日の目的地であるサン・ヴィセンテに着いたのは、夕方6時だった。
インフォメーションに行き、巡礼宿の所在地を聞いた。
向かい側の道を入って、すぐ左に折れ、ずんずん登って行けば良い。
かなりの登りである。 町が見渡せる、丘のてっぺんの教会の隣にアルベルゲはあった。
そこまで上がると、今度は反対側の小さい湾を見渡すことが出来、とても景色が良い場所だった。
中に入ると待っていたのは、ソフィアとマリーローの親子だった。
ソフィアがこのアルベルゲの世話人で、マリーローは、週末だけ手伝いにやって来たと言う。
二人は私をみつけると大騒ぎ。 一刻も早く荷を下ろして、水を飲みたいのに、質問攻めでなかなか休ませてくれない。
話していると、サンタンデールで出会った、自転車の女性から話を聞いていたらしく、彼女の名前が出たり、以前に泊まった日本人巡礼者の話になったり。
なかなか受付さえしてくれない。 部屋に辿り着くまでに、一時間近くかかった。
メールチェックに行きたかったので、早めにシャワーと洗濯を済ませ、山の下に下り長い橋を渡り、ネットカフェを探し当てる。
そこでジュースを飲みながら、メールチェック。 今夜はソフィアおばさんが、夕食の支度をして待っているはずだ。早く帰らねば。
さっとメールをのぞいて、トンボ帰りで再び丘を登って行く。
今日の宿泊客は、男性3人、女性4人。みんなピコス・デ・エウロパ(ヨーロッパ)に行く登山客のようだった。
一昨年、スペインを旅行するなら、ここに行くといいと、勧められた美しい地域であった。
このアルベルゲを通過する人は、三通りあるという。 ひとつは私のようにに、Camino
de Santiagoの巡礼者、 もう一つは、このピコス・デ・ヨーロッパに出かける足がかりにする人。
そしてもう一つが、ピコス・デ・ヨーロッパを含むサント・トリビオという巡礼路を歩く人々だった。
(後日再訪し、私もこの道を歩いた。) この巡礼路も、やはりこのサン・ヴィセンテを通
る。たまたま今年はその道の聖年にあたるため、ここ、カンタブリアでは特に、巡礼を応援してくれており、どこでもメイグリーンに赤字で染め上げられた旗が舞っているのであった。
http://www.jubileolebaniego.com/jubilar.htm
食事は、野菜たっぷりのスープに始まり、トマトのパスタ、サラダだった。
スープは絶品だった。
全員がテーブルを囲む。ソフィアは面倒見が良く、大家族の肝っ玉母さん風だ。
後片付けは、私たちが行う。
ソフィアの娘、マリーローは、ふだんはサンタンデールに住み、働いている。
とてもフレンドリーな親子で、すっかり仲良しになってしまった。
7月27日(木)Llanes(San Vicente de la Barqueraにもどる) 41.1km
今朝はアルベルゲで、暖かいコーヒーやパンを用意してくれている。
家庭的なムードのなか、また質問攻めに遭う。
今日はここに泊まった巡礼者からだった。
その中の一人は、2004年にフランスの道を歩いて、そこで日本人に出会って、とても良い思い出があるという。
今回の道で何人かの人に、同じようなことを言われた。 おおむね、日本人は評判がいいようで、うれしく思うし、こうやって国際交流もしているのだなと思う。
夕べから、ソフィアおばさんは、カルテラ(車道)を歩くように勧めてくれる。
今までの「道」とは大きく違うのは、なぜか地元の人たちが、カミーノ(巡礼路の田舎道)を勧めるのではなく、近道や、時には地下鉄に乗ることさえ勧めてくるのだ。
それだけ今回の道は、山道も多く危険であったり、長い道でもあるわけだ。
確かに今日も道は長い。一応アドバイスとして聞いておくことにするが、行ってみて考えよう。
ソフィアおばさんは、いつまでここに居るのか聞くと、今年いっぱいは居ると言う。
普段なら、そんなことは聞かないのだが、またここに戻ってみたい気がするアルベルゲだったのだ。
暖かく見送ってくれる人がいると、昨日のように、出だしから「しぶしぶ」ではなく、さわやかな気分で出発することができる。
「今日の天気はどうかなぁ?」
ソフィアは外を見て、残念そうに
「いいとは言えないわね。でも、誰も天気のことはわからないわよ、ここでは。」
外に出ると、霧に煙っていて、下界は素敵に見えたのだが、行く末に不安があった。
歩きはじめてすぐに、ジャン・ピエールおじさんが前方100メートルほどのところに見えてきた。
また今日もおじさんは、どこから出てきたのだろうか!?
