

7月28日(金)Pineres de Pria 19.5km
ラファたちは、いつのまにか10人近いグループで歩いていた。
みんな感じが良さそうな人ばかりで、私が思い描く巡礼者たちだった。
彼らを見送った後は、ドリー、マティルダ、ロベルト、ビンゲンも見送る。
私のジャネスまで戻るバスは10時過ぎ発なのだ。
フランス人の親子が起きてきた。かれらの今年の巡礼は、今日この場所で終わりなのだと言う。
お互いに言葉がわからずにあまり話をしたことがなかったが、何度か会ううちに愛着が湧いてくるものだ。
アレックスは9時頃起きてきた。 みんなに『遅〜い』と笑われている。
マテウスの姿はとうとう見れなかった。 おそらく今日マヨルカへ帰るために、ゆっくりここを出るのだろう。
足のマメが心配だったので、ソフィアおばさんに言うと、救急箱を持ってきて、治療してくれた。
下のバスターミナルまでの坂を下る。
バスはほとんど私が昨日歩いた道を通るのだった。
一日前の自分が、ここを大雨の中歩いていた映像がよみがえる。
今日は青空の美しい晴天だった。
そしてジャネスへ。
昨日の振り出し点に戻ったわけだ。
すでに12時近い。
ここから巡礼路を探すためにキョロキョロしていると、またまたバッタリ、ジャン.ピエールおじさんと鉢合わせ。
私が歩いていると、横の道からおじさんが現れたり・・・。 何度もこういうことがあったが、いつもお互いにびっくりするほど、バッタリ出会うのだった。
おじさんの足はだいぶ良くなったようだった。
昨日、サン・ヴィセンテまで戻る方法を聞いた、同じインフォメーションで、今度は町を出る巡礼路を聞いた。おすすめは、海沿いの道を歩くことだと言う。
その海は青さがまばゆいほどで、すがすがしく美しい。
道は遊歩道になっていて、芝生の上を歩いていく。
お天気によって、こんなにも表情が変わるものだろうか。
そのうち、道は途絶え、一般道に戻りたくて、建設中の現場に迷い込んでしまった。
まるで大海原の真ん中で、定置網にかかって追い込まれた魚のように。
道はすぐそばに見えるのに、柵があって出られない。 親切な現場のお兄さんに頼んで、柵を動かしてもらって、やっと出ることができた。
山道はなかなか快適で、いい景色だった。
そんな山の見晴らしのいい場所で、昼食を取っているカップルがいたので、そばに座って私も休むことにした。
二人はドイツ人で、巡礼路を歩いているが、Santiagoへ目指すことは、意味がないことだときっぱり言う。
無理はしない。疲れるまで歩いてどうするの? 一日15kmも歩けばいいと言う。
確かにそんな方法もあるだろう。 しかし私には、彼らが自分自身に対し、言い訳をしているように聞こえた。
巡礼路を歩くのは構わないが、それなら巡礼宿に泊まるべきではないのだろうか。
今年は無理でも、将来であれ、Santiagoを目指す気持ちだけは持っていて欲しい。
この道を歩き出してから、沸々と湧いていた疑問点が頂点にきていた。
そこへ向こうから、ジャンピエールおじさんがやって来た!
おじさんも一緒に立ち話をする。 ドイツ人の二人はスペイン語は話せないが、フランス語は上手である。
ジャンピエールおじさんが立ち去るのを機に、私も立ち上がった。
そこからしばらくの間、ジャンピエールおじさんと一緒に歩くことにした。
おじさんと並んで歩いたことは一度もない。
いつも一生懸命に一人で歩いているジャンピエールおじさん、Santiagoに到着予定日は、私より4〜5日余裕がある。
そしてジャンピエールおじさんのルールはこうである。
『日曜日は歩かない。』
今度の日曜は、海辺で一日じゅう何にもしないのだと言う。 おもしろいなぁ、群れに入らず、自分流に巡礼を謳歌しているように見えた。
そして歩く姿は涙ぐましいほど、一心不乱に前を見ているのだ。 私には、ジャンピエールおじさんのような巡礼者こそが理想だった。
ジャンピエールおじさんは、一時間歩いたら休むというルールも作っており、足に薬を塗ると言う。
それを機に別れ、以後とうとうジャンピエールおじさんとは会えなくなってしまった。
日曜日がすぐそこに迫っていたからだ!
