国境の二つの町 part1
どうもスペインと相性が悪いと思いつつ、縁があったのかいつの間にか各地方に足を伸ばしていた。
今回のコース選びの基準はまだ行ったことがない土地であること。
スペインはいくつかの地方に分けられ、それぞれに特色がある。
オリンピックがあったカタロニア地方や、今もテロが絶えないバスク地方の人々は自分がスペイン人だと思っていない様子で、それぞれに民族意識が強い。言語も違う。
私にとって未知の場所はスペイン西北部の、ガリシア地方だ。
卒業制作を撮影してくれたカメラマンがたまたまこの地方の出身で、彼はこの近辺はもとより、スペイン全域のお薦めの地を小さなマップに書き込んでくれた。
そこに記されていた国境の町は、ポルトガル側がナレンサ、スペイン側がトゥイというガイドブックなどには書かれていない、小さな町だった。
どちらにもお薦めの印が付いていたが、ごく軽い気持ちでナレンサを選び駅に降り立った。
駅の周辺は静かで緑の林が迫っており、おそらく唯一のホテルにチェックインし、さっそく町の探索を開始した。
何のインフォメーションも持たず、人の気配がする方向へ足を進めると、突然活気を帯びた中心街に出た。静かな駅前とは対照的に車と人の往来が激しくなってきた。こんな田舎町でただごとではない。
人の波、車の列の方向をたどって、はやる気持ちを押さえて更に進んでいくと、古い城塞の一角に出た。車は狭い道に長々と列をつくり、少しづつ動いたり、止まったりを繰り返していた。いったい皆は何処を目指しているのだろうか。
それにしてもこの景観は私の抱いてきたいわゆるイベリア半島の太陽いっぱいの風景とは異なり、スコットランドのネス湖のほとり、ウルクハート城を思い出させる。苔むした緑のじゅうたんとなだらかな丘、もやに煙ってじっとりと湿った重たい空気。
ただし、歩行者にしろ、車に乗って入る人、皆元気一杯だ。その浮かれた様子は観光客のようだ。
この小さな町に人が大挙して押し寄せる魅力があるのだろうか。
くねくねと曲がった道を行くと門のような場所に出て、そのあたりから道の両側に店が見えてきた。城塞の道々で売られているものはありふれた生活用品やレースの製品、大きな大きなぬ
いぐるみもあちこちで売られている。
当然旅行者の私たちにとって、興味がそそられるものはなく、焼き栗や豆をつまみながら、人の流れに沿ってそぞろ歩きをしていた。
店の数は相当あり、どうやらみんなのお目当てがショッピングだということがわかった。それも客のほとんどが国境を越えてきたスペイン人で物価の安いポルトガルに買い出しにきた風である。
店が途切れると共に人の数も減り、いつのまにか城塞の小高い丘の上まで来ていて、見晴らしがいい。このショッピングがこの町のハイライトらしいが買物天国のようなお祭り騒ぎで少々興醒めしていた私たちは、もう一つの国境、スペイン側のトゥイという村が気にかかっていた。
やはり隣で景色を見ていた家族連れにトゥイはどこなのかを聞けば、はるか向こうを指さした先に目をやると、そこには谷の向こうにそびえる山の上のてっぺんにバベルの塔のごとき建築物と、その回りにこびりつく家々が見えた。
湿気を含んだ重い空気、山の上は雲の中のごとく神秘に包まれていて、行ってみたいという気持ちが高まった。
歩いて行けるのか聞くと、2キロ(km)の距離だという。 下方には国を分ける河が見える。
そこから見る限りは、この城塞を下り、河を渡り再び上へ上へと頂上を目指して登っていけばよい。
簡単そうだとタカをくくって歩きだしたが、この古い城塞はさすがによく出来ていて、せっかく下ったと思ったら行き止まり、また来た道を登ってやり直し。それを何度か繰り返してなかなか前に進まない。
やっとのことで車道まで出たあとは、一本道で橋のたもとまでつながっていた。 つい数カ月前までは国境のパスポートコントロールの小さな小屋に駐在する役人がいたのだろうが、今は村人の影さえない。
橋は二階建てになっていた。二階はナレンサ(ポルトガル)とトゥイ(スペイン)を結ぶ単線の鉄道が通
り、下は真ん中が車専用。両はしに人が一列になって歩くことができる歩道が付いている。
私たちはトゥイの村が見渡せる橋の右側を歩くことにした。 河の幅はけっこう広い。そこに満々と水をたたえながら、橋のはるか下を水が流れている。
足元は隙間だらけで下がよく見える。高所恐怖症の私はつい足がすくんでしまう。
歩いて国境を渡るという小さな興奮、霧に霞んだ神秘に包まれた村を見てみたいという一心でここまで来たが、なんでこんな恐い橋の上をあるかなければならないのか。錆び付いた橋の頼りない手すり、薄い鉄板だけを並べたこころもとない足元。なかなか足が前に進まない。
私たちはその対策として、歌を歌いながら明るくこの難局を乗りきることにした。この時登場した曲は日本の名曲ばかりだ。なかでもこんなとき元気が出るのが、『手のひらに太陽を』とか『365歩のマーチ』だ。特に恐い部分にさしかかると、音程が乱れるのだが、それをもう一人が歌を続けることでカバーされ、前に前にと足を進めることができた。
あと一息で渡り切るというポイントにさしかかると、足を止めて景色を眺め、写真など撮る余裕が出てきて無事通
過となった。
橋を渡った向こう側にもパスポートコントロールがあったがやはり今はその跡を残すのみだった。
渡った先の山の下の村には、ポルトガル側にあれだけたくさんいたスペイン人が見当たらない。
勘を頼りに曲がりくねった坂道をどんどん登っていくと、だんだん道は狭くなり、古い石畳が敷かれた村に入ってきた。まずは頂上のカテドラルを目指す。
もうすでにその頃は薄暗くなっていたし、小雨も降ってきて石畳が雨で濡れていたせいもあり、町全体がセピアがかったモノトーンの空気に包まれていた。
カテドラルのそばまで来ると、賛美歌のおごそかな響きが厚い石の壁を通して外まで伝わり、あたりは一層荘厳な雰囲気に包まれていた。
ひと休みしようとバルのなかに一歩足を踏み入れた瞬間、音質の良いスピーカーから特大のボリュームでBGMが飛び込んできた。
店内には先客は一組だけ。モダンな感じも決して私好みではなかったが、それでも引き返さずに、部屋の突き当たりの窓辺の席に腰を下ろし、コーヒーを注文した。
窓のはるか下方にさっき渡ってきた河が何も遮るものもなく、大きくひらけて見えた。山の斜面
も河のまわりも、ここがスペインとは疑うばかりの緑。
先ほどのナレンサ側の城塞からこちらを眺めた景色と反対に、今はこちら側よりそれを眺める。外は相変わらず小雨が降っている。この室内のボリューム一杯の音楽と、霧で霞んだその風景は硝子窓を通
して一体となり、ドラマチックに場面を盛り上げていた。
ガリシア地方の緑は濃く、ミーニョ川は満々の水をたたえ静かに流れていた。 ミルクがたっぷり入ったコーヒーも、ポルトガル側のものとは一味違った美味しさだった。
一杯のコーヒーで身も心もリフレッシュした私たちは、また来た道を早足で帰って行った。橋を渡る時は陽もすっかり沈んで、今度は行きとは反対側のナレンサを見ながら渡る歩道を選んだ。
相変わらず恐くて、また明るい歌を声高らかに口ずさみながら、難所を越えた。