しかしこのときは、おじさんをとうとう捉えることが出来ずに終わってしまった。
最初の約15km地点のUnqueraの手前で雨が降り出した。
雨具の用意をするために、barに駆け込んだ。
ここで二回目の朝食を食べながら、ルルデスに電話をしようと思いたった。
彼女はこの日に旅を終えると聞いていたからだ。 実際のところ、今日までは歩けるのか、今日のうちに帰ってしまうのかは定かではなかった。
また、みんなが今どうしているか知りたかった。 ルルデスは、ロベルト、ドリー、マティルダと一緒のはずだ。
そしてドリーとマティルダも、ルルデスと同じく、今日か明日で今年の「歩き」を終了するのだった。
ルルデスは元気よく電話に出て、帰宅の途にあるということで、みんなとはすでに別
れたと言う。 おそらくみんなは今夜、今私が休んでいるこのUnqueraあたりに宿泊するという予定だということもわかった。
「Madridに来たら、いつでもうちに泊まっていいわよ。」
明るくて利発でひょうきんでやさしいルルデスは、私の出会いの宝箱に入れさせてもらうことにした。
ルルデスに会えないままお別れとなってしまったのは残念だったが、もし出来たら、今日電車などでここUnqueraまで戻ってきて、ドリーとマティルダにお別
れのあいさつをしよう。
そのあとまた、今日の到着点に戻って、明日から歩いてみればいいじゃないか。
自分のSantiagoへの到着も達成したいが、やはりここでは人の出会いも大切にしたい。
到達にばかり気をとられて、大切なものを失いたくなかった。
そこへ別の人から電話が入った。 去年の『銀の道』で出会った、やはり宝箱に入っている(?!)Ivanからだった。
イタリア人の彼女のパオラと共に、イタリアの巡礼路(アッシジまでの300km)を、今日から歩き出したのだと言う。
そこでは二人しか巡礼者は居ないと言い、私たちは、別の道でありながらも、今年も「道」で、苦楽を共にすることになり、連絡を取り合おうと言い電話を切った。
Unqueraに着くと、スーパーで歯ブラシを買った。
今朝顔を洗う時に、みつけられなかったのだ。 田舎を歩く道だし、いつ歯ブラシが買えるかわからないので、気がついた時に買っておくのがいい。
他に少し食料を買う。生ハムとクリスプス。
少し歩いて気がついた。杖がない。 バスクの山を歩いている時に助けてもらった杖である。
スーパーに忘れて来たのだ。引き返そう。
いよいよUnqueraを出ると、馴染みになっていたカンタブリアとはお別
れだった。 今回初めて足を踏み入れたカンタブリアは、とても美しく、人々が親切で情に厚い地域だった。
さようなら〜、カンタブリア。
ありがとう〜、カンタブリア。
ここからはアストゥリアスである。
なぜだろう、境目からあきらかに感じが違う。
どこの道でもそうだが、自治や地域が変わると、「道」の管理も違えば、重要度も違ってくる。
アストゥリアスは、私にとってはあまり、親切な「道」ではなかった。
まず、矢印の数が減り、その方向がどちらを指すのかわかりにくい。 後日知ったのであるが、この地方の矢印は、他の地方とは逆向きだったのである。
矢印は主に二種類あって、「→」の他に、巡礼のシンボルであるホタテ貝を使っていることがよくある。
この、ホタテの向きが方向を指しているのである。貝が広がっている方向なのか、その逆なのか。
この時はまだそれを知らなかったので、私は混乱し、雨もさらに降り出して、途方もない状態にあった。
Unqueraを出ると、私はあえて田舎道を選んだ。
次の村には、見たい建造物があったからだ。 道はまるで、パズルのように思われた。
あるいは、推理ゲームのようだった。 田舎道に雨が降り出すと、土の道は瞬く間に川となり、足場が悪くなる。
やっとのことで見つけたのは、Indianosの建築という、大きな館だった。
ニューオリンズの郊外にあるような、プランテーションで見た家と良く似ているのは、アメリカに移住し成功した人物の家だからだろう。
中は博物館になっていたが、興味がなかったので覗くだけにし、先を急いだ。
早く山から下りないと、雨で足止めを食いそうだった。