一人で歩いていると、またさきほどのドイツ人のカップルに会った。
彼らに今日はどこまで行くのか聞かれたので、これからまだ10km先まで行くつもりだと言うと、半ばあきれた様子だった。
二人はここから数キロの村のアルベルゲに行くから、この村で買い物をしてから行くと言う。
彼らが行く先の村には商店がないからだ。
スタートが遅かった私は、時間がかかっても、今日のノルマを達成したかった。
しかし・・・・・・・・。
足がもう先へ進まない。 昨日、大雨の中、10時間も歩いたことが祟っていた。 しかもその後列車に乗って、みんなに会いに行って・・・・・・。
疲れが限界を超えてしまった。 しかしここで頑張らなければ、この先の数日のことを考えると、半端になってしまうのだ。
つまり、宿泊できるような地に、上手に行き着けずに、二日後にはまた、15km程度でストップせざる終えないという計算となり、ここで頑張らねば、丸一日遅れ、今までの苦労の意味がなくなってしまう。
なんとしてでもここは、あと10数キロ歩いておきたいところだったが、足が進みたくないと言い張ってきかない。
あのドイツ人カップルが泊まると言っていた村に、今日は行くしかないだろう。
ここでも、アルベルゲに行くには、鍵をもらわなければならない。
丘を登って小さな村に入るが、なかなかその家がみつからない。
迷っていると、一台の車が止まり、鍵を持っている家を教えてくれた。
普通なら、bar、ガソリンスタンド、警察に置いてあるのに、普通の家にあるのだから、探すのはいっそう苦労なのだ。
おばさんは、面倒くさそうに鍵とドライバーを持って、今登ってきた丘を下って行く。
確かにこんな暑い時間に、山を上がったり下がったり、おばさんも大変だろう。
アルベルゲは、牧場の裏の一軒家で、奥のシャワーに行くと、ドライバーで排水溝を開けている。
「勝手に使われると困るからね、こういうことをしなくちゃならないんだよ。」
そして奥の部屋に行き、巡礼許可証にスタンプを押してくれるはずが・・・・・
スタンプなんてないから、手書きでスタンプの欄に名前を書いてくれた。
こんなのも初めてである。
用事が済むと、また山に帰って行った。
シャワーを済ませ、昨日の洗濯物を乾かす。
そのうち、例のドイツ人カップルもやってきた。
彼らは別のドイツ人の女性の二人組に会ったと言う。 まだ会ったことのない人たちだった
。
一通りの用事を済ませると、アルベルゲにいてもつまらないので、近くの牧場の横に一軒だけぽつんとあるbarに行ってみることにした。
歩いていると、暗がりの中に、大きなリュックを背負った二人の女性の影が浮かんだ。
「アルベルゲはどこですか?」
スペイン語で聞いてきた。 一目で、さっき聞いたドイツ人だとわかったので、英語で答えると、それでもなお、スペイン語で返してきた。
笑顔の全くない無愛想な女性だった。 その後ろには、典型的なハイジ顔(?!)の女性が、その女性とは対照的に、ニコニコ笑って、やはりスペイン語で、『ありがとう』と言っていた。
彼女たちも、アルベルゲでの仲間となるようだった。
barのおばさんは、外国人に慣れていない様子で、全体の雰囲気が、昔のスペインのbarのように、古ぶるしく、お客も昔びと風であった。
私はこんな雰囲気をけっこう楽しんだ。 薄暗い店で、愛想はないけど、まじめなおばちゃんがいて、赤黒い顔の地元民がやってきて、分厚く使い古して白っぽくなったコップに赤ワインを樽から入れて飲む。
う〜ん、今思い出しても、もう一度行ってみたくなるようなbarなのだ。
食べるものはほとんどなく、ポテトチップくらいなもの。 食料を持ち歩かない私は、こういう時に困ったことになる。
ビールを飲んでいると、ドイツのカップルもやってきた。
「さっきドイツ人の女性二人組に会ったけど、アルベルゲに行ったかしら?」