ここからは、ソフィアおばさんの言う通り、カルテラ(車道)を歩くことにしよう。
ちょうどカルテラに出た頃から、雨の勢いは増してきた。 コンクリートの道でさえ、川のようになり、坂道は足下に水が流れてくるし、バケツをひっくり返したよう雨は、雷を伴い、荒れ狂っていた。
車の行き来もあり、スピードを上げて通り過ぎる車は、容赦なく水しぶきを上げ、その度にずぶ濡れになるのである。
雨そのものも、力強い。
空は真っ黒で、この頭上に再び太陽が現れるなんてことは想像できない。
ほんの少し、雨が和らぐ波はあるけれど、何度も何度も繰り返し、激しい雨が降ってくる。
こんなにひどい雨は初めてである。 これは悪魔の仕業なんだろうか。あまりにひどい仕打ちじゃないか。
カッパを着ていても、隙間を狙って雨がしみ込んでくるのである。 どんなに大変な時でも、カメラのシャッターを押し続けていた私も、さすがにこの雨では手も足も出なかった。
カメラを出したら瞬時に壊れてしまいそうだったからである。
それでもこの雨を記録しておきたいと思い、シャッターを素早く切ってみたが、あとで写
真を見ても、それは伝わらない。
ジャン・ピエールおじさんは、Unqueraあたりでストップしたかもしれない。
今日の目的地はLlanesで、今朝出てきたサン・ヴィセンテからの間を歩いている巡礼者は、おそらく自分くらいであろう。
barがあったとしても、こんなにずぶ濡れでは中に入れない。
実際は、いくら歩いてもbarはなかった。 そのかわり、ところどころにこの道に平行して走る列車の線路が見え隠れする。
思い切って次の駅で列車に乗ってしまおうか・・・。
そんな誘惑と戦いながら、ひたすら前に進むことだけを考えた。
こんな時、ふとなつかしく思い出すのは、去年の「銀の道」である。 暑くて暑くて足にマメがいっぱいできて苦労した道。 乾燥地帯だから、雨もほとんどなく、たとえ一時的に雨が降っても、次の瞬間にたちどころに乾いてしまう。 あの暑さがなつかしい。
悪い天気も永遠に続くわけではない。
やがて雨は小降りになり、そして・・・・・・・、とうとう止んだ。
雨が降っていると、どこも水浸しなので、座ることも出来ないでいたが、屋根がある小さなバス停を見つけ、そこに座って先ほど買った生ハムを食べる。
普通なら、歩きながらでもチョコレートや果物を食べることが出来るが、この雨では、まったく身動きが取れなかった。
幸いリュックの中までは水は入っていない様子である。 そして靄も晴れて景色が見えてくると、噂のピコス・デ・ヨーロッパの山々が姿を現してきた。
ギザギザした灰色の山。
近づいては遠ざかり、また別の山が・・・。
私の足は、止まることなく30km以上を歩き続け、雨が入り、水槽の中に素足を入れている状態のまま、歩いていたので、皮膚が長風呂に入った時のようになってしまった。
今日はできればドリーたちと再会したい。
目的地のジャネスに着いたら、列車でみんなが居る地点まで戻ってこよう。
ようやく今日の目的地であるジャネスの町に入って行った。
ここも海水浴の客で賑わう観光地のようで、巡礼路の町というイメージはない。
私は町に入ると、何よりもまず、インフォメーションを探し飛び込んだ。
そしてロベルトへ電話をかけた。
「今、どこにいるの?」
「サン・ヴィセンテだよ。今日は雨がひどくて、ここまでしか歩けなかったんだ。」
昨夜私が泊まった、ソフィアとマリーローの親子がいる町である。
「わかったわ。じゃ、今からサン・ヴィセンテに行く交通機関が見つかったら、戻ってみんなに会いたいから、ソフィアおばさんに、もう一晩泊まっていいか聞いておいてね。またすぐ連絡するわ!」
「えっ?それはすごいサプライズだよ!!!」
本当にお互いサプライズであり、素敵な再会になるに違いない。
アルベルゲでは、一応二泊以上は特別な理由がなければ出来ない。 ソフィアおばさんとはすっかり仲良くなったものの、その判断は彼女によるものなので、聞いておいてもらうことにした。
インフォメーションに入り
「ここからサン・ヴィセンテに行きたいのですが、列車かバスはまだありますか?」
すると、あと15分後に列車があると言う。ここから駅まで6〜7分、急げば間に合うと言う。
すぐにロベルトに電話すると、
「ソフィアはもう一晩泊まっていいと言っているよ。」
「じゃあ、15分後の列車に乗っていくから!」
「それはすごいよ!じゃあ、駅まで迎えに行くから!!」
そうこうしているうちに、列車の出発時間までに5分ほどしかなくなった。
走るように、駅に向かった。 駅にはちょうど列車が待っていて、飛び込むと同時に出発だった。
今日はこれが最終列車なのだ。
というか、一日に二本しか走っていなかったのだ。
不思議だ。今日一日歩いてきて、どこにも出口のないような、道だったのに、いきなり列車に飛び乗ったら、また世界が変わっていくのだ。
そういえば、線路は何度も見たけれど、一度も列車を見ることがなかった。
翌日は、列車かバスでこのジャネスまで戻ってきて、歩き始めるつもりだ。
列車の中で、カッパを広げ、靴を脱ぐと、足の皮が大変なことになっていた。 少しでも乾かそうとするが、そう簡単には乾かなかった。
車窓の景色が良い。
今日私が歩いてきた道も見える。
山々も、反対側の海も美しい。
そうだ!雨の中、海が見えていたっけ。
ゆっくり休めると思っていたのに、40分の道のりは、あっというまであった。
時刻表を目で追いながら、サン・ヴィセンテの駅に着いたはいいけれど、降りたのは私と一つの家族だけ。
そして昨日来た場所のはずなのに、何一つ見覚えのあるものはない。
そこへロベルトから電話が・・・・・・・・・・。
「サン・ヴィセンテの駅は、町からずいぶん離れているんだって!」
「やっぱりそうなの!?今着いたんだけど。なんとかするから、バスのターミナルで待っていてね。」
なんとかするとは言ったものの、もう一歩も歩きたくなかったのに・・・・・。
一緒に降りた家族を追って聞いてみた。
「サン・ヴィセンテへはどうやって行くんですか?」
「あっちの方向へ3kmくらい歩くよ。」
ひぇ〜っ、また歩くのかぁ。
仕方なく歩き出すと、さっきの家族が呼んでいる。
「良かったら乗せて行ってあげるよ。」
ご夫婦のご主人は、足が不自由なようである。後ろには5歳くらいのかわいい男の子が乗っていた。
もちろんお言葉に甘えることにする。
子供の名前はダニエルと言い、すごくかわいい。
そこへ心配したロベルトがまた電話をくれた。
「今、親切な人に車に乗せてもらったから、もうすぐ行くからね!」
「そりゃラッキーだったね!」
車はバスターミナルのすぐそばまで乗せて行ってくれた。
急いでバスターミナルに走りよると、ロベルト、ドリー、マティルダがいた! 私たちは輪になって抱き合って喜んだ。
ふと見ると、おじさんがそばでニコニコしている。 あれ?巡礼路で二度ほどみかけたおじさんだ。
ドリーはおじさんを紹介してくれた。ビンゲンといい、ビルバオから来たという。
おじさんもこの仲間に加わっていたのだ。
私は明日の朝の、ジャネス行きのチケットを買うことにした。 お昼前に着くのが始発であるが、まあいいだろう。
ドリーとマティルダも、マドリッド行きのチケットを買っている。
ロベルトは、私のリュックを持ってくれた。あー助かった!あの坂道をまた上がるのは、難儀なのだ。
アルベルゲへ向かう道すがら、私たちは踊るように跳ねて歩いた。
マティルダが言った。
「マティウスも来ているわよ。」
おお、マティウスも来ているのか。 マティウスは、私の最初の巡礼仲間であり、お世話になっていたし、ビルバオ以来の再会である。
自分だけが雨に当たってつらい思いをしていたような気になっていたが、後ろ30~40km歩いていた彼らもそれは同じで、
今日はみんなが痛いめにあっていたのだ。
アルベルゲに着くと、ソフィアおばさんとマリーローが飛びついてくる。
今日は満員で、30人くらいの人が泊まっていた。
入り口の大テーブルに居ると、次々と顔見知りがやってくる。
その中には、ゆっくり話をしたかったラファがいた。 ラファは一昨年「銀の道」を歩いたこともあり、数少ない本物の巡礼者のように思えた。
やっと座って話をするが、ドリーたちが待っているので、部屋に行くと、一つだけベッドが残っていて、その周辺にはラファの仲間たちがいた。
また、フランスの親子もいたし、ドイツのアレックスもいた。 みんなここに大集合だったのだ!