「来たけど、キャンプ場が近くにあるからと言って、出ていったわ。」
二人はたばこを立て続けに吸いながら、日本とドイツの経済の話をした。
やはり、巡礼者としての、共通の話題はなかった。
しかし一つだけ、私の興味をひいた話があった。 サン.ヴィセンテで聞いた、サント・トリビオの巡礼の話だった。
彼らはサン.ヴィセンテから歩いたと言う。
私もいつか歩いてみたい。そう強く思うのだった。
7月29日(土)La Isla 24.1km
今日の暑さには、ほとほと参ってしまう。
一昨日に、水浸しの足で30km以上休まずに歩き続けた結果、とうとう左足にマメができてしまった。
おまけに巡礼路の道案内である黄色い矢印がわかりにくいと、そこで出会う地元の人たちまでが不親切に見えてしまう。
八つ当たりだぁ。
バスク、カンタブリアと通り過ぎた北部の地域は、想像以上に美しく、また人々も優しかった。
しかしなぜか、このアストゥリアスに入ってからは、様子が今までと違うのだ。
個人的な感想だけれども、この地方には、スペインの影を感じるのである。
スペインは、よく、『光と影の国』と言われるが、私が身を持って感じたことは、強い光が差せば、それだけ影は濃く暗いということである。
真夏のセビリアからの「銀の道」では、体感的にそうだった。強い日射の影は、びっくりするほど涼しい。また、真冬のそれは、凍り付くように寒かった。人間も同じである。かれらは微塵の暗さもなさそうで、闇の部分が潜むのである。
影が悪いとは思わない。真夏の道では、『影』には救ってもらったのだし、また、影のない人間も平面
的でつまらない。 果たしてアストゥリアスが影の部分を持っているのかはわからない。私は通
り一遍の旅人だから。
Ribadesellaの町に着くと、朝食のパンを買うことにした。
夕べから、ろくなものを食べていなかった。 パン屋さんで、カロリーの高そうな甘い菓子パンを二つ買った。
一つは町の名物だといいうので購入。 ベンチに座って食べるが、時間が気になってしかたがない。マメが痛むお陰で、進みが遅いのだ。
そんなこともあって、食べ終わるとすぐに歩き出した。
この町は、そこそこ大きく、なかなかコンクリートの広い道から出られなかった。
とうとう、今度は右足にもマメが出来てきた。 マメの大敵は湿気だと思う。汗などで湿っていると、私の場合はマメが出来易いのだ。
今年は通気性を重視した靴を選んだが、その通気性が災いして、一昨日の豪雨では、川の中を裸足で歩いているような状態になってしまった。
おまけに、どこもかしこも濡れていたので、休憩すらできなかったのである。 暑さとマメとコンクリートの道、、、またしても気持ちがクサってくる。
こんな時に、仲間が必要なのかもしれない。
しかし、私は仲間を置いて先に来てしまったのだ。 こんな時・・・・・・・・・、いや、この道を歩きはじめてからもずっと、いつも頭を離れなかったのは、去年の「銀の道」の思い出である。
出会いは少なかったけれど、強固なつながりを持つ仲間が少しづつ増えて、最終的には大きな達成感と共に、お互いの必要性を強く感じた『道』だった。
この道では、自分は誰にも必要とされない代わりに、私自身も誰をも必要としていないのか。
きっとそれぞれの『道』のメッセージは違うのだろう。
そんなことを考えながら歩いて行くと・・・・・・
道は海に出た。
そこではまた例によって、海水浴に来たパーキングの車が右往左往して、観光客でごった返している地域だった。
リュックを背負って歩く私は、全く場違いであり、こんな時は逃げ出したくなる。
しかし、そんな場所はほんの一部のことであり、少し歩けば誰もいない野原の道に出る。
常に海を右手に見ながら、豊かな緑に包まれて、四方八方がどこまでも開けていて、新しいエネルギーが満ちてくる。
これだ! この景色だ!
緑に覆われた海へ落ちる崖が延々と続く。そのきわには、うっすら心細げな道があり、広々した空間を一人で歩く。
今度は足のマメのことなんか忘れてしまう。
アルベルゲに着いた。
今日のアルベルゲでも、初めて会う人たちしかいない。 私の他には三人。それぞれ別
々に来ている。 自転車のヘスースはビルバオから。アンヘルはヴィットリアから。
二人ともバスクの人たちだ。もう一人はでかけてしまい、ほとんど顔を見ていない。
ヘスースは料理を作りはじめた。 トマトのパスタと赤ピーマンのオリーブオイル漬け。私にもご馳走してくれるらしい。
アンヘルは、一緒にシードル(リンゴ酒)を買いに行こうと誘ってくれた。
食事ができるまで、アンヘルと町に出てシードルの瓶詰めを買う。
これはアンヘルのおごりらしい。
帰り道、もうすぐに迫った、この道の大きな分岐点の話になった。
アンヘルは、私が行くつもりの海沿いの「la Costa]ではなく、「Primitibo]のコースを選ぶと言う。
お互いに、もう会えなくて残念だねと話しながら、夕暮れの海岸を見ながらアルベルゲに着いた。
ちょうどヘスースのパスタが出来上がったところだった。
シンプルなトマトパスタだが、ニンニクやタマネギがちゃんと入っていて、味付けも良かったので、たくさんいただいた。
そろそろこんなメニューが食べたかったのだ。
食後は、いつものストレッチやセルフマッサージをしていると、ヘスースも横で同じことを始めたので、肩が凝って困っている彼のために、肩こり解消のマッサージを教えてあげた。
ヘスースは40代初めくらいだろうか。体が固く、難儀していた。
7月30日(日)Sebrayo 14.9km
今日は15km。 足の調子は良かったが、この先にアルベルゲがある町はかなり先までなかったので、仕方がない。 短い距離だが、今日はここに泊まろう。
実は、このここSebrayoこそが、いよいよこの巡礼の中間点でもあり、大きな分岐点の手前の最後の宿泊場所なのであった。
とは言え、この日まで、特別に重要な日だとも思っていなかったのである。 歩き出してすぐに、夕べのヘスースが自転車で追い越して行った。
彼を見送った後は、いつものように誰にも会わずに歩いていた。
今日も朝食はパンにしよう。Colungaという村のおいしそうなパン屋さんで、チーズが入ったパンを二つ。チョリソー入りのパンを一つ買った。オレンジジュースもここで買い、今日もベンチに座って、道行く人を眺めながら食べた。
bar好きの私が、ここ2日ほど、barで朝食を食べないのは、ここのパンが美味しかったからだ。今日のパンも、歯ごたえが適度にあるフランスパンの中に、クリームチーズが入っていたり、辛みの効いたチョリソーが入っていたりと美味しいのだ。
途中でサン・ヴィセンテのアルベルゲで出会ったおじさんに久しぶりに会う。
ちょうどその村に、素敵なロマネスク教会があった。
中を見たければ、No2の住所の家に鍵があると書いてある。
おじさんは、先に行ってしまったが、私は教会の中を覗くことにしたのだ。
今日は時間がゆっくりあるし。 その家の前には、よく吠える犬が二匹いて、大騒ぎだった。
出てきたのは、中年の女性で、言語に障害があるようだったが、彼女がこの教会の管理を任された鍵の保有者だった。
中に入ると、電気を点してくれたが、それでもなお、薄暗い。かなり古いもののようだった。
「あの窓を見て。」
その先には、先ほど外から見てその素朴なかわいらしさを気に入って、写真にも写
した小さな窓があった。 壁にはうっすらと壁画が描かれている。 女性はこの教会(Priescaという村)を、とても誇らしげに案内してくれた。
村のはずれの休憩場所で、一休みしようとしていると、なんとあの、マティウスが通
りがかったのだ。
彼はサン・ヴィセンテで会った時に、雨で濡れたブーツのせいで、帰郷すると言っていたのでびっくりした。
「あれ?ブーツが濡れたから、マヨルカ島へ帰るんじゃなかったのぉ?」
するとマティウスは明るく、
「うん、次の朝起きたら、ブーツが乾いていたから、歩き続けることにしたんだ!」
私はかなりずっこけそうになった。
単純で、面白すぎる話ではないか!!