おっ、今度はマティウスをみつけた! 大仰に驚いて近寄る私に、冷静沈着なマティウスは、再会の喜びをほとんど表現することもなく
「今日の雨でブーツが濡れちゃって・・・・・・・」
「???(みんな濡れているよ)」
「今夜はこのアルベルゲで食べる?それとも外でイワシとビール?」
もちろん後者の意見に決まって、ロベルト、マティルダ、ドリー、アレックス、そしてビンゲンと私の6人で町へ降りて行く。
マティルダとドリーにとっては、最後の夜である。 ビールで何度も乾杯し、イワシを平らげる。
こっそりマティルダに、
「ここにいるビルバオから来たおじさんの名前は何ていうんだっけ?」
新しく加わった仲間の一人の名前を覚えられなかったため、聞こえたら失礼なので小声で聞いてみた。
マティルダも耳元で
「それが私もよくわかんないのよぉ。確かビンガンとか、ギンギンとか、そんな名前よ。」
首を傾げながら、くすくす笑っている。
「えっ?何日一緒にいるの?」
指で数えながら
「うん、4日ね。」
そして言い訳をするように
「でも、スペインでも聞いたことがない名前なのよ。」
私たちは大笑いをしながら、ひそひそしていた。すると今度は
「ラファには会った?」
マティルダは記憶力がいい。私が前に感じがいい人だと言ったことを覚えているのだ。
「あっ!今日アルベルゲに居たよ!!」
「本当?誰なの?教えてェ〜」
「じゃ、後で会ったらね!」
そしてマティルダはこう言った。
「ねぇ、知ってる?マティウスったら、ブーツが濡れちゃったから、もう歩けないから明日マヨルカに帰るんだってよ!」
「えええ〜〜〜〜〜〜っ?ありえないよぉ。彼はSantiagoに着く日を決めて、着実に歩いていたんだよ。」
「でも、ブーツが濡れたから・・・!」
また笑ってしまう。
マティウスったら、マニュアル通りにしか動けない人だとは思っていたけど、そんな理由でリタイアするとは思っていなかった。
どおりでさっき会った時ににも、『ブーツが・・・』と言っていたっけ。
私はロベルトにお願いして、
『私がスペインを好きになった訳』という長いストーリーを通訳してもらった。
このストーリーは、12年前にスペイン南西部の田舎町で起きた、楽しいハプニング旅行の思い出である。
ドリーとマティルダは、今は長くマドリッドに住んでいるが、元々はその地方のバダホスの出身なのだ。
ロベルトは、事細かにスペイン語で通訳してくれた。 いつのまにか、ロベルトは、信頼できるお兄さんのような存在になっていた。
コーヒーを飲みにカフェに入り、また急いであの丘に登っていった。
丘の上まで行くと、例によって向こう側の海と山が美しく見え、
「ケ・ボニート!」(なんてきれいなんでしょう!)