どうやら、今日の目的地は同じようである。 アルベルゲに着くと、マティウスの他にはからだじゅうに入れ墨をした人がいた。(tattooというよりは、その筋のお兄さんといった感じの人)
他にはベルギー人のご夫婦。
マティウスとベルギーのご夫妻とで買い物に行くことになった。
何しろこの村にはbarもレストランもなく、店だって、時間限定なのだ。 つまり、普通
の農家が時間を決めて店を開けるのだった。
行ってみると、店は開いていたが、あと30分ほどで店が仕入れをしているトラックが来るので、その方が品物のチョイスが多いと言う。
一度アルベルゲに戻り、立ち話をしていると、そこにトラックが通りがかった。 それを追いかけ、桃、トマト、ケーキ、ビール、サーディン缶
を購入。 マティウスと一緒だと、食べそこなうことはない。彼はきちんとガイドブックの通
り歩き、三食時間通りにしっかりと食べるからだ。 そしてその手の情報はいつも入手していて、私に伝授してくれる頼もしい人だった。
アルベルゲの前のベンチに座って、マティウスとさっき買ったものを食べていると、続々と顔見知りが到着した。
そうか〜、一時は40km近く離した距離も、ここでいよいよみんなが追いついてきたのだった。
そのうち、ラファもやって来た。 続々と到着したのは、みんなラファの仲間たちだった。
何度かすれ違うように会ったけれど、ラファと座って離すのは、巡礼初日のサン・セバスティアン以来ではないだろうか。
やっと話したかった「銀の道」のことで、盛り上がる。 「銀の道」が思い出深くなるのは、厳しい道だからである。しかも真夏の銀の道を歩いたという共通
点は、何も言わなくてもわかり合えるものがあった。
その道で、一番難しい箇所(38km間水を補給する店などがないタパ)を私は放棄してバスに乗ったが、あきらめきれずに真冬に最挑戦して、これまた寒さが厳しく苦労した思い出を話すと、ラファは
「僕はあの時、5リットルの水を背負って歩き出したんだ。そして真ん中の地点にあるローマ遺跡(カパラ)の下で野宿したんだ。それをやってみたくてね。」
私はまた、嫉妬してしまうのだった。去年もイワンたちがそこで野宿した話を聞いていた。
遺跡の下で、星を見ながら眠るなんて!
「でも、あの『道』は、ほんとうに辛かったよ。歩いている間、サンティアゴまで、誰にも会わずに一人でずっと歩いたんだ。でも、あの『道』が、僕を本当に強くしてくれたと思うんだ。」
それぞれの「銀の道」の思い出は、やはり強烈なものであった。
そこへやってきたのは、なんとロベルトとビンゲンだった。
いよいよ全員集合だった。
いつかは再会するだろうと思っていた人たちに、ここで会えたのだった。
サン・ヴィセンテ以来、ロベルトはドリーたちを見送って、ビンゲンと二人で歩いているらしかった。
今度は隣に、コンチータというバルセロナ出身の女性が座った。
彼女もラファたちの仲間で、いつのまにか10名ほどのグループになっていた。
私はラファ以外は、顔見知り程度だったが、コンチータと会うのは初めてだった。
彼女は英語が流暢で、それもそのはず、アメリカ人のイゴールと結婚して二人で歩いているのだった。
「サンフランシスコに1年くらい住んでいたことがあるのよ。その時アパートをシェアしたのは、私以外は日本人の合計四人で、毎日のように日本食を食べていたの。彼らはヒッピーがかった人たちで、毎日がそれは楽しくて、今でも懐かしく思うのよ。」
明日早々に分かれ道に行くことになるので、la
CostaとPrimitiboのどちらの道を選ぶかという話題に自然となった。 私は La Costaの道に行くというと、みんなもそうだと言う。
コンチータは、明日の目的地のGijonにはアルベルゲがないから、ユースホステルを予約してあると言う。そして良かったら、私の分も予約してくれると言うのだ。喜んで早速電話をしてもらった。
コンチータは、仲間について教えてくれた。
ほとんどが一人で来た巡礼者であり、私に
「今日からあなたも私たちの仲間ね!」
うれしかった。彼らこそが私にとって、本物の巡礼者に見えたからだ。
そのうち、シャワーを浴びてすっきりしたロベルトをはじめ、ラファの仲間たちもほぼ全員テーブルに集まってきた。