を連発しながらご機嫌で歩いていたら、アルベルゲのすぐ目の前で、足が滑って尻餅をついてしまった。
まだ濡れていた道は滑りやすく、どろどろなのだった。
誰かがすぐにソフィアおばさんに言ったらしく、その噂はアルベルゲじゅうに聞こえてしまい、たくさんの人から、
「転んだんだって?だいじょうぶ?」
と声をかけられてしまった。
ソフィアおばさんは、
「ねぇ、この歯ブラシはあなたの?」
あっ!私がなくしたものだ!! 早速今日買った歯ブラシを持ってきて、ソフィアおばさんにプレゼントした。
いや、本当は、私みたいに歯ブラシをなくした巡礼者にあげてねという思いで、歯ブラシを渡したつもりなのだが、ソフィアおばさんは、
「まあ、私に?うれしいわ、ありがとう!」
今度はマティルダがベッドに来て、小声で
「ラファはどこにいるの?」
私は部屋を見回しながら
「あの人だよ。」
するとマティルダは
「このTシャツを、あなたにあげるわ。ラファと歩く時に着るのよ。勝負Tシャツよ。」
「あっ、ありがと〜!(でもそんなんじゃないんだけど!)」
「これは香水。ラファといいムードになった時にこっそり回りにふりまくのよ。」
「はっ、はい、ありがと!(だから〜、そんなんじゃないっつうのにぃ!)」 マティルダって本当に変なおばちゃん!
ここ数日、ほとんど巡礼者に会わないでいたのに、たった一日分後ろに戻ってみると、みんなここにいたのである。
そして戻ってきて本当に良かった。 ドリーやマティルダが帰る前に会えたし、ロベルトや他のたくさんの巡礼者に会うことができた。

7月25日(火)Cobreces 22.8km
早朝、barの箱に鍵を入れて出発の予定が、すっかり寝坊してしまった。
いつもなら、誰かが起きてその音で目覚めることも多いのだが、今日は個室の、しかも一戸建てである。
そのかわり、ゆっくり静かに眠ることができた。
barに行くと、おばちゃんはうれしそうに待っていてくれた。
箱に鍵が入ってないから心配したのだろう。
カウンターに座ると、大きなカフェ・コン・レチェとマドレーヌ、クッキーが出てきた。
今日は朝から充実した朝食だ。
ここからどうやって歩くのかを、地図を書いて何度も説明してくれた。
心強い。 支払いをしようとすると、自分の胸をポンと叩き、これは私からのプレゼントだよと言う。
夕べもらったくるみを見せて、これを割るにはどうしたらいいか聞くと、奥で割ってきてくれ、さらに多くのクルミとパンを包んで持たせてくれた。
店を出ようとして、壁に立てかけた杖を忘れそうになって、それを見て、おばちゃんが言う。
「もうこれは要らないんじゃないの?」
「うん、今はもう必要ないんだけど、バスクの山で拾ってお世話になった友達だから!」
おばちゃんは深く頷き納得してくれた。
そして固く抱き合ってbarを出た。
まもなく、道の向こう側に、見たことのない巡礼者をみつけた。
誰だろう?
おじさんである。
ほんの少し、私より前を歩いているから、おじさんは私に気づかない。
「おじさ〜ん」(日本語で!)
と呼んでみた。道の向こうから返事がきた。
大きな通りを挟んで話をすると、初めて会ったフランス人のおじさんだった。
少し歩くと、またどこからともなくおじさんが現れ、手を振る。 工場街を抜けた後は、なだらかで花が咲き乱れる丘に登って感動。
さらに歩くとSantillanaという村に出た。
ここに入ると、突然観光客の集団が小さな町を埋め尽くしている。
歩いていても、滅多に人に会わないのに、ビーチと同じように、ここにもスペインの観光客がたくさんいた。
昨日会ったアンドレは、目的通り歩けたなら、ここまで来たはずだった。
ここは、アルタミラの洞窟の足場となる町でもあるが、すばらしいロマネスク教会があった。
残念ながら、時間制限の関係で、中に入ることはできなかったが、外から見ても、その装飾の彫刻がすばらしい。
こういう表現は良くないかもしれないが、「かわいい」聖人が正面の入り口に並んでいる。
また、町中どこを歩いても、ヨーロッパらしい風情であふれていた。
観光客で混み合っているのと、お土産屋が多すぎるのが難点だが、ここはおすすめの町である。
この村での私の一つの目的は、郵便局に行くことである。(あ〜っ、小さすぎる目的だわぁ〜)
ちょうど開業時間にタイミング良く、郵便局がある町を通るのを、2〜3日前から狙っていたのだ。
送り先は、この巡礼の後にボランティアとして行くアルベルゲである。 少したまってきたパンフレットや、要らない服などを送りたかった。
サンタンデールで海沿いのコースが載っているガイドブックをようやくみつけたものだから、その本をバラして、要らない「primitibo」の部分と日本から持ってきたガイドブックのコピーのやはり「primitibo」の分も重いので送っておくことにした。
この「北の道 Camino del Norte」は、今後「Primitibo」と呼ばれる内陸を歩くコースと、海沿いを多く歩くコースに、分かれるのだが、ほとんどの巡礼者が海沿いの「la
Costa」を歩くと聞いていた。
郵便局を探していると、さっきのフランスのおじさんにばったり出会った。
さっきは道の向こう側から挨拶した程度だったが、今度は目の前にいる。
「また会ったね!」
と、お互いに写真を撮り合い別れた。
この村は、どこを見てもキュートで惹き付けられるものがたくさんあった。
郵便局での仕事を終えるとこの村では買い食いをすることに決定!