そして、話題はやはり、どちらの道に行くかということになる。 これまでも経験者からも話を聞いてきたが、どちらの道も距離は変わらない。
やや、Primitiboの方が、山道でキツいが、大差はないと言う。
当然のごとく、la Costaに行くであろうと思っていたロベルトの口がら出た言葉は、なんと、『Primitiboに行く』ということだった。
そういえば、ロベルトにはその質問をしたことがなかったかもしれない。
私は予期せぬ出来事に驚いた。
どうしよう・・・・。
ここにいる大部分の人たちは、私が予定していたla Costaに行くのだ。ラファもコンチータも他のみんなも、もちろんマティウスも。
ここでみんなとこうして揃って再会したのは、偶然とは言え、不思議な巡り合わせだった。
ロベルトとも、ここで会うとは思っていなかった。 誰にも会わなければ、私は一人でla
Costaに行っていただろう。
しかしロベルトのこの一言は大きかった。私の心を大きく揺れ動かすのであった。
歩く前から、どちらに行くかはこだわりもなかった私だったが、次第に、みんなの話を聞いていて、la
Coastaに行くだろうと決めていた。 その一番の理由は、「みんな行くから」である。
二冊分のガイドブックもPrimitiboの部分はすでに郵送してしまい、残っていないのだし。
ここまでの数日、もう一人で歩くことに嫌けがさしていたところである。
私にとっての巡礼の道は、一人で歩くことと同じくらい、みんなで歩くことも重要だった。
それがかえって災いし、ラファたちの居心地の良さそうな大きなグループを選ぶか、私のことを巡礼初日から知っていて、何日も一緒に歩いて来たロベルトに付いて行くべきか、人を選ぶ格好となってしまった。
ちなみに、ビンゲンもPrimitiboを歩くと言っている。ロベルトは、ビンゲンについていきたいのだろうか。
ラファたちのグループは、どちらに行くか、多数決を取りはじめた。
ロベルトは、巡礼協会に電話をし、様子を聞いている。 Promitiboの方が、アルベルゲが多く、道もカミーノ(巡礼路の田舎道)が多いという情報を得る。
一方グループの結論は、多数決でやはり la Costaに軍パイが上がった。 ラファに聞くと、自分はどちらでもいいのだと言う。
彼らでさえも、自分が行きたい道よりも、仲間を大切にしているようだった。
私はここで、苦渋の決断をしなければならなかった。
出した結論は、ロベルトと一緒に「Primitibo」を歩くことだった。
10人のグループとは、まだそれほど気心が知れていなかったからだ。
その点ロベルトとは、楽しい思い出がすでにたくさんあり、別れて出会ってを繰り返しているうちに、すっかり打ち解けていたのである。
頼りになるのは、多数よりも、一人のロベルトだと考えた末だった。
その頃到着したのは、先日暗闇で出会った、ドイツ人の女性の二人組であった。 彼女たちも誘って、一緒にprimitiboを歩くことになった。
ウシとマリアの二人は、スペイン語の先生をしているというわけで、スペイン語が堪能だった。
マリアは、東部の出身で、20歳の時に東西が統合されたため、ロシア語は堪能だが、英語はほとんどしゃべれなかった。
マリアは以前グラナダで一年間語学留学をしていて、そこで何人かの日本人と会ったと言う。
「日本人て、くそ真面目な人たちだとそれまでは思っていたんだけど、ところがどっこい、全く反対で、おもしろい子ばかりだったの!」
笑いながら話してくれた。
明日から、la
Costa とPrimitiboの道に分かれる。 ここに集まった全員が、複雑な気持ちになっていた。
私はコンチータに、せっかく予約してもらったGijonのホステルに彼女が着いたらキャンセルしてもらうように頼んだ。
決断してからも、気持ちはすっきりしなかった。
気持ちはさらに揺れ動くのだった。












































































































