おいしそうなケーキやお菓子がたくさん売られていたからだ。きっとここの名物に違いない。
それぞれの店のケーキを食べて味を比べたり、新鮮なミルクを飲んだり・・・。
そろそろこの村を出ようかという時、またフランスおじさんとばったり出会った。
不思議なことに、短い時間に何度も会うものだから、お互いにここでちゃんと名乗りをあげることにしたのだ。
おじさんの名は、ジャン・ピエールと言う。
ジャン・ピエールおじさんは、フランスで薬剤師をしていると言う。 バイヨンヌ(フランス)から歩き始めたらしい。
ジャン・ピエールおじさんと立ち話をしていると、通りがかりの地元の人に話しかけられた。
自分もかつて巡礼したので、何か困ったことがあったら連絡してほしいと、名刺をそれぞれにくれた。
その後もすばらしかった。
Iglesia S .Pedroは丘の上にあり、これはまるでおとぎ話のような景色だった。 てっぺんの教会目指して、くねくねと一本道があった。
アニメではお約束の、丘の上のお城・・・いや、教会だった。
その後は少しだけ道を間違えて、Novacesという村に着く。
ここの教会は古そうだが、南米リマにあったものを真似て300年前に建てられたのだそうだ。
ということは、この地域から、リマへ移住した人々が多くいるようなのだ。 スペイン北部の人々は、昔から海外へ出ていくことが、盛んだったのだろう。
今度は、ひとなっつっこいペドロというかわいい少年が話しかけてきた。
どこから来たか聞くので、日本人だと答えると、自分は初めて日本人に出会ったと言い、これは貴重な経験だと言わんばかりである。
子供なのに、しっかりした口調である。
みんなとても感じよく話しかけてきたり、挨拶したり、思い切り応援してくれる。
日記にはこう書いてある。
「道とは『目の前にあるのは道』ではなく、こうして応援してくれる地元の人たちの笑顔や傍らの草花。これらの点が繋がって線となって結ばれ、これが『道』になるのである。」
cobrecesという今日の目的地に入ってからも大変だった。
霧雨になり、急いで歩くが、町中を大きく回りながら、やっとのことでモナステレオ(修道院)にたどり着いた。
受付には、20歳くらいのマドリッドとセビリアから自転車で来た二人の男性が、修道士が出てくるのを待っていた。
私もそこでしばらく一緒に待つ。巡礼宿の受付をしてもらうためだ。 やっと修道士も出てきて、案内されたのは、モナステレオの片隅にある宿泊施設だった。
ベッドが一列に並べられた、細長い部屋で、一応二部屋に区切られていたが、パーテーションのドアは開け放した格好となっており、奥にトイレやシャワーがあるため、個室というほどではないが、私は奥の部屋を独り占めにできた。。
今日は一人で近くのbar兼レストランに行ってみた。
雨が本格的になり、町には一件しかない店のようで、大にぎわいである。
しかし私の気持ちは複雑だった。 雨のせいもあるだろう。 ここに着くまでの迷路のような道のせいもあっただろう。
気が滅入ってしまうのである。
この『北の道』では、去年までの巡礼路で出会った人たちのような、サンティアゴを目指し、きちんと歩いている人は少ないような気がしていた。
自分自身もずいぶんと、無理をしている気がする。 たっぷりと時間があるはずなのに、この歩きの後の、ボランティアの約束の期日に間に合わせるために、必死で歩いている。
本当なら、四人組やロベルトたちと一緒に歩きたかったのに。
一方、今年も歩く以上はSantiagoに辿り着きたい。
しかしせっかく美しい道を歩き、ビーチに立ち寄りながらも、そこでゆっくりできずに、通
り過ぎるだけである。 今回は、出会った人たちとの時間を大切にする旅にするか、ゆっくりのんびりの歩きを優先する旅にするか、はたまたSantiago
への目標達成の歩きにするべきか・・・考えてしまうのである。
そして今日出した結果は・・・・。
基本的には自分には少し厳しいくらいの課題を立て、自我を通さず、あとは「なりゆき」にまかせてみよう・・・と、ぼんやりと決めたのだった。
結局今日のアルベルゲには、自転車の二人と私の三人しかおらず、広い部屋で、それぞれが悠々と場所を陣取った。
自転車組の二人には、電話がよくかかってくる。話ぶりから、家族のようで、心配する家族に対し、若い子らしく、少々つっけんどんに、『だいじょうぶだから心配しないで』と言っている。
家族の心配は、相当のようである。年は二十歳前後の学生のようだが、みかけは立派な成人男性で、しかも自転車に乗り、二人で旅をして、何が危険だと言うのか。やはりスペインでは、ファミリーの絆が強いのだろうが、少々過保護ぎみにも見えた。
そんな電話が一通
り終わった、夜の11時のことだった。
ガラス窓をノックする女の人がいる。 目が合うと、ドアを開けてくれと言っている。
自転車の二人に声をかけ、ドアを開けると、二人の女性が入ってきた。
母娘で、マドリッドからバスで15時間以上かけて来て、疲れきっていると言う。
明日はモナステレオでの集会があり、そのために来たが、泊まるところがないため、ここに泊めてくれないかと言う。
私たちはもちろん二人を追い出すことなんてできないし、到底泥棒には見えなかったので承諾すると、二人は私の部屋の方に来た。
部屋には10個くらいのベッドが並んでいたが、マットレスのスプリングを一つ一つ確認しながら、私のすぐ隣に母親が、その向こう隣に娘がベッドを取った。
娘は英語が上手で、快活な美人。母親は品の良いやさしそうな美しい人だった。
娘は
「母が『今日はお世話になって、ありがとう』と、あなたに伝えて欲しいと言っているわ。」
私たちはおじぎをして、静かにベッドに入った。
相当二人は疲れていたのだろう。
横になったと思ったら、すぐに深い眠りに入っていき、二分もたたないうちに、大きな轟音がすぐ隣のベッドから聞こえてきた!
なんだ、これは???
今まで聞いたことがない、すさまじい音の波。
そう、波のように、定期的にドッキリするくらいの、大きな音が襲いかかってくるのである。
私は耐えるしかないと思った。
しかし目は冴えていくばかりである。 娘は静かだが、疲れて深く眠っているから聞こえないのか。はたまた慣れているのか・・・・・・。
外ではモナステレオの鐘の音が一時間おきににゴ〜ンと鳴る。
鐘が一つ。
二つ。
そして三つ。
もう耐えられない。
そうだ!ベッドを移動しよう。
私は壁から3つ目のベッドにいたので、一番端のベッドまで、ふたつほど平行移動した。
しかし!
やや音はやや小さくなったものの、すさまじさは変わらない。
いよいよ鐘が四つ鳴った。
四時である。
これでは翌日の歩きに影響するだろう。 こうなったら、隣の部屋に移動するしかない。
自転車の二人は、朝起きたらびっくりするかもしれないが、そんなことは言ってられない。
私は暗がりの中、荷物を持って隣の部屋の、あの二人の母娘とは、なるべく遠いベッドに移動した。
こっちの部屋の二人は、とても静か。
今度はベッドに入った途端、すぐに寝てしまった。

















































































































































































































これで少しは伝わるかなぁ